1923年(大正12年)7月19日、新潟県長岡市塚野山(旧・三島郡越路町)で誕生。家業は本屋。
13歳で東京に出る。米屋、製麺工場、築地の魚河岸で住込み奉公。
16歳で日本浪曲学校に入学。
東京・六本木の寄席、新歌舞伎座で初舞台。
芸名は南篠文若。
20歳で陸軍入隊。
終戦ののち、22歳から26歳までロシアのハバロフスク、ナホトカで捕虜として抑留生活を送る。
労働の合間に浪曲、演劇、歌を創り演じることで仲間を慰め、多くを学んだ。
帰国後、浪曲家として舞台に復帰。
昭和32年、三波春夫として歌謡界に
「チャンチキおけさ/船方さんよ」でデビュー。
和服姿の男性歌手一番手。
昭和35年、大阪新歌舞伎座で、歌手で初の”歌手が座長の、芝居と歌謡ショーの大劇場一ヶ月公演 ”を実施。
翌年からは東京・歌舞伎座でも始め、1月は名古屋・御園座、3月は大阪・新歌舞伎座、8月は東京・歌舞伎座と、定例月にて20年連続で公演した。
東京歌舞伎座における歌手の恒例の一ヶ月公演は、三波春夫のみの記録。
昭和45年万博の折、リベリア共和国の記念切手となる。
代表曲に「雪の渡り鳥」「大利根無情」「一本刀土俵入り」「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」など多数。
“長編歌謡浪曲”と名付け、自ら書いた作品は生涯で40余作を数え、浪曲を活かした歌謡曲のジャンルとして確立させた。
その代表曲には、「元禄名槍譜 俵星玄蕃」「元禄花の兄弟 赤垣源蔵」「豪商一代 紀伊国屋文左衛門」「奥州の風雲児 伊達政宗」などがある。
1964年「東京五輪音頭」で日本レコード大賞特別賞受賞。
1976年のリサイタル「終り無きわが歌の道」。
1982年のリサイタル「放浪藝の天地」のいずれも文化庁芸術祭優秀賞受賞。
1994年「平家物語」で日本レコード大賞企画賞受賞。
1986年紫綬褒章、1994年勲四等旭日小綬章 受章。
2001年(平成13年)4月14日逝去。
同日付にて、新潟県民栄誉賞受賞。
著書に「すべてをわが師として」「歌藝の天地」
「聖徳太子憲法は生きている」「真髄三波忠臣蔵」「熱血!日本偉人伝」ほか。