「三波春夫でございます」 アーカイブ

2009年10月02日

屋台で生まれたミリオンセラー 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 『チャンチキおけさ』------私のデビュー曲です。
この記念すべき曲には昭和三十二年という時代を感じさせるうらばなしが残っています。

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<八島>
 本日から、平成5年発刊の三波春夫の著書『三波春夫でございます』をご紹介して参ります。週1度、毎週金曜日に更新致します。どうぞよろしくお願いいたします。
 この本は書き下ろしのエッセイ集です。三波の筆というのは、それまでは、日本史や芸能史の研究論文といえるようなもの、またはそれをドラマ仕立てにしたものがほとんどでした。
エッセイであっても、自分の身のまわりに起きたチマッとしたものは書かず、太字で大きく書いて社会に問いかけるような、フォルテ記号が踊っているようなものが多かったのですが、この『三波春夫でございます』は、ソフトタッチで三波にエッセイを書いて貰いたい、という企画で出来たものです。
 本の帯には“モットーは「一緒に楽しく生きようよ」 歌謡界の大御所が語る生き方のコツ、人生の味わいそしてちょっといい話”と、書かれてあります。表紙には、三波の顔の超アップ。70代の入口に立った頃の、三波春夫の著述をお楽しみくださいませ。
 
 本日のご紹介は、デビュー曲「チャンチキおけさ」誕生の逸話の章、前半部分。
新人歌手にもなっていない前のお話です。なお、文中の“文芸部”とは、現在でいえば制作部のことです。
 ではまた、次回に。

2009年10月09日

屋台で生まれたミリオンセラー 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

依頼を受けた長津先生は歌詞を懐にその夜新宿の屋台へ
行ったそうです。
歌詞の中の舞台そのままにそして注文した酒を待っている間に、長津先生は曲がひらめいたといいます。
 

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<八島>
 文中の“吹き込み”という言葉は、もちろんレコーディングのことです。ムカシは吹き込みと言ったのです。それこそ三波春夫よりもっと前のムカシの録音マイクは、ラッパの反対向きというか拡声器を逆向きにしたような形の物に向かって歌うという、まさに歌声を吹き入れるような恰好だったようですから、言い得て妙の言葉です。
 私も、物心がついた頃から周りで「明日は吹き込み…」「吹き込みが済んでから…」などと言っており、父のマネージャーになってからも三波夫婦(母は事務所の社長でした)に対しては『吹き込みの日を決めましたが…』などと言っていたので癖になり、今だに『吹き込み!!』と大きな声でふつうに言ってから、(わー、吹き込みって今ドキ言っちゃってー)と、ひとりで真っ赤になっていたりします。
 でも、ムカシの日本語はあったかくて好きです(笑)
 ではまた、次回に。

2009年10月16日

文若さん、ヨシタ ヨシタ 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 浪曲師・南篠文若から歌手・三波春夫への転身の背景には、時代の変化というものに敏感に反応した私の実証的な感覚がありました。

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 この章は、昭和28~29年頃のことを書いています。24年秋に、4年間のシベリア抑留から帰国して浪曲の舞台に復帰し、27年12月に結婚。その後、南篠文若の曲師は妻が務めることになり、夫婦揃って藝の研鑽の日々。そのあたりのことです。
 敗戦から復興へと日本がだんだんと力をつけてゆく時代。人々は、その気運を応援するような勢いの有る陽性のものを、エンターテイメントにも求め出していたことの実例といえるでしょうか。
 この、南篠文若の浪曲と余興のアリランやトラジを、『観ましたよ』『聞きましたよ』とおっしゃる方々にお会いすることがあります。全国各地でお会いしますから、南篠文若がたくさんの土地を訪れて興行をしていたのだと実感します。『小さい会場でした、倉庫を改造した俄か仕立ての。お父さん、いい声でねえ。印象的だったから、記憶にずっと残ってましたよ…』と、私に話して下さった方は70歳を超えた男性でした。
 どんな小さな会場でも、来場されたお客様に最大限の満足をもってお帰り頂くことが鉄則である、と自分に課していた若い浪曲家時代。この頃の思いは生涯変わりませんでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年10月23日

文若さん、ヨシタ ヨシタ 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 一座を率いて、故郷の新潟県を訪れたときのことです。浪曲を一席語り終えて、ここでもすっかり恒例になっていた歌謡ショーに移りました。

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 曲師は、舞台中央に居る演者の方を向いて座って三味線を弾いています。曲師と客席の間には屏風が立てられていて、姿は隠れています。その屏風の陰から、演者の口演がお客様に上々にウケているか、もうひとつなのか、を察知し、例えば口演のノリが悪いようであればテンポアップを示唆する含みのある三味線の合いの手を入れて、演者のナビゲートをするのです。曲師の感性が鋭ければ、演者はたいへん助かります。芝居は、上手い役者とやらせてもらうことで藝が伸びるといいますが、上手い曲師もダイレクトに演者に影響を与えたようです。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年10月30日

痔になった先生 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 昭和三十年ごろのことでした。私はキングレコードから出た三橋美智也さんの大ヒットに大変刺激を受けました。民謡調の歌謡曲がヒットするのなら、浪曲調歌謡曲の世界があってもいいのではないか。やっぱり歌謡曲の時代が来ているぞ、と。

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 三波の伴侶は、私の母ですが(笑)その芸歴については、ひとつ前のブログで全編をご紹介した三波の自叙伝『すべてを我が師として』に詳しく書かれています。母は9歳から藝の世界に入り、三味線、鳴り物、舞踊、話藝などを身につけ、歌舞伎舞踊から色ものまでを上演する一座で活躍していました。そして27歳で「南篠文若」と結婚し、自らがライトを浴びていた舞台を降りて、曲師を務めるようになったのでした。身内の私が言うのもナンですが、母の藝の勘は大変に鋭かったです。『三波春夫』の創造は、三波夫婦ふたり揃ったからこそ出来たことでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月06日

痔になった先生 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 その時、座員のひとりが歌謡教室の先生を知っているから紹介するというのです。そこで家内とその先生のところに出掛けました。

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 三波春夫という人は「自分はこれだ!!」と決めて藝の道にまっしぐらに突き進みました。B型でしたので…、(笑)というのは冗談ですが、これ!と決めたことへの集中力は絶大でした。自分の藝のために為すべきことを、休むことなく常に実行しつづけた人でした。
 唄う以外の姿といえば、本を読み新聞を読み原稿を書き…。『勉強』の二文字を怠らない人でした。政治経済の分野にも一家言をもっていて歴史には特に詳しく、たとえば地方公演の移動での車中の会話では、いつもそういうテーマで話が尽きませんでした。
 晩年にお付き合いが深かった永六輔先生が、ある時、三波に向かって「三波さんは『唄う学者』です」と、おっしゃった時にはその場の皆でウケて笑ってしまいましたが、確かに…。今思い返しますと最適のキャッチコピーだった気がします。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月13日

痔になった先生 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ある日のこと、家に帰ると家内がいうのです。「先生から電話があって南篠さんの稽古熱心にはかなわない、痔になりそうだ、自分のレッスンが終わったら帰ってほしいといわれました」。

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 三波の特徴である、藝への猪突猛進ぶり…。ちなみに三波はイノシシ年の生まれでした。先週の“「B型」だった”に続いて、プチ情報でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月20日

五輪音頭のご褒美は 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 平成四年はオリンピック・イヤーでしたね。冬のアルベールビル、夏のバルセロナ・・・・・・国を越え、世界中から集まった人々が力の限りにたたかうのを見ることは、とても素晴らしいことです。

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 この『三波春夫でございます』を執筆していた平成4年は、バルセロナオリンピックが開催された年でした。そのオリンピックの終了直後、バルセロナの陸上競技場ど真ん中に組まれた櫓の上で三波は「ハウス東京五輪音頭」を唄いました。その回りでは地元のスペインの方々が何百人も浴衣を着て輪になって、歌に合わせて盆踊り。フジテレビの歌番組『MJ』にての中継出演。そのためだけの、三波一行2泊だけのバルセロナへの旅でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月27日

五輪音頭のご褒美は 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 もちろん、開会式も正面スタンドではなく、病院のベッドで見物するハメになってしまいました。

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 “休暇を目の前に”や“休みになったとたん”に体調を崩した、ということはよく聞く話ですね。休めるぞー、ということで心身のどこかがホッと緩みすぎちゃうんでしょうか。そして、過労から免疫力が落ちて…といこともよく聞くことですね。本日これを読んで下さったのも何かの縁です。どうか、お忙しい方、ストレスの多い方におかれましては、健康は自ら勝ち取る思いで、日々をお過ごしください。7年近くPSA検査を広める活動をしておりますが、医療関係者のお話しを伺いますと、やっぱり定期的な健診などを自分で心がける事が良いのだと、つくづく思います。
 なお、文中の「百年桜」は、本年10月21日リリースの『三波春夫全曲集』に収録されております。
 さて、お知らせを致します。今週から『歴史時代書房「時代屋」』さんの“神田小川店”と“新百合丘オーパ店”で、三波春夫グッズを販売中です。グッズは、飾り扇子・携帯扇子・湯のみ。三波春夫の「お客様は神様です」「夢」などの文字とサイン入りです。
 書籍『熱血!日本偉人伝』『聖徳太子憲法は生きている』やCD『長編歌謡浪曲スーパーベスト』のシリーズも販売されています。どうぞ店舗へお出かけください。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月04日

五輪音頭のご褒美は 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 そんなてんやわんやの舞台裏でしたが、なんとか無事に大入り満員の盛況で、千秋楽を迎えることができたのです。

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 「その夜、ジュリアナ東京はノリノリで踊る若者で超満員。場内に響き渡るのは三波春夫のナマ歌…って、え?なに?三波春夫? そうです、ステージにはなんとアノ三波春夫が満面の笑顔で立ち、ハウスミュージックメドレーを披露したのですぅー」というカンジで、平成4年の暮、ジュリアナの貸切イベントにて、メインゲストとして登場した三波春夫でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月11日

お客様は神様です 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 早くから客席いっぱいに詰めかけたお客様のどよめきが、舞台うらには、潮騒のように聞こえているに違いありません。やや離れた楽屋には、華やかな出の瞬間を待って、じっと間合いをはかり、呼吸を整えている主役。楽屋のうちに、静かにみなぎってくる緊張……。

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 このシャックリの話に限らず、演者のそのステージの完成を目指す強く高い意識と、お客様から送られる愛情あふれる熱い期待があわさってステージに起こった奇跡は、エンターテイメントの世界にたくさんあると思います。そういった世界で力いっぱい仕事が出来た三波春夫の一生は幸せなことだったと、つくづくと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月18日

お客様は神様です 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ただし、手を拱ねいていては、その「神様」の姿を見ることができないことは言うまでもありません。

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 奢りの気持ち。これは、立場や職種を問わず、自分の心に絶対に育ててはいけないもの。その姿勢は父の晩年に一緒に仕事をして、勉強させてもらったように思います
 さて、「お知らせ」です。今月26日土曜日(午前10:05~11:35)にNHK総合テレビにて、『昭和歌謡黄金時代~三波春夫と村田英雄~』がオンエアされます。以前、NHKBS2で二度オンエアされたものの再々放送です。大変に好評を得た番組ですので、ぜひぜひご覧ください。なお、北海道のみ、12/31 10:05~11:35のオンエアとなります。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月25日

お客様は神様です 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 さて、広く世間の人に知っていただいた「お客様は神様です」の語は、どのようにして拡がることになったのか、後世のために?その記録をすこし。

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 「お客様は神様です」の本意につきましては、オフィシャルサイトにてご覧いただけましたら幸いです。
 さて、前回お知らせいたしましたが、明日NHK総合テレビにて、『昭和歌謡黄金時代~三波春夫と村田英雄~』がオンエアされます。午前10:05~11:35です。
なお、北海道のみ、12/31 10:05~11:35のオンエアとなります。
どうぞご覧ください。
 では、次回は来年1月15日(金)に更新いたします。
 本年もお世話様になりました。ありがとうございました。
 どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。 

2010年01月15日

短気は損気 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 釣り人には意外に短気が多いそうです。

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 本年最初の更新を致しました。この一年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、本日の本文は短気からの行動についてです。前にもお話ししたとおり、亥年生まれの猪突猛進型の三波春夫は、仕事に入るとまっすぐに集中していくアツイ人でした。ですから、お客様に最高のショウをお見せしたいという思いで一所懸命に仕事をしているときに不熱心なスタッフがいると、それがとっても厭だったようです。座長を務める方はどなたでもそうだと思いますし、仕事であれ遊びであれ、皆で力を合わせて何かをするときにはそういうものですよね。ただし、コーラの瓶はいけません…。というのと、ムカシはコーラは瓶が当たり前だったとはいえ、あまりコーラ瓶が三波の周りにあった試しは無いので…その時にたまたま飲んだものだったのでしょうけれど、不思議なものです。とにかく、人間どんな事があってもキレたらいけませんね。キレた方が人間が小さいことになってしまうのだと肝に銘じるくらいが良いのかもしれません。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年01月22日

短気は損気 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

ある著名な評論家の方がこんなことを教えてくれたことがあります。

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 本文で評論家の言葉が書かれています。
実演家に関わる評論には舞台評論がありますが、三波は舞台の評論家の方々のご意見もきちんと拝聴していましたが、やはりお客様のご感想をとても大事にしていました。浪曲家だった若い時期には、自分の舞台が終わったあとにすぐに着替えてちょっと帽子などを被って変装?し、お帰りになるお客様の人波に混じって歩いて、どんな感想をおしゃべりしていらっしゃるかを聞くこともしていたようです。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年01月29日

短期は損気 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 確かにそのとおりだと思いました。
仕事の時は誰しも、これが最高だと信じて取り組みます。

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 三波の公演のバンドメンバーは、終演後に皆「今日も『やったーっ!』って気がする」と…。そう口に出す方もいれば、ドッと疲れた方もいて。三波春夫の歌は、ふつうサイズの歌謡曲はまだしも、長編歌謡浪曲の伴奏をするとなりますと、根本が浪曲の伴奏である三味線のテを演奏することになるので、バンド本来の洋楽要素だけではなく、超がつくほど“間(マ)”が大事、ニュアンスも大事。それを大勢で息を揃えて演奏するのは、指揮者も大変でプレーヤーも汗!です。
 でも、「プロの仕事をしたーって感じ、を持って、一日の仕事が終われるのが良い」と、いつも頑張ってくれていました。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月05日

弘法も筆を選ぶ 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 あるクイズ番組に出たら、三波春夫のイメージは?」という出題に対して、通行人の方が街頭インタビューで答えるというおもしろいコーナーがありました。

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良い声と声量には睡眠が大事。
 これは三波の周囲にとっての鉄則でしたから、私もムカシから父の起床が午前10時を回ろうが、「良く寝て頂いてヨカッタです!」という気持ち以外になにもありませんでした(笑)。三波春夫の時間割はずっと、昼は公演や収録、夜に原稿を書くというものだったこともありまして。朝の訓示もない人でヨカッタです…。
 本文にありました舞台衣装のことですが、贅沢とはいえないと思いますし、舞台のきものをお客様が楽しみにしていらっしゃることを承知しており、ご期待にこたえるように、呉服店に発注してデザイン等を指示する担当の母が細かく神経を配って衣装を作っていました。ですので、三波自身はお値段を詳しくは知らなかったと思います。
 「舞台衣装は良いものを、本物を着る」という母の揺るがぬ方針を熟知していたから書いているのでしょう。万年筆などの筆記具は、三波が自分で選んで買い物をする数少ない品のひとつでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月12日

弘法も筆を選ぶ 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 毛筆はさらに選びます。
手紙にはこれ、色紙にはこれ、もっと大きな書にはこれ、と決めて五十本ほど持っています。

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 三波が先様にお送りした、長ーい巻紙の手紙は、ところによっては表装されて保存頂いているようです(冷汗…)。 
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月19日

十五万六千円の結納金 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 これだけ働いたから、どれだけの収入があって、生活に必要な分がこれだけ残って、また、これだけ働いて・・・・・・。

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 あくまで私の個人的な考えなのですが、演者は、私生活においてお金の勘定をしないで済むならばしないに越したことはないと思ったり致します。もちろん生活上の普通の算数は必須事項ですが、余計なことでお金勘定をしていると、どうしても人相に出るような気がするのです。そのデンで言いましたら「みんな妻任せです」という三波はよかったでしたが、その分母は大変でした(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月26日

十五万六千円の結納金 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 もっとも、こんなこともありました。

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 自叙伝『すべてを我が師として』にも書いてありますが、友人の紹介で生涯の伴侶に巡り会った時のことです。三波は当時痩せていて、若い時の王貞治氏のようなベース型の顔をしており、そこに綺麗に撫で付けられたオールバックの髪、近眼メガネ、白い開襟シャツに地味なジャケットです。私も当時の写真を見たのですが、母に同感。「税務署の方から来ましたー」と玄関を入って来そう…。でも笑顔が底抜けに明る過ぎる税務署の人だったですが(笑)。
ではまた、来週金曜日に。

2010年03月05日

十五万六千円の結納金 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 昭和二十四年にシベリアから帰還して、さあ平和な世の中で思い切り浪曲がやれるぞ、とそのことがただ嬉しくって、南篠文若一座を率いて地方を回り続けていました。

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抑留から帰国して3年。三波自身に持ち家はなく、全財産はこの貯金だけのようなものだったそうです。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年03月12日

十五万六千円の結納金 4

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ゆきは、当時すでに三味線の上手といっていい腕の持ち主でした。

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 厄介な新米ご主人ですよね…。ちなみに指輪を買ってあげていないです、この御主人は。母から聞いておりマス(笑)。でも、母自身も、まずは仕事の物をという気持ちだったそうです。本当に母の生き方は生涯、「三波春夫の仕事第一!」。まことにはっきりと、オトコマエでした。 
 ではまた、来週金曜日に。

2010年03月19日

十五万六千円の結納金 5

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ついでに、自分の浪曲を仕上げるために、絶対に必要だとかねがね思っていた、当時としては貴重品だったテープレコーダーを買うのに四万五千円。

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 母の三味線の音色について、以前もブログでお伝えしたことですが、「ペンッ!!」とひとバチ弾いたその音から聴く人の背筋をシャンとさせるような、ビシリと響く音色でした。
悪い事をしてないのに「すいませんっ」って言っちゃいそうな迫力と言いますか(笑)。例えば、和太鼓のいい音を聴くと「キターッ」って思ったりするじゃないですか。あの感じの、なんかもっとコワい感じです(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年03月26日

まぼろしの初の給金 1

「三波春夫でございます」より

 この間、新聞を読んでいてあっと驚きました。

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この書籍「三波春夫でございます」が出版されたのが1993年。
現在でしたら、本文のような記述とは違った内容になったことでしょう。
ではまた、来週金曜日に。

2010年04月02日

まぼろしの初の給金 2

「三波春夫でございます」より

 私たち一家が上京してきたのは、昭和十一年のこと。私が十三歳のときでした。父親が株に手を出したばかりに故郷をあとにする羽目になったとは、まだ知るよしもない年頃です。

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 三波から直接聞いた思い出話ですが、13歳から始まった米屋奉公の当初。自転車の荷台に米袋を積んで配達に行ったところ、納める先の天丼屋さんの店先で自転車ごと転んでお米が道にこぼれてしまったそうです。でも、お店のご主人が一緒に米を拾ってくれて、天丼まで御馳走になったということ。この話を聞いた時はまだ私は20代だったのでそれほどでもなかったですが、今の年代では深く感じ入るものがあります。
 最近、仕事で必要だったので三波春夫のトーク番組のビデオを見ていたのですが、その時の話の中で、『人を大事にすると、自分が大事にされるって言いますでしょう』と、三波が発言していましたが、この天丼屋さんの話はまさにそうでした…。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月09日

まぼろしの初の給金 3

「三波春夫でございます」より

 でも、この給料を私はこの目で見たことがない。米屋のご主人から父親の手にそのまま渡り、父は借金の返済にあてていたようです。つまりは、まぼろしの初任給だったわけです。

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 イノシシ何枚、って、今や全くわからないですよね。聖徳太子のお札も知らない方が増えていますものね。
 さて、お知らせを申し上げます。三波の命日の14日に、恒例のCDリリースがございます。今回は、『長編歌謡浪曲スーパーベスト5』です。時代物「関の弥太っぺ」等の他、川で溺れる生徒を助けるために殉職した教師の話を描く「花咲く墓標」、ジュラ紀を描いた「恐竜王物語」などの珍しい作品を収録しています。是非、お買い求め下さいませ。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月16日

使わなかった十万円 1

「三波春夫でございます」より

 この金勘定のできぬ男が、お金を借りたことで、素晴らしい思いをさせていただいたことならあります。昭和三十一年の秋の事、大学卒の初任給一万八千円の時代です。

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 加藤清二郎さんは、浪曲時代からご後援下さり、歌手・三波春夫になってからは後援会の会長に成って頂いておりました。1924年(大正13年)に“簡易洋食”と銘打った『須田町食堂』を開かれ、その後の上野の『聚楽』ほか数々のレストランでお客様にリーズナブルに洋食を提供なさいました。人々の思い出にしっかりと残るお店ばかりでした。現在、聚楽チェーンはお孫さんが社長でいらっしゃいます。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月23日

使わなかった十万円 2

「三波春夫でございます」より

 この時のお金は、文字どおり、私の芸への”投資”となったわけです。それから間もなく、三波春夫の名でデビューすることができたのですから。

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 以前も書きましたが、お年を召されても加藤清二郎さんは背筋がピーンと伸びておられたことがとても印象的な方でした。三波は心から尊敬しておりました。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月30日

使わなかった十万円 3

「三波春夫でございます」より

 家内はいったんお借りした十万円を、よほどのことのない限り手をつけてはならないお金だと思って、貯金のかたちにして、使うことはありませんでした。

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 あらためて“神棚にあげて歓んでくださった加藤氏”を考えますと、あたたかいお方だったのだと感じ入ります。
 母のことですが、三波は生前、講演や取材の折に、『悪い女房を貰うと一生の不作と申しますが、お陰様で我が家は大豊作でした』と笑顔で語っておりました。妻には生涯、感謝感謝の三波春夫でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年05月07日

汗をかいていないお金 1

「三波春夫でございます」より

 あるとき興行師さんが株をすすめてくれたことがあります。

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 生前、インタビューなどで話していたことですが
「沈黙は金、と言いますが、雄弁はダイヤモンドだと思います」。
人と触れ合って、向き合って話をしてみて、確かな心のやりとりがあって、という土台の上で生きていきたいというタイプの人でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年05月14日

汗をかいていないお金 2

「三波春夫でございます」より

 お金というのは、やはり汗と努力の代償としていただくもの。汗をかいた結果に得たものでない限り、それはお金と呼べないのではないでしょうか。

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 子供に何を見せるのか。日本の国の子供が現在、何を見て聞いて育つのか。…大事なことですねぇ…。
ではまた、来週金曜日に。

2010年05月21日

汗をかいていないお金 3

「三波春夫でございます」より

 そんな私ですが実は一社だけ株をもっています。

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 ある番組で「叩き上げの三波さん」という形容をしていらっしゃいましたが、実直な生き方は、色々な人の生き方を見た上で選択したものだと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年05月28日

噫々二宮金次郎 1

「三波春夫でございます」より

「あれじゃあ、眼を悪くしちゃうよなァ」と若者が言ったという話を聞いたことがあります。

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尊敬してやまなかった二宮尊徳さんのお話です。平成9年に開催した永六輔氏とのイベント『爆笑教養講座』の舞台の上に“柴を背負って本を読む金次郎像”があり、その前で永氏が三波に聞きました。  
 「きょう、三波さんが二宮金次郎について話をするっていうからこの像を置いたんですけど。なんで、この人は、歩きながら本を読んでいるんでしょうかねえ」
 「いえ、永さん、違うんですよ。金次郎さんは山で柴を取って来て、それを売った代金で本を買って、仕事を終えてから本を読んだんです。ですから、おなじみのこういう像は、それをいっぺんに表現したものなんです」
 これを皮切りに、三波による尊徳さんの話はエンエンと続き、客席は静まり返ったのでした…。
  ではまた、来週金曜日に。

2010年06月04日

噫々二宮金次郎 2

「三波春夫でございます」より

 現小田原市栢山の没落した豪農の家に生まれた金次郎は、努力、陰徳、積善、節約という、哲学力行の末に身につけた実証的な合理主義によって、まず、わが家の再建を果たしました。

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 金次郎像をもし見かけられましたら、このようなことを思い出しつつ味わってご覧ください(笑)。尊徳先生の偉業の説明はこの後も続きます。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年06月11日

噫々二宮金次郎 3

「三波春夫でございます」より

そのうえ、この方は、江戸時代にぬきんでた経済学者であり、土木工学の権威でもありました。
 その「報徳仕法」や推譲金の制度は、現在の協同組合や信用組合の原点とも言えるものでしょう。

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 「原点」は素晴らしかったんですね。
ではまた、来週金曜日に。

2010年06月18日

噫々二宮金次郎 4

「三波春夫でございます」より

 借りた金は事業資金として、五年間は無利子。そして、返済をする時に、一割または二割の利子を、おかげさまでと、感謝の心をこめて返納という、情と理に叶ったものでした。ですから、みんな頑張って借金を早く返して仲間の期待に応えようと頑張ります。尊徳先生は、こんな素晴らしい制度を江戸時代に作ったのですから、まさに民主主義の祖であり、心温かな哲学者でもありました。

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 「研究してみたところ、物凄い人物だった。これを世の中に伝えたい。皆さんの勇気の源にして貰えたら幸い」と、歌詞として書きまとめて、曲をつけて唄う。どう書いたらいいのだろうと苦心しつつも、恐らくいつもその仕事を心底から楽しんで実行していたのが三波でした。やがて出来上がった作品を新曲としてレコーディングする日を迎えるわけですが、このレコーディングという作業が本人の「一番好きな仕事」だったのでした。
  ではまた、来週金曜日に。

2010年06月25日

噫々二宮金次郎 5

「三波春夫でございます」より

 この歌については、ほかにも小さな思い出があります。私の家内が、この歌のなかの「梅の花咲く小田原後に桜町へと旅立ちなさる」というあたりになるときまったように涙を流すのです。

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 自叙伝「すべてを我が師として」に三波が詳しく記述したところがありますが、母は自分の両親と縁が薄い人だったので『専門職について自分で食べていけるように』という周りの大人達の計らいで、9歳で芸界に入りました。旅公演を続けながらの芸の修業は厳しくて、人の居ないところで涙をこぼす日々。でも、運命や環境に負けちゃいられないと、一人前の舞台人になるためにまっすぐに努力をしたのだそうです。何十年経ってからも、ふとした事でその頃の自分を思い出し、ジワーンと涙をためながら私にも思い出を語ってくれたことがありました。父は自らの経験と重ねながら、私以上にとても深く、母に共感していたのだと思います。
  ではまた、来週金曜日に。

2010年07月02日

噫々二宮金次郎 6

「三波春夫でございます」より

 うちうちのことを書きましたが、正直のところ、私は、金勘定が苦手です。また、うまい儲け話の周辺には決して近づくまいと思っています。

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二宮尊徳研究の本は沢山ありますものね。
ではまた、来週金曜日に。

2010年07月09日

私はデノミ論者です 1

「三波春夫でございます」より

 共産主義の崩壊から手さぐりの市場への移行へと迷走し続ける旧ソ連邦。そのなかのある共和国の議会が、下落し続けるルーブル貨幣の復権のために、一ドル一または二ルーブルに、その国だけでもデノミネーションの措置をとることを決議した、という話題が、新聞の外報欄に小さく載っていました。

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 シベリアに4年間抑留された経験から、旧ソ連の共産主義を勉強せざるを得ないことになり、帰国後もずっと、ロシアの歩み方を注視していました。多くの抑留経験者と同じく、語り切れない様々な思いや考えと共に、だと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年07月16日

私はデノミ論者です 2

「三波春夫でございます」より

 戦後インフレの為替相場をいまだに引きずっていることにはこんな心理的な問題もあります。

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 戦前戦後を生きて来た人の実感なのでしょうね。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年07月23日

私はデノミ論者です 3

「三波春夫でございます」より

 そのこと自体は、江戸の一両、明治の一円の価値をいうときも同じことかもしれません。

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 三波の持論でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年07月30日

私はデノミ論者です 4

「三波春夫でございます」より

 私はもう十何年も前から、このことを話していますが、もしデノミをやることになるとたいへんな金がかかるという方がいます。これは数字のあらわし方が小額になるので、日常生活のなかでも銭や厘という単位が出てきたりして、今ある証券・伝票から販売機からレジから、すべて変えなくてはならない。その費用は莫大だからできないという主張です。

<続きを読む>

三波春夫はこんなことも考えていたり、感じていたりしていた一面があるのでした。
ではまた、来週金曜日に。

2010年08月06日

ハウスミュージックへの挑戦 1

「三波春夫でございます」より

 よもや、私がやるとは思っていなかったハウスミュージックです。

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 平成4年の出来事ですから、ハウスミュージックが最先端だと書いたりしています。私は、テイチクのディレクターに初めて提案を戴いた時にまったく迷いはなく、本人からOKが出ることを確信していました。
ではまた、来週金曜日に。

2010年08月13日

ハウスミュージックへの挑戦 2

「三波春夫でございます」より

 そこで私もデモテープを聴くことになりましたが、その時から「ここはどうかな、こうすればいいと思うよ」と、私もいつものクセでのめり込むようになってしまいました。
 編曲者は初めてお会いする若手ミュージシャン島田直角さんが決定していて、彼を含めて制作会議をすることになりました。

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 ディレクターは当初、三波春夫の曲をハウスミュージックにアレンジして音楽だけは新たに制作するけれど、歌の部分は三波の既存のヴォーカルを利用することとし、あらたに本人にレコーディングをしてもらうことは考えていませんでした。しかし、デモを聴いた三波は、「これ、やっぱり、アレンジに合う唄い方の歌を入れなくちゃ。唄い直しをした方が良いと思うよ。そうしようよ」と言い、全部新しく、となったのでした。
ではまた、来週金曜日に。

2010年08月20日

ハウスミュージックへの挑戦 3

「三波春夫でございます」より

 私としては、のりのよい曲だったので、ヘッドホンから流れる音に合わせてレコーディングを始めましたが「ちょっと待って下さい」。プロデューサーから中止の合図です。

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 いつも素直な三波春夫でした(笑)。
ではまた、来週金曜日に。

2010年08月27日

生まれて初めてのライブステージ 1

「三波春夫でございます」より

 私が初舞台を踏んだのは昭和十四年の秋です。浪曲家として麻布六本木の大きな寄席というか小劇場で「新歌舞伎座」といいました。

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 テイチクの皆がノッて計画してくれていているし、娘の判断も大丈夫ということだし、「ほぉー、パワステと言うところなのか…」と、三波は下見の折に初めて会場に伺ったのですが、とても“ビックリしていた”のでした。そのときビックリしていたとは、周りの誰も気づきませんでした。さすがベテラン歌手は、常に堂々(笑)…。
ではまた、来週金曜日に。

2010年09月03日

生まれて初めてのライブステージ 2

「三波春夫でございます」より

 しかもキューン・ソニー社の電気グルーヴという若いアーチストと共演させて欲しいと声がかかったから頼むというのです。それも新しいことだ。お祭りのつもりでやろうと腹を決めました。
「腹を決めた」なんていい方は、おかしいかもしれませんが、実はこういう表現の方が私らしいわけです。

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 69歳だった三波春夫。あれこれ考えていたのでした
ではまた、来週金曜日に。

2010年09月10日

生まれて初めてのライブステージ 3

「三波春夫でございます」より

 電気グルーヴの石野君たちと顔合わせをしたら、三人共しっかりして、ひとつの音楽イメージを持ち、自分たちのCDでは、自ら詞と曲を創っているのです。年はまだ二十四歳と聞いて思わず、「ああ俺はこの年齢のときはまだシベリアで捕虜だったナア」と思いましたが、しかしたしかに自分の思う歌を創るにはとてもいい年齢です。

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  電気グルーヴの方々に放浪藝のことなど、歌藝の歴史の話をしていたのですが、
 皆さんガマンして聞いて下さっていたお姿を思い出します。
ではまた、来週金曜日に。

2010年09月17日

生まれて初めてのライブステージ 4

「三波春夫でございます」より

 といいますのは、今まで、歌謡曲を歌うステージは歌声が主役でバンドの音は前奏、間奏はガンガン大きく出しても、歌のメロディの中は抑えての演奏が当然ですが、今度のステージは違います。
 音楽はガンガン歌もガンガン、どちらも力いっぱい、という形です。

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 この島田直角さんは、あのCHOKKAKUさんです。
ではまた、来週金曜日に。

2010年09月24日

いよいよステージへ 1

「三波春夫でございます」より

 伊集院光さんの、アジテーターとしての熱弁が、(これは失礼<学園デモ隊>ではありません。まあそれに近い)三波春夫コールを引き出して「ハルオ!ハルオ!」と三分間もお客様を沸かせていました。

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 ラッシュ時の混雑のような超満員の女子中・高校生の電気グルーヴさんファンが、「キャーッ、三波センセイー!」と声援して下さって踊りまくり。その横の端の方、や、後ろの隅から、女子達に圧倒されながらも頑張る60代・70代の長年の三波ファンが声援し、しかしその声や拍手は見事にかき消されていました…。
 この日の様子は後になってから、本人と長年のファンの方々が、よき思い出話としていました。
ではまた、来週金曜日に。

2010年10月01日

いよいよステージへ 2

「三波春夫でございます」より

 踊りに加わった「スリーピー」のお二人は見事にステージで踊りまくって、客席をリードしてくれました。

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 いまでも「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」の2曲が、当時を振り返るテレビ番組の映像のBGMによく使って頂くことを有り難いことと思っております。
ではまた、来週金曜日に。

2010年10月08日

本物の浪曲を 1

「三波春夫でございます」より

 ラップの俵星をやる前に、三味線一丁で聴いていただこうと考えて、曲師の沢村豊子さんを招き稽古を重ね三分間は歌うつもりでいました。すると演出の河東氏は、かなり話題になっているので五分でも聴いてくれそうですからというのです。

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 若いお客様にとっては見たこともなかったであろう「浪曲」でしたが、ウケるべきセリフのところでちゃんとウケてワーッと盛り上がった客席に、本人もスタッフも「わーい」と一瞬喜んだのに、ミュージック、スタート!のはずが、音が出なかったのです…。
 では、この続きは来週金曜日に。

2010年10月15日

本物の浪曲を 2

「三波春夫でございます」より

 客席も「アレ?」私も「おや?」・・・コンピューターも人間じゃありません。何時でも動くという訳には参りませんから。島田直角も慌てて「おい笹川!」と駆け寄っていきました。

<続きを読む>

 この場面のことは三波がもう少し詳しく後述しましたので、次回にご紹介します。
今、改めて気づきましたが、三波にかかるとシンセの音が「ジャンジャジャーザー」なんだ…と。でも、たしかにこの曲の音色はジャー、ザー、ビーッでもあります。CDをお手持ちの方はお聴き直しの程…。
 さて、10月20日に、秋恒例の『三波春夫全曲集』がリリースされます。今回は、長編歌謡浪曲ではない歌謡曲ばかりの特集です。デビュー年である昭和32年リリースの「リンゴ船積み唄」ほか初CD化の曲や、「頑固親爺の浪花節」「男の峠道」などの人気の曲が満載です。ご購入頂けましたら幸いです。

 ではまた、来週金曜日に。

2010年10月22日

機械も人間が作ったもの 1

「三波春夫でございます」より

 私はこの時不思議なものを感じました。たった一言、彼の事を紹介するのを忘れたことは、軽い問題のようで決して軽くない重大なことと神様に教えてもらいました。
 

<続きを読む>

 本文に登場の笹川さんは、痩せ型でお顔も小さくて優しくて、という容姿でしたから、このトラブルの間によく倒れずに無事に頑張って下さった、と思いました。確かに、紹介し忘れたのが悪いのでした。
ではまた、来週金曜日に。

2010年10月29日

機械も人間が作ったもの 2

「三波春夫でございます」より

 終演後、彼はその時島田さんに背中をドヤシつけられた事など全然おぼえていなかったそうです。
 そして無事ステージは終わったのですが、私はここで日頃から思っていることを書き止めておきます。

<続きを読む>

 三波と機械、ということで思い出を辿りましたが、「ワープロ」が当たり前になった当時に「僕もワープロにしようかな」と、オソロシイことを私に打ち明けたので、絶対に無理ですから、とやめてもらった事がありました。「そうだねー」と、すぐに本人も自らの適応性を思い返して納得してくれました。ですからずっと、原稿は毛筆やペンや鉛筆で書いていました。また、私が仕事の連絡で頻繁に送っていたFAXについて、「どんなに書きなぐった字になってもいいから、手書きで頼むね」とリクエストがありました。私がどんな気持ちで書いているかが判るから、が理由でした。
ではまた、来週金曜日に。

2010年11月05日

機械も人間が作ったもの 3

「三波春夫でございます」より

 それにしても私の生まれて初めての体験はいろいろなことを考えさせてくれました。

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  パワステのライブにおいて、嬉しさと感動とともに新しきを知った三波が、故きを温ね直して書いております。このような見方で詳細な歌の芸の歴史を解説をした本「歌藝の天地(うたげいのてんち)」を1984年に出版(PHP社 2001年に文庫化)していますが、永六輔先生が『三波さんは歌う学者』と言ってくださったのはこの辺りの三波の一面からだと思います。
ではまた、来週金曜日に。

2010年11月12日

歌は世につれ人につれ 1

「三波春夫でございます」より

 ある国、ある民族の間でどういう歌が流行しているかを見ると、その国、その民族の生活感情というものがよく分かるのではないでしょうか。

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  2010年の今の歌を見ると、「今」がわかるのです・・・、ね。
 では、この続きは来週金曜日に。

2010年11月19日

歌は世につれ人につれ 2

「三波春夫でございます」より

 日本でも人気のある韓国のチョー・ヨンピルさんの『釜山港へ帰れ』などを聞いていますと、韓国の人達の民族感情が歌に凝結しているという気がしてきます。もっとも歴史的に見て、日韓両国の血は濃いのでしょう。胸にガンガンきます。

<続きを読む>

  『その声は、その魂の音色なり』と過去に三波が話していた言葉を、先日、神野美伽さんが「忘れられない言葉です」と、ご自分のリサイタルのステージでお話ししてくださいました。魂の音色である“歌”をカラオケでも鼻歌でも大いに唄って、人生を元気に進んで参りましょうー!(笑)
 ではまた、来週金曜日に。

2010年11月26日

歌は世につれ人につれ 3

「三波春夫でございます」より

 そのようなことを東京芸大の故・小泉文夫教授とお話ししたことがあります。その対談の際、日本のヒット曲には三拍子が多いということも教えていただきました。

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 小さい頃から歌が好きで。唄うと皆が笑顔になって歓んでくれるのが嬉しくて・・・。これが、「三波春夫」の原点でした。
ではまた、来週金曜日に。

2010年12月03日

年に一度の出会いでも 1

「三波春夫でございます」より

 歌を唄ってきてよかったと思うことはたくさんあります。とりわけ東京歌舞伎座の公演を二十年間無事につとめてこられたことには格別の思いがあります。

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  昭和35年に大阪新歌舞伎座で歌手で初の一ヶ月の芝居と歌謡ショウの大劇場公演を成功させてからすぐに、東京歌舞伎座から声が掛かりました。そして翌年8月、歌舞伎座の公演が開催されました。このときには、毎年8月に歌舞伎座で20年間ものあいだ連続して公演できるとは、本人も周囲も世間も誰も思えなかったことでした。そのはじまりに、演劇の神様といわれた松竹の創始者・大谷竹次郎氏が、「三波を育てよ」と仰ったそうですが、まさに白羽の矢を立ててくださったのはこの方でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年12月10日

年に一度の出会いでも 2

「三波春夫でございます」より

 お客様は意外に思われるかもしれませんが、舞台に立つ私からは前列だけでなく、かなり遠い席まで目が届き、お客様の顔がはっきりわかるものです。ああ、去年見にきてくださった方が今年も足を運んでくださった。ああ、あそこにお座りの方は今年で三回目の方だ。みなさん、お元気でよかった。本当にありがたいことだ。何年も続けているうちに、歌舞伎座公演にみえるお客様は昔からのおなじみという感じになっていきました。

<続きを読む>

 文中に村芝居とあるのですが、これは三波が「村芝居を腹の底から楽しむ」ような心持ちでお客様が楽しんで下さったと言いたかったので、決して村芝居のレベルで実施されていたのではないのです。歌舞伎座で上演する芝居。これは歌手芝居と揶揄されるようなものでは通用しないと、本人も制作側も大きな夢と覚悟をもって、花登筐さんの筆による芝居や多くの名優の助演を得て、完成度の高い芝居であるように努力を重ねました。そのときどきの社会に訴えるべきテーマを含んで、見ごたえのある芝居がありました。身内の私がこのように書くのも変ですが、当時を語る人も機会も少なくなりましたので、三波春夫の心意気の事実として書かせて頂いております。
 現在立替中の歌舞伎座ですが、閉場前に、これまで歌舞伎座で行われてきた「歌舞伎」がテレビ等で紹介されていました。しかし、歌舞伎だけが行われていたのではないのです。一年を通じてすべての月を歌舞伎公演のみで通すのでは屋台骨を支えられなかった時期があられ、中村(萬屋)錦之助さん、大川橋蔵さんという歌舞伎界から映画に進出なさってスターになられた方々のそれぞれの公演、そして三波春夫が、毎年連続して公演を務めておりました。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年12月17日

眠るも仕事のうちなり 1

「三波春夫でございます」より

 私の睡眠のコツは、第一に呼吸法――そして、もう一つが枕です。なんだとおっしゃる方がおられるかもしれませんが、枕を選ぶのは大切ですよ。なんといっても、健康のもとは睡眠ですから。

<続きを読む>

 旅慣れしていた三波春夫。枕を持って歩くことはしませんでしたが、ホテルの備品で睡眠のための環境を整えるのは上手でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年12月24日

眠るも仕事のうちなり 2

「三波春夫でございます」より

 皆さんも覚えがあるでしょうが、次の日のことを考えて早く眠らなければと思えば思うほど変に目が冴えてしまう。

<続きを読む>

  私がマネージャーになってすぐに、列車の乗り継ぎでずいぶんと時間のロスが出ることを恐縮しながら話したときに「旅は憂いものです」とニッコリ。即答で許しが出たことに私はホッ。≪そうだ、この人の旅のキャリアは長いもの。達観してるわ・・・≫と思ったものでした。
 さて、今年のブログ更新は本日までにさせていただきます。ご高覧頂きまして、ありがとうございました。来年は、1月7日に更新いたします。
 良いお年をお迎えくださいませ。
 

2011年01月07日

眠るも仕事のうちなり 3

「三波春夫でございます」より

 これまで自分に合いそうな枕をさんざん探してきました。

<続きを読む>

 新年、おめでとうございます。
 本年は2001年から数えて10年目になりますので、記念のリリースをいろいろと予定しております。
また、弊社の新しい企画もスタートさせて参ります。どうぞお楽しみになさってくださいませ。よろしくお願い致します。
ではまた、来週金曜日に。

2011年01月14日

イスラエルの野菜 1

「三波春夫でございます」より

 「天然の味」ということばがあります。

<続きを読む>

 特別に大事に育てられた野菜などは、味が違うことが判りますよね・・・。昭和初期の、ましてや田舎で子供時代を過ごした父は美味しい食材に囲まれていたわけで、こと食材の良さについてだけは、幸せ者だったのでしょうね。
 では、この続きは来週金曜日に。

2011年01月21日

イスラエルの野菜 2

「三波春夫でございます」より

 よりよい収入や収益をあげたい――つまり、人間が本来よりよく生きるということよりも、お金をどれだけたくさん得られるかという視点から、農業の在り方も変わってしまい、それが現代のさまざまな弊害を引き起こしているにちがいありません。思えば終戦後から津波が押し寄せるように日本人の価値観が変わってしまったといえるのでしょう。

<続きを読む>

 戦後に日本人の価値観が変わって。しかし今、その無理があった、メッキだった部分を見直して以前の良さを取り戻して行こうよ、という気運もあるように感じます。
「こんなに頑張った、こんなに素晴らしい日本人がいますよ」。そう知らせたいことが、三波春夫の、歴史上の出来事や人物を唄った歌づくりの根本でした。それらの作品から、日本人の心の良さ、賢さ、清清しさなどを再発見して頂けたら幸いです。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年01月28日

イスラエルの野菜 3

「三波春夫でございます」より

 かつて、ロケット博士として名高い、糸川英夫博士からお聞きした話です。

<続きを読む>

 先を見通して国を動かす。私たちは心から望むことですのに・・・。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年02月04日

イスラエルの野菜 4

「三波春夫でございます」より

 野菜でさえというと野菜に叱られそうですが、自給体制を忘れている国に、祖国を守る心があるといえるでしょうか。

<続きを読む>

 現在、TPPに直面していますが、本文にあるように「議論」の積み重ねは確かに為されて来たのでしょうか・・・。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年02月11日

みそ汁はふるさとの味 1

「三波春夫でございます」より

 夏の暑い盛りにどんなに食欲がなくとも、みそ汁だけはおいしくいただけるというのは素晴らしいことです。

<続きを読む>

 この本を父が書いた平成4年のころよりも現在の方が、発酵食品がカラダにヨイという認識が広まっている気がします・・・。
 では、この続きは来週金曜日に。

2011年02月18日

みそ汁はふるさとの味 2

「三波春夫でございます」より

 たとえば北海道や東北のみそ汁は塩分が多く、九州のみそ汁は甘く感じられますが、酒の好きな人から聞くと、鹿児島の料理をお湯割りの焼酎でいただくと甘ったるく感じられたみそ汁もおいしいという。料理はその土地の気候風土や材料やお酒などとも密接に関係しているということが分かってきます。

<続きを読む>

 労働の量の減少と保健の意識の向上で、日本各地の料理も塩分のことは昔とは状況が変わったことでしょうね。お蔭様で父は高血圧ではなかったので、塩分に気をつけなくてもよかったのですが。ところで塩といえば・・・余談の上、季節はずれのことですいませんが、スイカにお塩をかける習慣をお持ちですか? 父と私は「かけたい」派で、母は「絶対いらない」派でしたので。スイカを食べるときに必ず、「なんでかけるのぉ、かけなさんなったら」という父のカラダを思うばかりの母の抗議の一言が飛んだことを思い出しました(笑)。だから、高血圧じゃないってのに、という感じでした。
ではまた、来週金曜日に。

2011年02月25日

みそ汁はふるさとの味 3

「三波春夫でございます」より

 ある時、青森県内の仕事で郷土料理をいただきながら津軽民謡を聴かせてもらいました。

<続きを読む>

 「営業臭い営業は営業じゃない」・・・などと応用しながら、昔の人の知恵を考えるとヨイかもです。広く深い自分の中身を作れという意味もありましょうし、自分の業種ばかり見て他の世界を知らないのでは人生の幅が限られてしまうよ、ということでもありましょうか。
ムムム・・・、あらためて心しておくことにしまーす。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年03月04日

ゴルフは健康のバロメーター 1

「三波春夫でございます」より

 このあいだテレビでニュースを見てましたら、私たちの年代だと一日に二、三千歩歩くのがふつうなのだそうです。

<続きを読む>

 三波は37歳頃からゴルフを始めました。ゴルフに出かける日は、人違いか?と思うほど苦手の早起きを厭わず。「行ってくるねーっ」と出かける笑顔は、普段の笑顔に輪を掛け、且つ、開放されている輝き!これが、毎回ですから、本当に好きだったんですね、ゴルフ。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年03月11日

ゴルフは健康のバロメーター 2

「三波春夫でございます」より

 どうもゴルフ自慢に終わりそうなので、このへんで本題に入りましょうか。

<続きを読む>

 ゴルフのコンペというものは、少々の雨天であっても開催されます。ですから三波は、コンペのご招待を頂戴しても欠席のお返事をすることが常でした。文中にありますように、ゴルフで風邪をひくなどという事は有ってはならないと思い、用心のためでした。ゴルフ好きとしては、毎回とても口惜しい思いでお返事を書いていたことと思われます。
 では、この続きは来週金曜日に。

2011年03月18日

ゴルフは健康のバロメーター 3

「三波春夫でございます」より

 私の友人のなかにはゴルフ狂がおりまして、雪が降ってきたのに残り三ホールを赤いボールなら大丈夫だろうと頑張りました。

<続きを読む>

 このたびの東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
 父が若いときから毎年、そして私も一緒に仕事をしております約10年の間、東北の地に、伺わせて頂きまして、客席の皆様の笑顔とお会いさせて頂いておりました。
 一日でも早く、皆様にお健やかな笑顔が戻られますように、お祈り申し上げます。
  次回はまた金曜日に更新いたします。

2011年03月25日

ビリヤードの効用 1

「三波春夫でございます」より

 ビリヤードは「四つ玉」を突き当てるというのが基本ですが、その他にも玉が三個の「スリークッション」など、数々の種目があって楽しいゲームでありスポーツです。十五の玉を穴に早く落として点数を競うという「ポケット」もそのひとつです。

<続きを読む>

この度の大地震で亡くなられた多くの方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。被
災されて大変な思いをなさっていらっしゃる皆様に向けて、微力ながら私共が出来る
ことは、募金や物資のご提供、いつも思いを寄せさせて頂くこと。平和な日々の中に
大きな甘えがあったことを思い見て、見つめなおして、改めることに一生懸命になる
こと、と思っております。日本人の素晴らしさを誇りに思い大切にしてゆこうという
気運を、途絶えることなくずっとずっと持ち続けたいですね。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2011年04月01日

ビリヤードの効用 2

「三波春夫でございます」より

 平成四年、亡くなった作家の松本清張さんの代表作に『点と線』があります。

<続きを読む>

プロに教えて頂いてアーティスティック・ビリヤードという曲球も、いくつか出来た三波でした。イメージ、違います?(笑)
 ではまた、来週金曜日に。

2011年04月08日

記念撮影の朝

「三波春夫でございます」より

 褒章を 夫婦で一つ 菊の朝

<続きを読む>

  この頃、私はまだマネージャーではなく、三波にとってはシンプルに「娘」でした。
 “ただバンザイです”と書いた当時の自分の気持ちを振り返ってみますと、夫は13歳から、妻は9歳から他人の飯を戴くこととなって以来一生懸命に前を向いて生きて、その間に戦争や抑留も経験してという二人が、60歳を超えて笑顔をもって皇居に参上する姿を理屈じゃなく、ヨカッタねぇ、と思ったのでありました。
 さて、4月14日に3枚組みの新譜がリリースとなります。アルバム名は「三波春夫
歌の心 大全集」。ヒット曲、長編歌謡浪曲、浪曲口演の3部に分かれており、たっぷりと楽しんで頂けます。詳しくはトップページの「お知らせ」欄をご覧くださいませ。よろしくお願い致します。
 では、この続きは来週金曜日に。

2011年04月15日

昭和天皇のご下問 1

「三波春夫でございます」より

 昭和六十二年五月二十日――私ども夫婦は、前年の紫綬褒章受章者として、昭和天皇ご主催の赤坂御所での春の園遊会にお招きをいただきました。私ごとながら、その年は、私どもの結婚三十五年に当たっておりました。

<続きを読む>

 昨日は、三波の没後10年目の節目の日でございました。いまもって多くの皆様にご愛顧を賜りますことを、心より感謝申し上げます。これからも三波春夫の歌と心をお届けすることにシッカリと力を尽くして参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、19日火曜日のBS日テレ19時~19時54分「トクセン」は、三波春夫特集です。是非ご高覧くださいませ。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年04月22日

昭和天皇のご下問 2

「三波春夫でございます」より

 さて……、定刻までひとまず樹かげを求めて家内と歩いて参りますと、招待客の方々がとっと押し寄せて、「写真をご一緒に……お願いします」。

<続きを読む>

 24日(日)19時~21時 BS日テレにて、『没後10年 三波春夫スペシャル 不滅の金字塔!その歌藝のすべて』がオンエアされます。司会は徳光和夫さん。ゲストは、氷川きよしさん、天童よしみさんほか。私もちらりと出演します。どうぞご高覧くださいませ!
 ではまた、来週金曜日に。

2011年04月29日

昭和天皇のご下問 3

「三波春夫でございます」より

 国歌の吹奏が始まり、右手の小高い丘の上に、陛下のおでましです。

<続きを読む>

BS日テレにてオンエアされた19日の「トクセン」、24日の「歌藝のすべて」をご覧下
さった方々からたいへんにご好評を頂戴しまして、ありがとうございました。
内容が充実していたというお褒めの言葉が多く、本当にうれしゅうございました。

さて、来週の金曜日は更新をお休みさせて頂きます。
次回は5月13日に更新いたします。
よろしくお願い致します。

2011年05月13日

昭和天皇のご下問 4

「三波春夫でございます」より

 さて……。私は、心からうれしいときに、そのうれしさをこらえることができないのです。

<続きを読む>

このときの陛下との会話を三波が陛下の声色を真似て、講演会での話の中で“再現”したりしておりました。声色が結構似ていて、お客様に好評でした(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年05月20日

昭和天皇のご下問 5

「三波春夫でございます」より

 そのお言葉をうかがったとたん、全身からどっと汗が噴き出しました。感激の汗です。

<続きを読む>

 ここには書かれていませんでしたが、このときに秋篠宮殿下は三波に「あなたの時代物の歌はいいですね」とおっしゃったそうです。
 では、この続きは来週金曜日に。

2011年05月27日

昭和天皇のご下問 6

「三波春夫でございます」より

 昭和六十二年五月、春の園遊会――この日が昭和天皇のお姿に接することのできた最後の日になろうとは、もとより知る由もありませんでした。

<続きを読む>

 三波は仕事がら、「声」を聴く耳が敏感だったようです。その方の声の色、幅、落ち着きの度合いなど。それらを聞き取って分析して心の記憶帳にインプットしておくことは、浪曲を口演するときに“人物を演じ分ける”ことに役立ちました。あくまで自然体でそうしていたわけですが。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年06月03日

妹を抱いた観音様 1

「三波春夫でございます」より

 母は、私が七歳のときに亡くなりました。

<続きを読む>

三波の声の良さは両親から、またその先の先祖から受け継いだ遺伝子のおかげでもあったことと思います。三波の実兄である伯父の歌声を一度だけ聞いたことがあるのですが、たしかにノビのある声で、遺伝子はここにも、かと思いました。唄った歌は故里の古い民謡で、出だしから駆け上るメロディーどおりにスススーッと声が出るのはよかったのでした。しかし、『どこまで上がるの?』という音程の不確かさがご愛嬌で、聞いている皆が思わず吹き出して、本人も笑ってしまいまして。やはり持って生まれた才能も鍛錬が無いと原石のまま、と・・・。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年06月10日

妹を抱いた観音様 2

「三波春夫でございます」より

 幸いなことに、落ちた先が川原の湿地帯のどろどろした所だったので、命に別状はなかったのですが、身体をそうとう強く打ったのでしょう、妹は身動きもしません。私の叫び声で母は血相を変えて、川原に一目散に下りていきました。

<続きを読む>

 この妹も幼時に亡くなり、母親もその後すぐに亡くなってしまうのでした。昔のことで、良い薬がなかったので、無理ないことでした。少し短い間になってしまったけれど、精一杯に母親としても生きた人だったのだ、と、父は想って、胸を詰まらせていたのだと想います。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年06月17日

母についての聞き書き 1

「三波春夫でございます」より

 自分の知ることのできなかった母親についてのことだったら、どんな些細なことでも聞きたい――。七歳のころに母親を失った私は、特に母への思慕の情が強いのかもしれません。それ以前の母親像を思い浮かべるてだてがないのです。

<続きを読む>

 なぜ大きな茶碗を勧めたか、は次回、来週金曜日に。

2011年06月24日

母についての聞き書き 2

「三波春夫でございます」より

 母チャンがすすめてくれた意味は嫁に行ってわかりましたよ。

<続きを読む>

 このお茶碗の話は、以前にこのブログでご紹介したことがありましたが、本に書く前にも父から直接聞いたことがありました。
 この話に似たような、私が父から「嫁にいったら○○だからこうしなさいね」と教えて貰ったことがひとつだけあります。聞いたのは、お風呂に一緒に入っていたときのことですから、私が小学校の低学年のころのことです。『膝のおサラをこうやって手で覆ってごらん。そうそう。で、ちょうど自分の薬指の先のところね、ここは三里っていうツボでね、足が疲れたときに押すと疲れがとれるそうなんだ。美夕紀がお嫁に行ってね、疲れたなぁーって思ったときには、押すといいからね』
 実際、私が嫁に行ったのは、ここからはるか30年以上も経ってからでしたが、忘れずに三里のツボを押しておりマス。
ではまた、来週金曜日に。

2011年07月01日

父の安来節

「三波春夫でございます」より

 私の口からいうのもなんですが、父は商売は下手だったけれども、文人の気質を備えた人でした。

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祖父が父に民謡を教え、そのことで唄うことが大好きになった少年時代に浪曲に夢中になり、ことあるごとによく唄い語っては、「自分が唄うとオジサンやオバサンが歓んでくれて、みんなニコニコと笑顔になる。歌はいいなぁ」と思った。それが三波春夫の原点です。『私が歌手になる手引きをしてくれたのは、父親でした』と、三波はよく話しておりました。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年07月08日

安鶴さんとマイク 1

「三波春夫でございます」より

 ほめられて気を悪くする人間はいません。けなされれば、腹がたちます。人間とはそんなものです。

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 「安鶴」は、そのまま「アンツル」という読み方です。芸能界でもこのお名前を知る方は少なくなったかもしれません。私情ではなく公平で、鋭くて深い批評をしてくださる方々を有難いと三波は思っていました。私が舞台に立っていた頃、「どんな批評であってもね、どこかに当たっている点があるものだよ。よく自分を振り返らないとね」と話してくれたことがありました。・・・思い出しましたが、ちょっと相似形の父の言葉ですが、「下の者はね、上の人たちのことをよく見ているものだよ」ということがありましたっけ。これは、人の目を気にするようにという事ではなく、目下や部下に媚びろという事でもありません。自分の日頃の心の持ち方、物言いや態度を常々から意識して見つめるもう一人の自分の目を持って、自分を磨いていくべきだと、自分を振り返る大切さを言いたかったものでした。自分が自分への厳しい批評家たれ、ということかと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年07月15日

安鶴さんとマイク 2

「三波春夫でございます」より

 安鶴さんに舞台を見られる、それだけで私たちは緊張したものです。

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 歌舞伎座は歌舞伎のための劇場でしたから、音響設備が弱かったのですが、本文にあることがきっかけで補強され始めたのです。しかしながら、それからもずっと、歌謡ショーのための音響設備を整えるための三波と劇場スタッフの創意工夫は続いたのでした。
ではまた、来週金曜日に。

2011年07月22日

安鶴さんとマイク 3

「三波春夫でございます」より

 数日後。私は胸の高まりを抑えながら、安鶴さんの劇評に目をそそぎました。なんと書かれたろうか、素人芝居だなんて書かれたかな?と思いながら。

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 歌舞伎の殿堂の歌舞伎座で、三波春夫の一枚看板の興行をするその第一回目の公演のことですから、三波自身、大勝負の仕事だったのだと思います。
 明後日24日14時から、BS日テレで『没後10年・・・三波春夫スペシャル 不滅の金字塔! その歌藝のすべて』が、再放送されます。 司会・徳光和夫さん、トークゲスト・天童よしみさん、氷川きよしさんです。どうぞご覧ください。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年07月29日

松下幸之助さんのこと 1

「三波春夫でございます」より

 戦後を代表する日本人をあげるとすれば、私は躊躇することなく、松下幸之助先生、本田宗一郎先生の名をあげます。
 特に松下先生は、「我が師」と尊敬しています。

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 浪曲時代もどなたにも弟子入りをしなかった父は、自由に、尊敬する方々から学ぶ姿勢を持ちました。松下幸之助氏には、特に思い出が多いようでした。
ではまた、来週金曜日に。

2011年08月05日

松下幸之助さんのこと 2

「三波春夫でございます」より

 ある時私が直接お手紙をさしあげたことから、おつきあいをさせていただくことになりました。

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アツい男、でした(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年08月12日

松下幸之助さんのこと 3

「三波春夫でございます」より

 手紙には次のような内容を記しました。

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 ご返信までの日数の短さに、感じ入ります。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年08月19日

松下幸之助さんのこと 4

「三波春夫でございます」より

 私は返礼の気持ちを込めて、門真市の松下本社を訪問したことがあります。

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 父の傍に居たお陰様で、著名な方でもそうでない方でも、佇まいからして見事な方に数々お会いすることがありました。人としての心の持ち方の正しさから醸し出されるオーラなのでしょう。あらためて思い返して、自分を叱咤激励する思いです。
ではまた、来週金曜日に。

2011年08月26日

松下幸之助さんのこと 5

「三波春夫でございます」より

 またあるときのこと―。

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 この時に父はソニー製を持っていたのでした。松下先生に出会ってしまって、ほっんとうにっ!慌てたようです。帰宅後、家でこの話を「いやぁ、びっくりした!」と、聞かせてくれたことを思い出します。
 さて、28日19:30~20:54NHKBSプレミアム「三波春夫~歌芸一筋に生きた道~」の放送がございます。ぜひご覧ください。
 また、29日は銀座・山野楽器7Fイベントホールにて14:00開演で「三波春夫フィルムコンサート&トークショー&三波流舞踊披露」が開催されます。

 ご来場をお待ちしております。

2011年09月02日

松下幸之助さんのこと 6

「三波春夫でございます」より

 ……松下先生とは、最後の最後までお付き合いさせていただきました。

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 “謙虚さを忘れずに働いて、人の喜びを自分の喜びとする”。
 肝に銘じましょう…。
 さて、28日放送の『三波春夫~終り無き歌藝の道~』がたいへん好評を頂きました。ありがとうございました。
 再放送は、9月23日16:00からです。見逃された方も、是非ご覧ください。
 また、29日の『フィルムコンサート』は、秘蔵映像もいろいろとお見せして予定時間をオーバーしてしまいましたが、ご来場の皆さんが映像の三波と一緒に唄われたり、拍手をなさったり、涙を流されたりして、それぞれにお持ちの思い出を辿られながら、楽しんでくださいました。
 坂上みきさんのMCと川中さんのトークがまことに面白く、当然とはいえお話の上手さに客席も沸きました。
 川中さんはことあるごとにお話しくださいますが、この日も“三波先生の心を継いで唄っていきたい”とおっしゃてくださいました。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年09月09日

松下幸之助さんのこと 7

「三波春夫でございます」より

 敗戦に打ちひしがれた日本人に対して、「このままでいいのか」と叱り、民俗の誇りを訴えた雑誌『PHP』の創刊は、昭和二十一年のことでした。

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尊敬するこの方と親しくさせて頂いた思い出は、ずっと宝物のように心にあったようです。

ではまた、来週金曜日に。

2011年09月16日

本田宗一郎さんのこと 1

「三波春夫でございます」より

 日本のホンダから世界のホンダにその地位を高めた自動車王、本田宗一郎さんと初めてお目にかかったのは、東京・小金井のゴルフ場でした。

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 観客の喜ぶ姿に共感、といえば、三波自身も他の方の舞台を見たときの喜び方、リアクションが大きかったのでした。

さて、次の更新は来週23日の金曜日ですが、この日の16時~17時30分NHKBSプレミアムで『三波春夫~歌芸一筋に生きた道~』の再放送がございます。どうぞご覧ください。

2011年09月23日

本田宗一郎さんのこと 2

「三波春夫でございます」より

 私が『大忠臣蔵』を発表したあとのことですから、今から二十年ほど前のことになりますか。

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 本当に「格好いいな」。遅いことなら誰でもやる、ですぞ…。
 さて、本日16時からNHKBSプレミアム『三波春夫~歌芸一筋に生きた道~』の再放送がございます。是非ご覧ください。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年09月30日

本田宗一郎さんのこと 3

「三波春夫でございます」より

 でも、その半面、いつも夢をふくらませ、新しい技術の開発にはとても熱心な方だったのです。

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 本田氏のお話を直にきけた父がうらやましいと思ってしまいました。
凄いお方ですよね…。

 ではまた、来週金曜日に。

2011年10月07日

本田宗一郎さんのこと 4

「三波春夫でございます」より

 そして思い出したことが一つあります。

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 一緒にいる三波をたててくださるお気遣い…。ご自分のあとは「若い人々がやってくれる」とおっしゃれる潔さと、それまでの日々に、精神がちゃんと引き継がれるようにしようと、ご指導されてこられた信念を思いますと、偉い方だなぁーとしみじみ感じ入ります…。

ではまた、来週金曜日に。

2011年10月14日

四人の『長谷川先生』 1

「三波春夫でございます」より

 つくづく不思議に思うのは、私には師と仰ぐお方に、なんと四人の強い個性を持った『長谷川先生』がおられましたことです。

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今はテレビをはじめとして情報が溢れていますから、文中にあるような“この人から英語の言葉を初めて聴いた”というようなハッキリしたことはなさそうですね。でも、人からモノを教わるのは素敵なことだ、と改めて思います。
ではまた、来週金曜日に。

2011年10月21日

四人の『長谷川先生』 2

「三波春夫でございます」より

 次のお方は大衆演劇の父、『長谷川伸先生』です。私は『雪の渡り鳥』を歌って以来、重要な芸の指針を与えられました。

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 「日本人の中には偉い人がたくさんいるね」というお言葉に衝撃を受けた三波。
実力が上がり、大きな仕事が出来る時期に入って忙しく過ごす自分の心を見直して“人は人の良いところを見ていくようにしなければならない。人の批判をするのは簡単。だがそれをする前に、まず己れをどう磨いていくかに懸命になるべきだ”と、気づかされたのだと聞きました。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年10月28日

四人の『長谷川先生』 3

「三波春夫でございます」より

 次のお方は名古屋・御園座の『長谷川榮一会長』です。惜しくも先年世を去られましたが、芝居博士と言われるほど、博学と熱意を持っていることで有名なお方でした。

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 三波が目をキッラキラさせて長谷川会長のお話をうかがっていた様子を思い出しました。私も父のおかげでお会いいたしましたが、品格あふれ、思いやり深い方でいらっしゃいました。昭和35、36年、そして御園座の消失再建を経て39年から55年まで毎年1月は、御園座にて『三波春夫特別公演』と銘打つ一ヶ月公演をしておりました。

ではまた、来週金曜日に。

2011年11月04日

四人の『長谷川先生』 4

「三波春夫でございます」より

 さて、四人目の長谷川先生は、映画の『長谷川一夫先生』のことです。

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ちなみに、三波はハンディ13でした。40台で廻っていましたが、不調のときは53とかの数字がありましたっけ。
 人と人の間が空かないようにして写真を撮る、ということは影響を受けて私も気をつけるようになってしまいました。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年11月11日

四人の『長谷川先生』 5

「三波春夫でございます」より

 また『塩原多助』の芝居は忘れられない思いでのひとつです。

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 芝居では、三波は殿様も浪人も演じましたし、芸道もの、商人ものも当たり役でした。この「塩原多助」の芝居は、浪曲調の歌が入るミュージカル的な場面もあり、好評でした。主題歌である『長編歌謡浪曲 三遊亭円朝原作 塩原多助』も聴かせる歌になっております。6月22日リリースの「終り無き歌藝の道」にも収録されていますので、どうぞご清聴ください。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年11月18日

頑固一竹さん 1

「三波春夫でございます」より

 「一竹辻が花」の久保田一竹さんをご存じでしょうか。私はこの辻が花のきものを舞台で着ますが、実に着やすく、しかも豪華、品格のあるきものです。

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 この辻が花の着物はとても軽く、体に気持ちよく添ってくれて、着ていて楽です。衣装の着心地は大切なことですので、こちらを三波は本当に気に入っておりました。
 さて、明後日20日18:45~19:29に、NHKBS『没後十年 三波春夫の世界』がオンエアされます。どうぞご覧くださいませ。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年11月25日

頑固一竹さん 2

「三波春夫でございます」より

 それはさておき、一竹さんは第一級の高名な伝統工芸家です。

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 新しい夢。どんな立場であっても、それを描いて実現させる努力こそ、と思います。
ではまた、来週金曜日に。

2011年12月02日

一杯の珈琲の味 1

「三波春夫でございます」より

 「これほど長い芸能生活で、やくざ関係の人とまったく交際がないのは、芸能界七不思議に属しまんな」
 「僕は理論的でないのはダメなんだなァ」
 「それにしても、政界との金銭関係で、いろいろ話題の新潟県出身のお方がおられるけど、これもまったく関係おまへんな」
 「そうです、その方には一度歌の仕事で呼んでいただき、どうぞ遊びに来て下さいといわれましたが、私は、この立志伝的な凄い仕事を成し遂げたお方は、遠くで眺めているほうが魅力的だなと思っていたんですよ」

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この続きは、来週金曜日に。

2011年12月09日

一杯の珈琲の味 2

「三波春夫でございます」より

 その男の目を私は黙って見ていました。
 するとこの時、楽屋の廊下を走ってくる人の足音と共に、
 「どこのもんや、なんばしよると」
 ガラリと戸を開けて劇場の女主人が入って来ました。するとその男は「あッ」と声をあげると刀を鞘に納め、一目散に逃げ出してゆくではありませんか。

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この話の決着は、来週金曜日となります!

2011年12月16日

一杯の珈琲の味 3

「三波春夫でございます」より

 そして顔役の待っているテーブルへはほかの若い衆が案内しました。初対面の挨拶を交わし私が腰を下ろしたら、女性が静々と一杯のコーヒーを運んで来ました。

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 三波は、どなたに対しても出来ることはやるし出来ないことはやれないと、きちんと対応することが最良だと、そのように行動する人でした。マネージャーの私としてもとても分かり易くやり易く。今から思いますと有難いことでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2011年12月23日

たった一度の大失敗 1

「三波春夫でございます」より

 昭和三十三年から毎年続いた名古屋・御園座公演での出来事です。
 もう二十年も前のことですから、時効ということでお話し申し上げます。

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『三波春夫特別公演』の三波春夫が倒れてしまって、どうなったでしょうか…。
続きは来年1月13日金曜日とさせていただきます。
 
本年もお世話様になりまして、まことにありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

2012年01月13日

たった一度の大失敗 2

「三波春夫でございます」より

 そのうちお医者さまが見えて、診断してくださいました。血圧を計ると、
 「上が六五、下が四○、これでは絶対安静です」

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 遅ればせながら、新春のお慶びを申し上げます。
本年は本日からブログをいたします。どうぞよろしくお願い致します。

 本文にあるようにこの休演の原因は、年末年始も休まずに仕事を続けていた疲れが出たのと、薬の間違った服用法などが重なったことであり、三波春夫の一生に一度の休演でした。
舞台に出てお客様にご挨拶しなければと思うのに、血圧が下がっていて自分のカラダが思うようにならない状態。周りの人たちが揃ってオロオロとする中、このようなときにも気丈なウチの母は各所の担当者に指示を重ね、謝罪のために舞台に出る三波に、車椅子に乗せるにしても着物を着せようとしますが、立とうとする気持ちはあってもヘナヘナと倒れ込んでしまって出来ない。で、そのホッペタを一発ピシャリとビンタして「しっかりしなさい!」と檄を飛ばしたそうです。思わず三波が軍隊を思い出した、などという余裕もなかったでしょうけれど…。ここから一晩中、本人はもちろん、母も念じる復活への戦いが始まりました。
 ではまた、来週金曜日に。

2012年01月20日

たった一度の大失敗 3

「三波春夫でございます」より

 この日は不幸中の幸いといいますか、昼・夜、ナショナル劇場観劇会の貸し切り興行にあたり、お客様には日延べの日にもう一度お越しいただくこととなりました。また経費の負担は私の会社でもする事といたしました。

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 休演の決定から20時間に満たない間の勝負。なんとしてもこの間に回復させて、三波を翌日の舞台に立たせなければという一念。母は食事や睡眠など自分のことはまったく忘れ、夜通しで、楽屋に敷いた布団の上の三波を見つめました。熱を測り、発汗の様子と顔色を読み取って手当てを続け、明け方に「大丈夫。きょうはやれる!」と思ったそうです。そして、おかゆが食べられるかと聞くと、食べると言う。さっそく食べさせて体をマッサージしながら、山のような励ましの言葉をかけ続け、とうとう次の日の舞台を開けることが出来ました。 
 本人も一晩で治らなければとさぞかし必死だったでしょうが、しかし、やはりこの大失敗の申し訳無さは後々まで消えるはずはなく。このように本にも記して懺悔の態。夫婦の語らいではしばしば話題に出て、傍らの私にこのときの話を聞かせ、そのたびに父は母に“思い出し叱り”をされる形となっていました。…こんな、ご家庭でよくある風景が当家でもよくございました(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2012年01月27日

たった一度の大失敗 4

「三波春夫でございます」より

 私は、このたった一度の休演、不覚と恥じるばかりですが、思い起こすにつけて「お客様は神様です」と感謝するのです。

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 お陰様で、このような失敗は生涯で一度きりとなりました。どなたでも、多忙な仕事の日々を送りながらもちゃんと健康を保つことは大変なことと思います。腹八分の食事、良い睡眠、過度にならない程度の良い運動、等といろいろと健康法が言われていますが、どうかご自分のために、またご家族のためにも、お体を大切になさってください。
 そして、三波春夫の明るい力のある歌をお聴き頂くという健康法も是非…!
 ではまた、来週金曜日に。

2012年02月03日

「左甚五郎」の亀 1

「三波春夫でございます」より

 「この亀を抱いて祈れば格闘技に勝つ」――という不思議な伝説を持つ木製の亀が群馬県前橋市亀里町に鎮座している。作者は飛騨の匠とのこと。赤松材の直径七十五センチほどで口に巻物を喰わえています。

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宮田保夫氏の御役職は当時のものです。
逸話をヒントに、浪曲作家・三波が作ったお話は次回からお届けします。
来週金曜日に更新いたします。