<八島>
本日から、平成5年発刊の三波春夫の著書『三波春夫でございます』をご紹介して参ります。週1度、毎週金曜日に更新致します。どうぞよろしくお願いいたします。
この本は書き下ろしのエッセイ集です。三波の筆というのは、それまでは、日本史や芸能史の研究論文といえるようなもの、またはそれをドラマ仕立てにしたものがほとんどでした。
エッセイであっても、自分の身のまわりに起きたチマッとしたものは書かず、太字で大きく書いて社会に問いかけるような、フォルテ記号が踊っているようなものが多かったのですが、この『三波春夫でございます』は、ソフトタッチで三波にエッセイを書いて貰いたい、という企画で出来たものです。
本の帯には“モットーは「一緒に楽しく生きようよ」 歌謡界の大御所が語る生き方のコツ、人生の味わいそしてちょっといい話”と、書かれてあります。表紙には、三波の顔の超アップ。70代の入口に立った頃の、三波春夫の著述をお楽しみくださいませ。
本日のご紹介は、デビュー曲「チャンチキおけさ」誕生の逸話の章、前半部分。
新人歌手にもなっていない前のお話です。なお、文中の“文芸部”とは、現在でいえば制作部のことです。
ではまた、次回に。
<八島>
文中の“吹き込み”という言葉は、もちろんレコーディングのことです。ムカシは吹き込みと言ったのです。それこそ三波春夫よりもっと前のムカシの録音マイクは、ラッパの反対向きというか拡声器を逆向きにしたような形の物に向かって歌うという、まさに歌声を吹き入れるような恰好だったようですから、言い得て妙の言葉です。
私も、物心がついた頃から周りで「明日は吹き込み…」「吹き込みが済んでから…」などと言っており、父のマネージャーになってからも三波夫婦(母は事務所の社長でした)に対しては『吹き込みの日を決めましたが…』などと言っていたので癖になり、今だに『吹き込み!!』と大きな声でふつうに言ってから、(わー、吹き込みって今ドキ言っちゃってー)と、ひとりで真っ赤になっていたりします。
でも、ムカシの日本語はあったかくて好きです(笑)
ではまた、次回に。
この章は、昭和28~29年頃のことを書いています。24年秋に、4年間のシベリア抑留から帰国して浪曲の舞台に復帰し、27年12月に結婚。その後、南篠文若の曲師は妻が務めることになり、夫婦揃って藝の研鑽の日々。そのあたりのことです。
敗戦から復興へと日本がだんだんと力をつけてゆく時代。人々は、その気運を応援するような勢いの有る陽性のものを、エンターテイメントにも求め出していたことの実例といえるでしょうか。
この、南篠文若の浪曲と余興のアリランやトラジを、『観ましたよ』『聞きましたよ』とおっしゃる方々にお会いすることがあります。全国各地でお会いしますから、南篠文若がたくさんの土地を訪れて興行をしていたのだと実感します。『小さい会場でした、倉庫を改造した俄か仕立ての。お父さん、いい声でねえ。印象的だったから、記憶にずっと残ってましたよ…』と、私に話して下さった方は70歳を超えた男性でした。
どんな小さな会場でも、来場されたお客様に最大限の満足をもってお帰り頂くことが鉄則である、と自分に課していた若い浪曲家時代。この頃の思いは生涯変わりませんでした。
ではまた、来週金曜日に。
曲師は、舞台中央に居る演者の方を向いて座って三味線を弾いています。曲師と客席の間には屏風が立てられていて、姿は隠れています。その屏風の陰から、演者の口演がお客様に上々にウケているか、もうひとつなのか、を察知し、例えば口演のノリが悪いようであればテンポアップを示唆する含みのある三味線の合いの手を入れて、演者のナビゲートをするのです。曲師の感性が鋭ければ、演者はたいへん助かります。芝居は、上手い役者とやらせてもらうことで藝が伸びるといいますが、上手い曲師もダイレクトに演者に影響を与えたようです。
ではまた、来週金曜日に。

昭和三十年ごろのことでした。私はキングレコードから出た三橋美智也さんの大ヒットに大変刺激を受けました。民謡調の歌謡曲がヒットするのなら、浪曲調歌謡曲の世界があってもいいのではないか。やっぱり歌謡曲の時代が来ているぞ、と。
三波の伴侶は、私の母ですが(笑)その芸歴については、ひとつ前のブログで全編をご紹介した三波の自叙伝『すべてを我が師として』に詳しく書かれています。母は9歳から藝の世界に入り、三味線、鳴り物、舞踊、話藝などを身につけ、歌舞伎舞踊から色ものまでを上演する一座で活躍していました。そして27歳で「南篠文若」と結婚し、自らがライトを浴びていた舞台を降りて、曲師を務めるようになったのでした。身内の私が言うのもナンですが、母の藝の勘は大変に鋭かったです。『三波春夫』の創造は、三波夫婦ふたり揃ったからこそ出来たことでした。
ではまた、来週金曜日に。
三波春夫という人は「自分はこれだ!!」と決めて藝の道にまっしぐらに突き進みました。B型でしたので…、(笑)というのは冗談ですが、これ!と決めたことへの集中力は絶大でした。自分の藝のために為すべきことを、休むことなく常に実行しつづけた人でした。
唄う以外の姿といえば、本を読み新聞を読み原稿を書き…。『勉強』の二文字を怠らない人でした。政治経済の分野にも一家言をもっていて歴史には特に詳しく、たとえば地方公演の移動での車中の会話では、いつもそういうテーマで話が尽きませんでした。
晩年にお付き合いが深かった永六輔先生が、ある時、三波に向かって「三波さんは『唄う学者』です」と、おっしゃった時にはその場の皆でウケて笑ってしまいましたが、確かに…。今思い返しますと最適のキャッチコピーだった気がします。
ではまた、来週金曜日に。
この『三波春夫でございます』を執筆していた平成4年は、バルセロナオリンピックが開催された年でした。そのオリンピックの終了直後、バルセロナの陸上競技場ど真ん中に組まれた櫓の上で三波は「ハウス東京五輪音頭」を唄いました。その回りでは地元のスペインの方々が何百人も浴衣を着て輪になって、歌に合わせて盆踊り。フジテレビの歌番組『MJ』にての中継出演。そのためだけの、三波一行2泊だけのバルセロナへの旅でした。
ではまた、来週金曜日に。
“休暇を目の前に”や“休みになったとたん”に体調を崩した、ということはよく聞く話ですね。休めるぞー、ということで心身のどこかがホッと緩みすぎちゃうんでしょうか。そして、過労から免疫力が落ちて…といこともよく聞くことですね。本日これを読んで下さったのも何かの縁です。どうか、お忙しい方、ストレスの多い方におかれましては、健康は自ら勝ち取る思いで、日々をお過ごしください。7年近くPSA検査を広める活動をしておりますが、医療関係者のお話しを伺いますと、やっぱり定期的な健診などを自分で心がける事が良いのだと、つくづく思います。
なお、文中の「百年桜」は、本年10月21日リリースの『三波春夫全曲集』に収録されております。
さて、お知らせを致します。今週から『歴史時代書房「時代屋」』さんの“神田小川店”と“新百合丘オーパ店”で、三波春夫グッズを販売中です。グッズは、飾り扇子・携帯扇子・湯のみ。三波春夫の「お客様は神様です」「夢」などの文字とサイン入りです。
書籍『熱血!日本偉人伝』『聖徳太子憲法は生きている』やCD『長編歌謡浪曲スーパーベスト』のシリーズも販売されています。どうぞ店舗へお出かけください。
ではまた、来週金曜日に。
「その夜、ジュリアナ東京はノリノリで踊る若者で超満員。場内に響き渡るのは三波春夫のナマ歌…って、え?なに?三波春夫? そうです、ステージにはなんとアノ三波春夫が満面の笑顔で立ち、ハウスミュージックメドレーを披露したのですぅー」というカンジで、平成4年の暮、ジュリアナの貸切イベントにて、メインゲストとして登場した三波春夫でした。
ではまた、来週金曜日に。

早くから客席いっぱいに詰めかけたお客様のどよめきが、舞台うらには、潮騒のように聞こえているに違いありません。やや離れた楽屋には、華やかな出の瞬間を待って、じっと間合いをはかり、呼吸を整えている主役。楽屋のうちに、静かにみなぎってくる緊張……。
<続きを読む> このシャックリの話に限らず、演者のそのステージの完成を目指す強く高い意識と、お客様から送られる愛情あふれる熱い期待があわさってステージに起こった奇跡は、エンターテイメントの世界にたくさんあると思います。そういった世界で力いっぱい仕事が出来た三波春夫の一生は幸せなことだったと、つくづくと思います。
ではまた、来週金曜日に。
奢りの気持ち。これは、立場や職種を問わず、自分の心に絶対に育ててはいけないもの。その姿勢は父の晩年に一緒に仕事をして、勉強させてもらったように思います
さて、「お知らせ」です。今月26日土曜日(午前10:05~11:35)にNHK総合テレビにて、『昭和歌謡黄金時代~三波春夫と村田英雄~』がオンエアされます。以前、NHKBS2で二度オンエアされたものの再々放送です。大変に好評を得た番組ですので、ぜひぜひご覧ください。なお、北海道のみ、12/31 10:05~11:35のオンエアとなります。
ではまた、来週金曜日に。
「お客様は神様です」の本意につきましては、オフィシャルサイトにてご覧いただけましたら幸いです。
さて、前回お知らせいたしましたが、明日NHK総合テレビにて、『昭和歌謡黄金時代~三波春夫と村田英雄~』がオンエアされます。午前10:05~11:35です。
なお、北海道のみ、12/31 10:05~11:35のオンエアとなります。
どうぞご覧ください。
では、次回は来年1月15日(金)に更新いたします。
本年もお世話様になりました。ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
本年最初の更新を致しました。この一年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、本日の本文は短気からの行動についてです。前にもお話ししたとおり、亥年生まれの猪突猛進型の三波春夫は、仕事に入るとまっすぐに集中していくアツイ人でした。ですから、お客様に最高のショウをお見せしたいという思いで一所懸命に仕事をしているときに不熱心なスタッフがいると、それがとっても厭だったようです。座長を務める方はどなたでもそうだと思いますし、仕事であれ遊びであれ、皆で力を合わせて何かをするときにはそういうものですよね。ただし、コーラの瓶はいけません…。というのと、ムカシはコーラは瓶が当たり前だったとはいえ、あまりコーラ瓶が三波の周りにあった試しは無いので…その時にたまたま飲んだものだったのでしょうけれど、不思議なものです。とにかく、人間どんな事があってもキレたらいけませんね。キレた方が人間が小さいことになってしまうのだと肝に銘じるくらいが良いのかもしれません。
ではまた、来週金曜日に。
三波の公演のバンドメンバーは、終演後に皆「今日も『やったーっ!』って気がする」と…。そう口に出す方もいれば、ドッと疲れた方もいて。三波春夫の歌は、ふつうサイズの歌謡曲はまだしも、長編歌謡浪曲の伴奏をするとなりますと、根本が浪曲の伴奏である三味線のテを演奏することになるので、バンド本来の洋楽要素だけではなく、超がつくほど“間(マ)”が大事、ニュアンスも大事。それを大勢で息を揃えて演奏するのは、指揮者も大変でプレーヤーも汗!です。
でも、「プロの仕事をしたーって感じ、を持って、一日の仕事が終われるのが良い」と、いつも頑張ってくれていました。
ではまた、来週金曜日に。
良い声と声量には睡眠が大事。
これは三波の周囲にとっての鉄則でしたから、私もムカシから父の起床が午前10時を回ろうが、「良く寝て頂いてヨカッタです!」という気持ち以外になにもありませんでした(笑)。三波春夫の時間割はずっと、昼は公演や収録、夜に原稿を書くというものだったこともありまして。朝の訓示もない人でヨカッタです…。
本文にありました舞台衣装のことですが、贅沢とはいえないと思いますし、舞台のきものをお客様が楽しみにしていらっしゃることを承知しており、ご期待にこたえるように、呉服店に発注してデザイン等を指示する担当の母が細かく神経を配って衣装を作っていました。ですので、三波自身はお値段を詳しくは知らなかったと思います。
「舞台衣装は良いものを、本物を着る」という母の揺るがぬ方針を熟知していたから書いているのでしょう。万年筆などの筆記具は、三波が自分で選んで買い物をする数少ない品のひとつでした。
ではまた、来週金曜日に。
あくまで私の個人的な考えなのですが、演者は、私生活においてお金の勘定をしないで済むならばしないに越したことはないと思ったり致します。もちろん生活上の普通の算数は必須事項ですが、余計なことでお金勘定をしていると、どうしても人相に出るような気がするのです。そのデンで言いましたら「みんな妻任せです」という三波はよかったでしたが、その分母は大変でした(笑)。
ではまた、来週金曜日に。
自叙伝『すべてを我が師として』にも書いてありますが、友人の紹介で生涯の伴侶に巡り会った時のことです。三波は当時痩せていて、若い時の王貞治氏のようなベース型の顔をしており、そこに綺麗に撫で付けられたオールバックの髪、近眼メガネ、白い開襟シャツに地味なジャケットです。私も当時の写真を見たのですが、母に同感。「税務署の方から来ましたー」と玄関を入って来そう…。でも笑顔が底抜けに明る過ぎる税務署の人だったですが(笑)。
ではまた、来週金曜日に。
厄介な新米ご主人ですよね…。ちなみに指輪を買ってあげていないです、この御主人は。母から聞いておりマス(笑)。でも、母自身も、まずは仕事の物をという気持ちだったそうです。本当に母の生き方は生涯、「三波春夫の仕事第一!」。まことにはっきりと、オトコマエでした。
ではまた、来週金曜日に。
母の三味線の音色について、以前もブログでお伝えしたことですが、「ペンッ!!」とひとバチ弾いたその音から聴く人の背筋をシャンとさせるような、ビシリと響く音色でした。
悪い事をしてないのに「すいませんっ」って言っちゃいそうな迫力と言いますか(笑)。例えば、和太鼓のいい音を聴くと「キターッ」って思ったりするじゃないですか。あの感じの、なんかもっとコワい感じです(笑)。
ではまた、来週金曜日に。
この書籍「三波春夫でございます」が出版されたのが1993年。
現在でしたら、本文のような記述とは違った内容になったことでしょう。
ではまた、来週金曜日に。
三波から直接聞いた思い出話ですが、13歳から始まった米屋奉公の当初。自転車の荷台に米袋を積んで配達に行ったところ、納める先の天丼屋さんの店先で自転車ごと転んでお米が道にこぼれてしまったそうです。でも、お店のご主人が一緒に米を拾ってくれて、天丼まで御馳走になったということ。この話を聞いた時はまだ私は20代だったのでそれほどでもなかったですが、今の年代では深く感じ入るものがあります。
最近、仕事で必要だったので三波春夫のトーク番組のビデオを見ていたのですが、その時の話の中で、『人を大事にすると、自分が大事にされるって言いますでしょう』と、三波が発言していましたが、この天丼屋さんの話はまさにそうでした…。
ではまた、来週金曜日に。
イノシシ何枚、って、今や全くわからないですよね。聖徳太子のお札も知らない方が増えていますものね。
さて、お知らせを申し上げます。三波の命日の14日に、恒例のCDリリースがございます。今回は、『長編歌謡浪曲スーパーベスト5』です。時代物「関の弥太っぺ」等の他、川で溺れる生徒を助けるために殉職した教師の話を描く「花咲く墓標」、ジュラ紀を描いた「恐竜王物語」などの珍しい作品を収録しています。是非、お買い求め下さいませ。
ではまた、来週金曜日に。
加藤清二郎さんは、浪曲時代からご後援下さり、歌手・三波春夫になってからは後援会の会長に成って頂いておりました。1924年(大正13年)に“簡易洋食”と銘打った『須田町食堂』を開かれ、その後の上野の『聚楽』ほか数々のレストランでお客様にリーズナブルに洋食を提供なさいました。人々の思い出にしっかりと残るお店ばかりでした。現在、聚楽チェーンはお孫さんが社長でいらっしゃいます。
ではまた、来週金曜日に。
以前も書きましたが、お年を召されても加藤清二郎さんは背筋がピーンと伸びておられたことがとても印象的な方でした。三波は心から尊敬しておりました。
ではまた、来週金曜日に。
あらためて“神棚にあげて歓んでくださった加藤氏”を考えますと、あたたかいお方だったのだと感じ入ります。
母のことですが、三波は生前、講演や取材の折に、『悪い女房を貰うと一生の不作と申しますが、お陰様で我が家は大豊作でした』と笑顔で語っておりました。妻には生涯、感謝感謝の三波春夫でした。
ではまた、来週金曜日に。
生前、インタビューなどで話していたことですが
「沈黙は金、と言いますが、雄弁はダイヤモンドだと思います」。
人と触れ合って、向き合って話をしてみて、確かな心のやりとりがあって、という土台の上で生きていきたいというタイプの人でした。
ではまた、来週金曜日に。
ある番組で「叩き上げの三波さん」という形容をしていらっしゃいましたが、実直な生き方は、色々な人の生き方を見た上で選択したものだと思います。
ではまた、来週金曜日に。
尊敬してやまなかった二宮尊徳さんのお話です。平成9年に開催した永六輔氏とのイベント『爆笑教養講座』の舞台の上に“柴を背負って本を読む金次郎像”があり、その前で永氏が三波に聞きました。
「きょう、三波さんが二宮金次郎について話をするっていうからこの像を置いたんですけど。なんで、この人は、歩きながら本を読んでいるんでしょうかねえ」
「いえ、永さん、違うんですよ。金次郎さんは山で柴を取って来て、それを売った代金で本を買って、仕事を終えてから本を読んだんです。ですから、おなじみのこういう像は、それをいっぺんに表現したものなんです」
これを皮切りに、三波による尊徳さんの話はエンエンと続き、客席は静まり返ったのでした…。
ではまた、来週金曜日に。

借りた金は事業資金として、五年間は無利子。そして、返済をする時に、一割または二割の利子を、おかげさまでと、感謝の心をこめて返納という、情と理に叶ったものでした。ですから、みんな頑張って借金を早く返して仲間の期待に応えようと頑張ります。尊徳先生は、こんな素晴らしい制度を江戸時代に作ったのですから、まさに民主主義の祖であり、心温かな哲学者でもありました。
「研究してみたところ、物凄い人物だった。これを世の中に伝えたい。皆さんの勇気の源にして貰えたら幸い」と、歌詞として書きまとめて、曲をつけて唄う。どう書いたらいいのだろうと苦心しつつも、恐らくいつもその仕事を心底から楽しんで実行していたのが三波でした。やがて出来上がった作品を新曲としてレコーディングする日を迎えるわけですが、このレコーディングという作業が本人の「一番好きな仕事」だったのでした。
ではまた、来週金曜日に。
自叙伝「すべてを我が師として」に三波が詳しく記述したところがありますが、母は自分の両親と縁が薄い人だったので『専門職について自分で食べていけるように』という周りの大人達の計らいで、9歳で芸界に入りました。旅公演を続けながらの芸の修業は厳しくて、人の居ないところで涙をこぼす日々。でも、運命や環境に負けちゃいられないと、一人前の舞台人になるためにまっすぐに努力をしたのだそうです。何十年経ってからも、ふとした事でその頃の自分を思い出し、ジワーンと涙をためながら私にも思い出を語ってくれたことがありました。父は自らの経験と重ねながら、私以上にとても深く、母に共感していたのだと思います。
ではまた、来週金曜日に。

共産主義の崩壊から手さぐりの市場への移行へと迷走し続ける旧ソ連邦。そのなかのある共和国の議会が、下落し続けるルーブル貨幣の復権のために、一ドル一または二ルーブルに、その国だけでもデノミネーションの措置をとることを決議した、という話題が、新聞の外報欄に小さく載っていました。
シベリアに4年間抑留された経験から、旧ソ連の共産主義を勉強せざるを得ないことになり、帰国後もずっと、ロシアの歩み方を注視していました。多くの抑留経験者と同じく、語り切れない様々な思いや考えと共に、だと思います。
ではまた、来週金曜日に。

私はもう十何年も前から、このことを話していますが、もしデノミをやることになるとたいへんな金がかかるという方がいます。これは数字のあらわし方が小額になるので、日常生活のなかでも銭や厘という単位が出てきたりして、今ある証券・伝票から販売機からレジから、すべて変えなくてはならない。その費用は莫大だからできないという主張です。
<続きを読む>三波春夫はこんなことも考えていたり、感じていたりしていた一面があるのでした。
ではまた、来週金曜日に。
平成4年の出来事ですから、ハウスミュージックが最先端だと書いたりしています。私は、テイチクのディレクターに初めて提案を戴いた時にまったく迷いはなく、本人からOKが出ることを確信していました。
ではまた、来週金曜日に。

そこで私もデモテープを聴くことになりましたが、その時から「ここはどうかな、こうすればいいと思うよ」と、私もいつものクセでのめり込むようになってしまいました。
編曲者は初めてお会いする若手ミュージシャン島田直角さんが決定していて、彼を含めて制作会議をすることになりました。
ディレクターは当初、三波春夫の曲をハウスミュージックにアレンジして音楽だけは新たに制作するけれど、歌の部分は三波の既存のヴォーカルを利用することとし、あらたに本人にレコーディングをしてもらうことは考えていませんでした。しかし、デモを聴いた三波は、「これ、やっぱり、アレンジに合う唄い方の歌を入れなくちゃ。唄い直しをした方が良いと思うよ。そうしようよ」と言い、全部新しく、となったのでした。
ではまた、来週金曜日に。
テイチクの皆がノッて計画してくれていているし、娘の判断も大丈夫ということだし、「ほぉー、パワステと言うところなのか…」と、三波は下見の折に初めて会場に伺ったのですが、とても“ビックリしていた”のでした。そのときビックリしていたとは、周りの誰も気づきませんでした。さすがベテラン歌手は、常に堂々(笑)…。
ではまた、来週金曜日に。

しかもキューン・ソニー社の電気グルーヴという若いアーチストと共演させて欲しいと声がかかったから頼むというのです。それも新しいことだ。お祭りのつもりでやろうと腹を決めました。
「腹を決めた」なんていい方は、おかしいかもしれませんが、実はこういう表現の方が私らしいわけです。
69歳だった三波春夫。あれこれ考えていたのでした
ではまた、来週金曜日に。

電気グルーヴの石野君たちと顔合わせをしたら、三人共しっかりして、ひとつの音楽イメージを持ち、自分たちのCDでは、自ら詞と曲を創っているのです。年はまだ二十四歳と聞いて思わず、「ああ俺はこの年齢のときはまだシベリアで捕虜だったナア」と思いましたが、しかしたしかに自分の思う歌を創るにはとてもいい年齢です。
<続きを読む> 電気グルーヴの方々に放浪藝のことなど、歌藝の歴史の話をしていたのですが、
皆さんガマンして聞いて下さっていたお姿を思い出します。
ではまた、来週金曜日に。

といいますのは、今まで、歌謡曲を歌うステージは歌声が主役でバンドの音は前奏、間奏はガンガン大きく出しても、歌のメロディの中は抑えての演奏が当然ですが、今度のステージは違います。
音楽はガンガン歌もガンガン、どちらも力いっぱい、という形です。
この島田直角さんは、あのCHOKKAKUさんです。
ではまた、来週金曜日に。
ラッシュ時の混雑のような超満員の女子中・高校生の電気グルーヴさんファンが、「キャーッ、三波センセイー!」と声援して下さって踊りまくり。その横の端の方、や、後ろの隅から、女子達に圧倒されながらも頑張る60代・70代の長年の三波ファンが声援し、しかしその声や拍手は見事にかき消されていました…。
この日の様子は後になってから、本人と長年のファンの方々が、よき思い出話としていました。
ではまた、来週金曜日に。
いまでも「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」の2曲が、当時を振り返るテレビ番組の映像のBGMによく使って頂くことを有り難いことと思っております。
ではまた、来週金曜日に。
この場面のことは三波がもう少し詳しく後述しましたので、次回にご紹介します。
今、改めて気づきましたが、三波にかかるとシンセの音が「ジャンジャジャーザー」なんだ…と。でも、たしかにこの曲の音色はジャー、ザー、ビーッでもあります。CDをお手持ちの方はお聴き直しの程…。
さて、10月20日に、秋恒例の『三波春夫全曲集』がリリースされます。今回は、長編歌謡浪曲ではない歌謡曲ばかりの特集です。デビュー年である昭和32年リリースの「リンゴ船積み唄」ほか初CD化の曲や、「頑固親爺の浪花節」「男の峠道」などの人気の曲が満載です。ご購入頂けましたら幸いです。
ではまた、来週金曜日に。
本文に登場の笹川さんは、痩せ型でお顔も小さくて優しくて、という容姿でしたから、このトラブルの間によく倒れずに無事に頑張って下さった、と思いました。確かに、紹介し忘れたのが悪いのでした。
ではまた、来週金曜日に。
三波と機械、ということで思い出を辿りましたが、「ワープロ」が当たり前になった当時に「僕もワープロにしようかな」と、オソロシイことを私に打ち明けたので、絶対に無理ですから、とやめてもらった事がありました。「そうだねー」と、すぐに本人も自らの適応性を思い返して納得してくれました。ですからずっと、原稿は毛筆やペンや鉛筆で書いていました。また、私が仕事の連絡で頻繁に送っていたFAXについて、「どんなに書きなぐった字になってもいいから、手書きで頼むね」とリクエストがありました。私がどんな気持ちで書いているかが判るから、が理由でした。
ではまた、来週金曜日に。
パワステのライブにおいて、嬉しさと感動とともに新しきを知った三波が、故きを温ね直して書いております。このような見方で詳細な歌の芸の歴史を解説をした本「歌藝の天地(うたげいのてんち)」を1984年に出版(PHP社 2001年に文庫化)していますが、永六輔先生が『三波さんは歌う学者』と言ってくださったのはこの辺りの三波の一面からだと思います。
ではまた、来週金曜日に。

日本でも人気のある韓国のチョー・ヨンピルさんの『釜山港へ帰れ』などを聞いていますと、韓国の人達の民族感情が歌に凝結しているという気がしてきます。もっとも歴史的に見て、日韓両国の血は濃いのでしょう。胸にガンガンきます。
『その声は、その魂の音色なり』と過去に三波が話していた言葉を、先日、神野美伽さんが「忘れられない言葉です」と、ご自分のリサイタルのステージでお話ししてくださいました。魂の音色である“歌”をカラオケでも鼻歌でも大いに唄って、人生を元気に進んで参りましょうー!(笑)
ではまた、来週金曜日に。
昭和35年に大阪新歌舞伎座で歌手で初の一ヶ月の芝居と歌謡ショウの大劇場公演を成功させてからすぐに、東京歌舞伎座から声が掛かりました。そして翌年8月、歌舞伎座の公演が開催されました。このときには、毎年8月に歌舞伎座で20年間ものあいだ連続して公演できるとは、本人も周囲も世間も誰も思えなかったことでした。そのはじまりに、演劇の神様といわれた松竹の創始者・大谷竹次郎氏が、「三波を育てよ」と仰ったそうですが、まさに白羽の矢を立ててくださったのはこの方でした。
ではまた、来週金曜日に。

お客様は意外に思われるかもしれませんが、舞台に立つ私からは前列だけでなく、かなり遠い席まで目が届き、お客様の顔がはっきりわかるものです。ああ、去年見にきてくださった方が今年も足を運んでくださった。ああ、あそこにお座りの方は今年で三回目の方だ。みなさん、お元気でよかった。本当にありがたいことだ。何年も続けているうちに、歌舞伎座公演にみえるお客様は昔からのおなじみという感じになっていきました。
<続きを読む> 文中に村芝居とあるのですが、これは三波が「村芝居を腹の底から楽しむ」ような心持ちでお客様が楽しんで下さったと言いたかったので、決して村芝居のレベルで実施されていたのではないのです。歌舞伎座で上演する芝居。これは歌手芝居と揶揄されるようなものでは通用しないと、本人も制作側も大きな夢と覚悟をもって、花登筐さんの筆による芝居や多くの名優の助演を得て、完成度の高い芝居であるように努力を重ねました。そのときどきの社会に訴えるべきテーマを含んで、見ごたえのある芝居がありました。身内の私がこのように書くのも変ですが、当時を語る人も機会も少なくなりましたので、三波春夫の心意気の事実として書かせて頂いております。
現在立替中の歌舞伎座ですが、閉場前に、これまで歌舞伎座で行われてきた「歌舞伎」がテレビ等で紹介されていました。しかし、歌舞伎だけが行われていたのではないのです。一年を通じてすべての月を歌舞伎公演のみで通すのでは屋台骨を支えられなかった時期があられ、中村(萬屋)錦之助さん、大川橋蔵さんという歌舞伎界から映画に進出なさってスターになられた方々のそれぞれの公演、そして三波春夫が、毎年連続して公演を務めておりました。
ではまた、来週金曜日に。
私がマネージャーになってすぐに、列車の乗り継ぎでずいぶんと時間のロスが出ることを恐縮しながら話したときに「旅は憂いものです」とニッコリ。即答で許しが出たことに私はホッ。≪そうだ、この人の旅のキャリアは長いもの。達観してるわ・・・≫と思ったものでした。
さて、今年のブログ更新は本日までにさせていただきます。ご高覧頂きまして、ありがとうございました。来年は、1月7日に更新いたします。
良いお年をお迎えくださいませ。
新年、おめでとうございます。
本年は2001年から数えて10年目になりますので、記念のリリースをいろいろと予定しております。
また、弊社の新しい企画もスタートさせて参ります。どうぞお楽しみになさってくださいませ。よろしくお願い致します。
ではまた、来週金曜日に。
特別に大事に育てられた野菜などは、味が違うことが判りますよね・・・。昭和初期の、ましてや田舎で子供時代を過ごした父は美味しい食材に囲まれていたわけで、こと食材の良さについてだけは、幸せ者だったのでしょうね。
では、この続きは来週金曜日に。

よりよい収入や収益をあげたい――つまり、人間が本来よりよく生きるということよりも、お金をどれだけたくさん得られるかという視点から、農業の在り方も変わってしまい、それが現代のさまざまな弊害を引き起こしているにちがいありません。思えば終戦後から津波が押し寄せるように日本人の価値観が変わってしまったといえるのでしょう。
戦後に日本人の価値観が変わって。しかし今、その無理があった、メッキだった部分を見直して以前の良さを取り戻して行こうよ、という気運もあるように感じます。
「こんなに頑張った、こんなに素晴らしい日本人がいますよ」。そう知らせたいことが、三波春夫の、歴史上の出来事や人物を唄った歌づくりの根本でした。それらの作品から、日本人の心の良さ、賢さ、清清しさなどを再発見して頂けたら幸いです。
ではまた、来週金曜日に。
この本を父が書いた平成4年のころよりも現在の方が、発酵食品がカラダにヨイという認識が広まっている気がします・・・。
では、この続きは来週金曜日に。

たとえば北海道や東北のみそ汁は塩分が多く、九州のみそ汁は甘く感じられますが、酒の好きな人から聞くと、鹿児島の料理をお湯割りの焼酎でいただくと甘ったるく感じられたみそ汁もおいしいという。料理はその土地の気候風土や材料やお酒などとも密接に関係しているということが分かってきます。
労働の量の減少と保健の意識の向上で、日本各地の料理も塩分のことは昔とは状況が変わったことでしょうね。お蔭様で父は高血圧ではなかったので、塩分に気をつけなくてもよかったのですが。ところで塩といえば・・・余談の上、季節はずれのことですいませんが、スイカにお塩をかける習慣をお持ちですか? 父と私は「かけたい」派で、母は「絶対いらない」派でしたので。スイカを食べるときに必ず、「なんでかけるのぉ、かけなさんなったら」という父のカラダを思うばかりの母の抗議の一言が飛んだことを思い出しました(笑)。だから、高血圧じゃないってのに、という感じでした。
ではまた、来週金曜日に。
「営業臭い営業は営業じゃない」・・・などと応用しながら、昔の人の知恵を考えるとヨイかもです。広く深い自分の中身を作れという意味もありましょうし、自分の業種ばかり見て他の世界を知らないのでは人生の幅が限られてしまうよ、ということでもありましょうか。
ムムム・・・、あらためて心しておくことにしまーす。
ではまた、来週金曜日に。
三波は37歳頃からゴルフを始めました。ゴルフに出かける日は、人違いか?と思うほど苦手の早起きを厭わず。「行ってくるねーっ」と出かける笑顔は、普段の笑顔に輪を掛け、且つ、開放されている輝き!これが、毎回ですから、本当に好きだったんですね、ゴルフ。
ではまた、来週金曜日に。
ゴルフのコンペというものは、少々の雨天であっても開催されます。ですから三波は、コンペのご招待を頂戴しても欠席のお返事をすることが常でした。文中にありますように、ゴルフで風邪をひくなどという事は有ってはならないと思い、用心のためでした。ゴルフ好きとしては、毎回とても口惜しい思いでお返事を書いていたことと思われます。
では、この続きは来週金曜日に。
このたびの東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
父が若いときから毎年、そして私も一緒に仕事をしております約10年の間、東北の地に、伺わせて頂きまして、客席の皆様の笑顔とお会いさせて頂いておりました。
一日でも早く、皆様にお健やかな笑顔が戻られますように、お祈り申し上げます。
次回はまた金曜日に更新いたします。

ビリヤードは「四つ玉」を突き当てるというのが基本ですが、その他にも玉が三個の「スリークッション」など、数々の種目があって楽しいゲームでありスポーツです。十五の玉を穴に早く落として点数を競うという「ポケット」もそのひとつです。
この度の大地震で亡くなられた多くの方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。被
災されて大変な思いをなさっていらっしゃる皆様に向けて、微力ながら私共が出来る
ことは、募金や物資のご提供、いつも思いを寄せさせて頂くこと。平和な日々の中に
大きな甘えがあったことを思い見て、見つめなおして、改めることに一生懸命になる
こと、と思っております。日本人の素晴らしさを誇りに思い大切にしてゆこうという
気運を、途絶えることなくずっとずっと持ち続けたいですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
この頃、私はまだマネージャーではなく、三波にとってはシンプルに「娘」でした。
“ただバンザイです”と書いた当時の自分の気持ちを振り返ってみますと、夫は13歳から、妻は9歳から他人の飯を戴くこととなって以来一生懸命に前を向いて生きて、その間に戦争や抑留も経験してという二人が、60歳を超えて笑顔をもって皇居に参上する姿を理屈じゃなく、ヨカッタねぇ、と思ったのでありました。
さて、4月14日に3枚組みの新譜がリリースとなります。アルバム名は「三波春夫
歌の心 大全集」。ヒット曲、長編歌謡浪曲、浪曲口演の3部に分かれており、たっぷりと楽しんで頂けます。詳しくはトップページの「お知らせ」欄をご覧くださいませ。よろしくお願い致します。
では、この続きは来週金曜日に。

昭和六十二年五月二十日――私ども夫婦は、前年の紫綬褒章受章者として、昭和天皇ご主催の赤坂御所での春の園遊会にお招きをいただきました。私ごとながら、その年は、私どもの結婚三十五年に当たっておりました。
<続きを読む> 昨日は、三波の没後10年目の節目の日でございました。いまもって多くの皆様にご愛顧を賜りますことを、心より感謝申し上げます。これからも三波春夫の歌と心をお届けすることにシッカリと力を尽くして参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、19日火曜日のBS日テレ19時~19時54分「トクセン」は、三波春夫特集です。是非ご高覧くださいませ。
ではまた、来週金曜日に。
24日(日)19時~21時 BS日テレにて、『没後10年 三波春夫スペシャル 不滅の金字塔!その歌藝のすべて』がオンエアされます。司会は徳光和夫さん。ゲストは、氷川きよしさん、天童よしみさんほか。私もちらりと出演します。どうぞご高覧くださいませ!
ではまた、来週金曜日に。
BS日テレにてオンエアされた19日の「トクセン」、24日の「歌藝のすべて」をご覧下
さった方々からたいへんにご好評を頂戴しまして、ありがとうございました。
内容が充実していたというお褒めの言葉が多く、本当にうれしゅうございました。
さて、来週の金曜日は更新をお休みさせて頂きます。
次回は5月13日に更新いたします。
よろしくお願い致します。
このときの陛下との会話を三波が陛下の声色を真似て、講演会での話の中で“再現”したりしておりました。声色が結構似ていて、お客様に好評でした(笑)。
ではまた、来週金曜日に。
ここには書かれていませんでしたが、このときに秋篠宮殿下は三波に「あなたの時代物の歌はいいですね」とおっしゃったそうです。
では、この続きは来週金曜日に。
三波は仕事がら、「声」を聴く耳が敏感だったようです。その方の声の色、幅、落ち着きの度合いなど。それらを聞き取って分析して心の記憶帳にインプットしておくことは、浪曲を口演するときに“人物を演じ分ける”ことに役立ちました。あくまで自然体でそうしていたわけですが。
ではまた、来週金曜日に。
三波の声の良さは両親から、またその先の先祖から受け継いだ遺伝子のおかげでもあったことと思います。三波の実兄である伯父の歌声を一度だけ聞いたことがあるのですが、たしかにノビのある声で、遺伝子はここにも、かと思いました。唄った歌は故里の古い民謡で、出だしから駆け上るメロディーどおりにスススーッと声が出るのはよかったのでした。しかし、『どこまで上がるの?』という音程の不確かさがご愛嬌で、聞いている皆が思わず吹き出して、本人も笑ってしまいまして。やはり持って生まれた才能も鍛錬が無いと原石のまま、と・・・。
ではまた、来週金曜日に。

幸いなことに、落ちた先が川原の湿地帯のどろどろした所だったので、命に別状はなかったのですが、身体をそうとう強く打ったのでしょう、妹は身動きもしません。私の叫び声で母は血相を変えて、川原に一目散に下りていきました。
この妹も幼時に亡くなり、母親もその後すぐに亡くなってしまうのでした。昔のことで、良い薬がなかったので、無理ないことでした。少し短い間になってしまったけれど、精一杯に母親としても生きた人だったのだ、と、父は想って、胸を詰まらせていたのだと想います。
ではまた、来週金曜日に。

自分の知ることのできなかった母親についてのことだったら、どんな些細なことでも聞きたい――。七歳のころに母親を失った私は、特に母への思慕の情が強いのかもしれません。それ以前の母親像を思い浮かべるてだてがないのです。
なぜ大きな茶碗を勧めたか、は次回、来週金曜日に。
このお茶碗の話は、以前にこのブログでご紹介したことがありましたが、本に書く前にも父から直接聞いたことがありました。
この話に似たような、私が父から「嫁にいったら○○だからこうしなさいね」と教えて貰ったことがひとつだけあります。聞いたのは、お風呂に一緒に入っていたときのことですから、私が小学校の低学年のころのことです。『膝のおサラをこうやって手で覆ってごらん。そうそう。で、ちょうど自分の薬指の先のところね、ここは三里っていうツボでね、足が疲れたときに押すと疲れがとれるそうなんだ。美夕紀がお嫁に行ってね、疲れたなぁーって思ったときには、押すといいからね』
実際、私が嫁に行ったのは、ここからはるか30年以上も経ってからでしたが、忘れずに三里のツボを押しておりマス。
ではまた、来週金曜日に。
「安鶴」は、そのまま「アンツル」という読み方です。芸能界でもこのお名前を知る方は少なくなったかもしれません。私情ではなく公平で、鋭くて深い批評をしてくださる方々を有難いと三波は思っていました。私が舞台に立っていた頃、「どんな批評であってもね、どこかに当たっている点があるものだよ。よく自分を振り返らないとね」と話してくれたことがありました。・・・思い出しましたが、ちょっと相似形の父の言葉ですが、「下の者はね、上の人たちのことをよく見ているものだよ」ということがありましたっけ。これは、人の目を気にするようにという事ではなく、目下や部下に媚びろという事でもありません。自分の日頃の心の持ち方、物言いや態度を常々から意識して見つめるもう一人の自分の目を持って、自分を磨いていくべきだと、自分を振り返る大切さを言いたかったものでした。自分が自分への厳しい批評家たれ、ということかと思います。
ではまた、来週金曜日に。
歌舞伎座は歌舞伎のための劇場でしたから、音響設備が弱かったのですが、本文にあることがきっかけで補強され始めたのです。しかしながら、それからもずっと、歌謡ショーのための音響設備を整えるための三波と劇場スタッフの創意工夫は続いたのでした。
ではまた、来週金曜日に。
歌舞伎の殿堂の歌舞伎座で、三波春夫の一枚看板の興行をするその第一回目の公演のことですから、三波自身、大勝負の仕事だったのだと思います。
明後日24日14時から、BS日テレで『没後10年・・・三波春夫スペシャル 不滅の金字塔! その歌藝のすべて』が、再放送されます。 司会・徳光和夫さん、トークゲスト・天童よしみさん、氷川きよしさんです。どうぞご覧ください。
ではまた、来週金曜日に。
浪曲時代もどなたにも弟子入りをしなかった父は、自由に、尊敬する方々から学ぶ姿勢を持ちました。松下幸之助氏には、特に思い出が多いようでした。
ではまた、来週金曜日に。
父の傍に居たお陰様で、著名な方でもそうでない方でも、佇まいからして見事な方に数々お会いすることがありました。人としての心の持ち方の正しさから醸し出されるオーラなのでしょう。あらためて思い返して、自分を叱咤激励する思いです。
ではまた、来週金曜日に。
この時に父はソニー製を持っていたのでした。松下先生に出会ってしまって、ほっんとうにっ!慌てたようです。帰宅後、家でこの話を「いやぁ、びっくりした!」と、聞かせてくれたことを思い出します。
さて、28日19:30~20:54NHKBSプレミアム「三波春夫~歌芸一筋に生きた道~」の放送がございます。ぜひご覧ください。
また、29日は銀座・山野楽器7Fイベントホールにて14:00開演で「三波春夫フィルムコンサート&トークショー&三波流舞踊披露」が開催されます。
ご来場をお待ちしております。
“謙虚さを忘れずに働いて、人の喜びを自分の喜びとする”。
肝に銘じましょう…。
さて、28日放送の『三波春夫~終り無き歌藝の道~』がたいへん好評を頂きました。ありがとうございました。
再放送は、9月23日16:00からです。見逃された方も、是非ご覧ください。
また、29日の『フィルムコンサート』は、秘蔵映像もいろいろとお見せして予定時間をオーバーしてしまいましたが、ご来場の皆さんが映像の三波と一緒に唄われたり、拍手をなさったり、涙を流されたりして、それぞれにお持ちの思い出を辿られながら、楽しんでくださいました。
坂上みきさんのMCと川中さんのトークがまことに面白く、当然とはいえお話の上手さに客席も沸きました。
川中さんはことあるごとにお話しくださいますが、この日も“三波先生の心を継いで唄っていきたい”とおっしゃてくださいました。
ではまた、来週金曜日に。
観客の喜ぶ姿に共感、といえば、三波自身も他の方の舞台を見たときの喜び方、リアクションが大きかったのでした。
さて、次の更新は来週23日の金曜日ですが、この日の16時~17時30分NHKBSプレミアムで『三波春夫~歌芸一筋に生きた道~』の再放送がございます。どうぞご覧ください。
本当に「格好いいな」。遅いことなら誰でもやる、ですぞ…。
さて、本日16時からNHKBSプレミアム『三波春夫~歌芸一筋に生きた道~』の再放送がございます。是非ご覧ください。
ではまた、来週金曜日に。
一緒にいる三波をたててくださるお気遣い…。ご自分のあとは「若い人々がやってくれる」とおっしゃれる潔さと、それまでの日々に、精神がちゃんと引き継がれるようにしようと、ご指導されてこられた信念を思いますと、偉い方だなぁーとしみじみ感じ入ります…。
ではまた、来週金曜日に。
今はテレビをはじめとして情報が溢れていますから、文中にあるような“この人から英語の言葉を初めて聴いた”というようなハッキリしたことはなさそうですね。でも、人からモノを教わるのは素敵なことだ、と改めて思います。
ではまた、来週金曜日に。
「日本人の中には偉い人がたくさんいるね」というお言葉に衝撃を受けた三波。
実力が上がり、大きな仕事が出来る時期に入って忙しく過ごす自分の心を見直して“人は人の良いところを見ていくようにしなければならない。人の批判をするのは簡単。だがそれをする前に、まず己れをどう磨いていくかに懸命になるべきだ”と、気づかされたのだと聞きました。
ではまた、来週金曜日に。
三波が目をキッラキラさせて長谷川会長のお話をうかがっていた様子を思い出しました。私も父のおかげでお会いいたしましたが、品格あふれ、思いやり深い方でいらっしゃいました。昭和35、36年、そして御園座の消失再建を経て39年から55年まで毎年1月は、御園座にて『三波春夫特別公演』と銘打つ一ヶ月公演をしておりました。
ではまた、来週金曜日に。
ちなみに、三波はハンディ13でした。40台で廻っていましたが、不調のときは53とかの数字がありましたっけ。
人と人の間が空かないようにして写真を撮る、ということは影響を受けて私も気をつけるようになってしまいました。
ではまた、来週金曜日に。
芝居では、三波は殿様も浪人も演じましたし、芸道もの、商人ものも当たり役でした。この「塩原多助」の芝居は、浪曲調の歌が入るミュージカル的な場面もあり、好評でした。主題歌である『長編歌謡浪曲 三遊亭円朝原作 塩原多助』も聴かせる歌になっております。6月22日リリースの「終り無き歌藝の道」にも収録されていますので、どうぞご清聴ください。
ではまた、来週金曜日に。
『三波春夫特別公演』の三波春夫が倒れてしまって、どうなったでしょうか…。
続きは来年1月13日金曜日とさせていただきます。
本年もお世話様になりまして、まことにありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
遅ればせながら、新春のお慶びを申し上げます。
本年は本日からブログをいたします。どうぞよろしくお願い致します。
本文にあるようにこの休演の原因は、年末年始も休まずに仕事を続けていた疲れが出たのと、薬の間違った服用法などが重なったことであり、三波春夫の一生に一度の休演でした。
舞台に出てお客様にご挨拶しなければと思うのに、血圧が下がっていて自分のカラダが思うようにならない状態。周りの人たちが揃ってオロオロとする中、このようなときにも気丈なウチの母は各所の担当者に指示を重ね、謝罪のために舞台に出る三波に、車椅子に乗せるにしても着物を着せようとしますが、立とうとする気持ちはあってもヘナヘナと倒れ込んでしまって出来ない。で、そのホッペタを一発ピシャリとビンタして「しっかりしなさい!」と檄を飛ばしたそうです。思わず三波が軍隊を思い出した、などという余裕もなかったでしょうけれど…。ここから一晩中、本人はもちろん、母も念じる復活への戦いが始まりました。
ではまた、来週金曜日に。

この日は不幸中の幸いといいますか、昼・夜、ナショナル劇場観劇会の貸し切り興行にあたり、お客様には日延べの日にもう一度お越しいただくこととなりました。また経費の負担は私の会社でもする事といたしました。
休演の決定から20時間に満たない間の勝負。なんとしてもこの間に回復させて、三波を翌日の舞台に立たせなければという一念。母は食事や睡眠など自分のことはまったく忘れ、夜通しで、楽屋に敷いた布団の上の三波を見つめました。熱を測り、発汗の様子と顔色を読み取って手当てを続け、明け方に「大丈夫。きょうはやれる!」と思ったそうです。そして、おかゆが食べられるかと聞くと、食べると言う。さっそく食べさせて体をマッサージしながら、山のような励ましの言葉をかけ続け、とうとう次の日の舞台を開けることが出来ました。
本人も一晩で治らなければとさぞかし必死だったでしょうが、しかし、やはりこの大失敗の申し訳無さは後々まで消えるはずはなく。このように本にも記して懺悔の態。夫婦の語らいではしばしば話題に出て、傍らの私にこのときの話を聞かせ、そのたびに父は母に“思い出し叱り”をされる形となっていました。…こんな、ご家庭でよくある風景が当家でもよくございました(笑)。
ではまた、来週金曜日に。
お陰様で、このような失敗は生涯で一度きりとなりました。どなたでも、多忙な仕事の日々を送りながらもちゃんと健康を保つことは大変なことと思います。腹八分の食事、良い睡眠、過度にならない程度の良い運動、等といろいろと健康法が言われていますが、どうかご自分のために、またご家族のためにも、お体を大切になさってください。
そして、三波春夫の明るい力のある歌をお聴き頂くという健康法も是非…!
ではまた、来週金曜日に。

「この亀を抱いて祈れば格闘技に勝つ」――という不思議な伝説を持つ木製の亀が群馬県前橋市亀里町に鎮座している。作者は飛騨の匠とのこと。赤松材の直径七十五センチほどで口に巻物を喰わえています。
宮田保夫氏の御役職は当時のものです。
逸話をヒントに、浪曲作家・三波が作ったお話は次回からお届けします。
来週金曜日に更新いたします。
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