「三波春夫でございます」 アーカイブ

2009年10月02日

屋台で生まれたミリオンセラー 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 『チャンチキおけさ』------私のデビュー曲です。
この記念すべき曲には昭和三十二年という時代を感じさせるうらばなしが残っています。

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<八島>
 本日から、平成5年発刊の三波春夫の著書『三波春夫でございます』をご紹介して参ります。週1度、毎週金曜日に更新致します。どうぞよろしくお願いいたします。
 この本は書き下ろしのエッセイ集です。三波の筆というのは、それまでは、日本史や芸能史の研究論文といえるようなもの、またはそれをドラマ仕立てにしたものがほとんどでした。
エッセイであっても、自分の身のまわりに起きたチマッとしたものは書かず、太字で大きく書いて社会に問いかけるような、フォルテ記号が踊っているようなものが多かったのですが、この『三波春夫でございます』は、ソフトタッチで三波にエッセイを書いて貰いたい、という企画で出来たものです。
 本の帯には“モットーは「一緒に楽しく生きようよ」 歌謡界の大御所が語る生き方のコツ、人生の味わいそしてちょっといい話”と、書かれてあります。表紙には、三波の顔の超アップ。70代の入口に立った頃の、三波春夫の著述をお楽しみくださいませ。
 
 本日のご紹介は、デビュー曲「チャンチキおけさ」誕生の逸話の章、前半部分。
新人歌手にもなっていない前のお話です。なお、文中の“文芸部”とは、現在でいえば制作部のことです。
 ではまた、次回に。

2009年10月09日

屋台で生まれたミリオンセラー 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

依頼を受けた長津先生は歌詞を懐にその夜新宿の屋台へ
行ったそうです。
歌詞の中の舞台そのままにそして注文した酒を待っている間に、長津先生は曲がひらめいたといいます。
 

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<八島>
 文中の“吹き込み”という言葉は、もちろんレコーディングのことです。ムカシは吹き込みと言ったのです。それこそ三波春夫よりもっと前のムカシの録音マイクは、ラッパの反対向きというか拡声器を逆向きにしたような形の物に向かって歌うという、まさに歌声を吹き入れるような恰好だったようですから、言い得て妙の言葉です。
 私も、物心がついた頃から周りで「明日は吹き込み…」「吹き込みが済んでから…」などと言っており、父のマネージャーになってからも三波夫婦(母は事務所の社長でした)に対しては『吹き込みの日を決めましたが…』などと言っていたので癖になり、今だに『吹き込み!!』と大きな声でふつうに言ってから、(わー、吹き込みって今ドキ言っちゃってー)と、ひとりで真っ赤になっていたりします。
 でも、ムカシの日本語はあったかくて好きです(笑)
 ではまた、次回に。

2009年10月16日

文若さん、ヨシタ ヨシタ 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 浪曲師・南篠文若から歌手・三波春夫への転身の背景には、時代の変化というものに敏感に反応した私の実証的な感覚がありました。

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 この章は、昭和28~29年頃のことを書いています。24年秋に、4年間のシベリア抑留から帰国して浪曲の舞台に復帰し、27年12月に結婚。その後、南篠文若の曲師は妻が務めることになり、夫婦揃って藝の研鑽の日々。そのあたりのことです。
 敗戦から復興へと日本がだんだんと力をつけてゆく時代。人々は、その気運を応援するような勢いの有る陽性のものを、エンターテイメントにも求め出していたことの実例といえるでしょうか。
 この、南篠文若の浪曲と余興のアリランやトラジを、『観ましたよ』『聞きましたよ』とおっしゃる方々にお会いすることがあります。全国各地でお会いしますから、南篠文若がたくさんの土地を訪れて興行をしていたのだと実感します。『小さい会場でした、倉庫を改造した俄か仕立ての。お父さん、いい声でねえ。印象的だったから、記憶にずっと残ってましたよ…』と、私に話して下さった方は70歳を超えた男性でした。
 どんな小さな会場でも、来場されたお客様に最大限の満足をもってお帰り頂くことが鉄則である、と自分に課していた若い浪曲家時代。この頃の思いは生涯変わりませんでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年10月23日

文若さん、ヨシタ ヨシタ 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 一座を率いて、故郷の新潟県を訪れたときのことです。浪曲を一席語り終えて、ここでもすっかり恒例になっていた歌謡ショーに移りました。

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 曲師は、舞台中央に居る演者の方を向いて座って三味線を弾いています。曲師と客席の間には屏風が立てられていて、姿は隠れています。その屏風の陰から、演者の口演がお客様に上々にウケているか、もうひとつなのか、を察知し、例えば口演のノリが悪いようであればテンポアップを示唆する含みのある三味線の合いの手を入れて、演者のナビゲートをするのです。曲師の感性が鋭ければ、演者はたいへん助かります。芝居は、上手い役者とやらせてもらうことで藝が伸びるといいますが、上手い曲師もダイレクトに演者に影響を与えたようです。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年10月30日

痔になった先生 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 昭和三十年ごろのことでした。私はキングレコードから出た三橋美智也さんの大ヒットに大変刺激を受けました。民謡調の歌謡曲がヒットするのなら、浪曲調歌謡曲の世界があってもいいのではないか。やっぱり歌謡曲の時代が来ているぞ、と。

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 三波の伴侶は、私の母ですが(笑)その芸歴については、ひとつ前のブログで全編をご紹介した三波の自叙伝『すべてを我が師として』に詳しく書かれています。母は9歳から藝の世界に入り、三味線、鳴り物、舞踊、話藝などを身につけ、歌舞伎舞踊から色ものまでを上演する一座で活躍していました。そして27歳で「南篠文若」と結婚し、自らがライトを浴びていた舞台を降りて、曲師を務めるようになったのでした。身内の私が言うのもナンですが、母の藝の勘は大変に鋭かったです。『三波春夫』の創造は、三波夫婦ふたり揃ったからこそ出来たことでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月06日

痔になった先生 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 その時、座員のひとりが歌謡教室の先生を知っているから紹介するというのです。そこで家内とその先生のところに出掛けました。

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 三波春夫という人は「自分はこれだ!!」と決めて藝の道にまっしぐらに突き進みました。B型でしたので…、(笑)というのは冗談ですが、これ!と決めたことへの集中力は絶大でした。自分の藝のために為すべきことを、休むことなく常に実行しつづけた人でした。
 唄う以外の姿といえば、本を読み新聞を読み原稿を書き…。『勉強』の二文字を怠らない人でした。政治経済の分野にも一家言をもっていて歴史には特に詳しく、たとえば地方公演の移動での車中の会話では、いつもそういうテーマで話が尽きませんでした。
 晩年にお付き合いが深かった永六輔先生が、ある時、三波に向かって「三波さんは『唄う学者』です」と、おっしゃった時にはその場の皆でウケて笑ってしまいましたが、確かに…。今思い返しますと最適のキャッチコピーだった気がします。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月13日

痔になった先生 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ある日のこと、家に帰ると家内がいうのです。「先生から電話があって南篠さんの稽古熱心にはかなわない、痔になりそうだ、自分のレッスンが終わったら帰ってほしいといわれました」。

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 三波の特徴である、藝への猪突猛進ぶり…。ちなみに三波はイノシシ年の生まれでした。先週の“「B型」だった”に続いて、プチ情報でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月20日

五輪音頭のご褒美は 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 平成四年はオリンピック・イヤーでしたね。冬のアルベールビル、夏のバルセロナ・・・・・・国を越え、世界中から集まった人々が力の限りにたたかうのを見ることは、とても素晴らしいことです。

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 この『三波春夫でございます』を執筆していた平成4年は、バルセロナオリンピックが開催された年でした。そのオリンピックの終了直後、バルセロナの陸上競技場ど真ん中に組まれた櫓の上で三波は「ハウス東京五輪音頭」を唄いました。その回りでは地元のスペインの方々が何百人も浴衣を着て輪になって、歌に合わせて盆踊り。フジテレビの歌番組『MJ』にての中継出演。そのためだけの、三波一行2泊だけのバルセロナへの旅でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年11月27日

五輪音頭のご褒美は 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 もちろん、開会式も正面スタンドではなく、病院のベッドで見物するハメになってしまいました。

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 “休暇を目の前に”や“休みになったとたん”に体調を崩した、ということはよく聞く話ですね。休めるぞー、ということで心身のどこかがホッと緩みすぎちゃうんでしょうか。そして、過労から免疫力が落ちて…といこともよく聞くことですね。本日これを読んで下さったのも何かの縁です。どうか、お忙しい方、ストレスの多い方におかれましては、健康は自ら勝ち取る思いで、日々をお過ごしください。7年近くPSA検査を広める活動をしておりますが、医療関係者のお話しを伺いますと、やっぱり定期的な健診などを自分で心がける事が良いのだと、つくづく思います。
 なお、文中の「百年桜」は、本年10月21日リリースの『三波春夫全曲集』に収録されております。
 さて、お知らせを致します。今週から『歴史時代書房「時代屋」』さんの“神田小川店”と“新百合丘オーパ店”で、三波春夫グッズを販売中です。グッズは、飾り扇子・携帯扇子・湯のみ。三波春夫の「お客様は神様です」「夢」などの文字とサイン入りです。
 書籍『熱血!日本偉人伝』『聖徳太子憲法は生きている』やCD『長編歌謡浪曲スーパーベスト』のシリーズも販売されています。どうぞ店舗へお出かけください。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月04日

五輪音頭のご褒美は 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 そんなてんやわんやの舞台裏でしたが、なんとか無事に大入り満員の盛況で、千秋楽を迎えることができたのです。

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 「その夜、ジュリアナ東京はノリノリで踊る若者で超満員。場内に響き渡るのは三波春夫のナマ歌…って、え?なに?三波春夫? そうです、ステージにはなんとアノ三波春夫が満面の笑顔で立ち、ハウスミュージックメドレーを披露したのですぅー」というカンジで、平成4年の暮、ジュリアナの貸切イベントにて、メインゲストとして登場した三波春夫でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月11日

お客様は神様です 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 早くから客席いっぱいに詰めかけたお客様のどよめきが、舞台うらには、潮騒のように聞こえているに違いありません。やや離れた楽屋には、華やかな出の瞬間を待って、じっと間合いをはかり、呼吸を整えている主役。楽屋のうちに、静かにみなぎってくる緊張……。

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 このシャックリの話に限らず、演者のそのステージの完成を目指す強く高い意識と、お客様から送られる愛情あふれる熱い期待があわさってステージに起こった奇跡は、エンターテイメントの世界にたくさんあると思います。そういった世界で力いっぱい仕事が出来た三波春夫の一生は幸せなことだったと、つくづくと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月18日

お客様は神様です 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ただし、手を拱ねいていては、その「神様」の姿を見ることができないことは言うまでもありません。

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 奢りの気持ち。これは、立場や職種を問わず、自分の心に絶対に育ててはいけないもの。その姿勢は父の晩年に一緒に仕事をして、勉強させてもらったように思います
 さて、「お知らせ」です。今月26日土曜日(午前10:05~11:35)にNHK総合テレビにて、『昭和歌謡黄金時代~三波春夫と村田英雄~』がオンエアされます。以前、NHKBS2で二度オンエアされたものの再々放送です。大変に好評を得た番組ですので、ぜひぜひご覧ください。なお、北海道のみ、12/31 10:05~11:35のオンエアとなります。
 ではまた、来週金曜日に。

2009年12月25日

お客様は神様です 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 さて、広く世間の人に知っていただいた「お客様は神様です」の語は、どのようにして拡がることになったのか、後世のために?その記録をすこし。

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 「お客様は神様です」の本意につきましては、オフィシャルサイトにてご覧いただけましたら幸いです。
 さて、前回お知らせいたしましたが、明日NHK総合テレビにて、『昭和歌謡黄金時代~三波春夫と村田英雄~』がオンエアされます。午前10:05~11:35です。
なお、北海道のみ、12/31 10:05~11:35のオンエアとなります。
どうぞご覧ください。
 では、次回は来年1月15日(金)に更新いたします。
 本年もお世話様になりました。ありがとうございました。
 どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。 

2010年01月15日

短気は損気 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 釣り人には意外に短気が多いそうです。

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 本年最初の更新を致しました。この一年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、本日の本文は短気からの行動についてです。前にもお話ししたとおり、亥年生まれの猪突猛進型の三波春夫は、仕事に入るとまっすぐに集中していくアツイ人でした。ですから、お客様に最高のショウをお見せしたいという思いで一所懸命に仕事をしているときに不熱心なスタッフがいると、それがとっても厭だったようです。座長を務める方はどなたでもそうだと思いますし、仕事であれ遊びであれ、皆で力を合わせて何かをするときにはそういうものですよね。ただし、コーラの瓶はいけません…。というのと、ムカシはコーラは瓶が当たり前だったとはいえ、あまりコーラ瓶が三波の周りにあった試しは無いので…その時にたまたま飲んだものだったのでしょうけれど、不思議なものです。とにかく、人間どんな事があってもキレたらいけませんね。キレた方が人間が小さいことになってしまうのだと肝に銘じるくらいが良いのかもしれません。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年01月22日

短気は損気 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

ある著名な評論家の方がこんなことを教えてくれたことがあります。

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 本文で評論家の言葉が書かれています。
実演家に関わる評論には舞台評論がありますが、三波は舞台の評論家の方々のご意見もきちんと拝聴していましたが、やはりお客様のご感想をとても大事にしていました。浪曲家だった若い時期には、自分の舞台が終わったあとにすぐに着替えてちょっと帽子などを被って変装?し、お帰りになるお客様の人波に混じって歩いて、どんな感想をおしゃべりしていらっしゃるかを聞くこともしていたようです。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年01月29日

短期は損気 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 確かにそのとおりだと思いました。
仕事の時は誰しも、これが最高だと信じて取り組みます。

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 三波の公演のバンドメンバーは、終演後に皆「今日も『やったーっ!』って気がする」と…。そう口に出す方もいれば、ドッと疲れた方もいて。三波春夫の歌は、ふつうサイズの歌謡曲はまだしも、長編歌謡浪曲の伴奏をするとなりますと、根本が浪曲の伴奏である三味線のテを演奏することになるので、バンド本来の洋楽要素だけではなく、超がつくほど“間(マ)”が大事、ニュアンスも大事。それを大勢で息を揃えて演奏するのは、指揮者も大変でプレーヤーも汗!です。
 でも、「プロの仕事をしたーって感じ、を持って、一日の仕事が終われるのが良い」と、いつも頑張ってくれていました。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月05日

弘法も筆を選ぶ 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 あるクイズ番組に出たら、三波春夫のイメージは?」という出題に対して、通行人の方が街頭インタビューで答えるというおもしろいコーナーがありました。

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良い声と声量には睡眠が大事。
 これは三波の周囲にとっての鉄則でしたから、私もムカシから父の起床が午前10時を回ろうが、「良く寝て頂いてヨカッタです!」という気持ち以外になにもありませんでした(笑)。三波春夫の時間割はずっと、昼は公演や収録、夜に原稿を書くというものだったこともありまして。朝の訓示もない人でヨカッタです…。
 本文にありました舞台衣装のことですが、贅沢とはいえないと思いますし、舞台のきものをお客様が楽しみにしていらっしゃることを承知しており、ご期待にこたえるように、呉服店に発注してデザイン等を指示する担当の母が細かく神経を配って衣装を作っていました。ですので、三波自身はお値段を詳しくは知らなかったと思います。
 「舞台衣装は良いものを、本物を着る」という母の揺るがぬ方針を熟知していたから書いているのでしょう。万年筆などの筆記具は、三波が自分で選んで買い物をする数少ない品のひとつでした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月12日

弘法も筆を選ぶ 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 毛筆はさらに選びます。
手紙にはこれ、色紙にはこれ、もっと大きな書にはこれ、と決めて五十本ほど持っています。

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 三波が先様にお送りした、長ーい巻紙の手紙は、ところによっては表装されて保存頂いているようです(冷汗…)。 
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月19日

十五万六千円の結納金 1

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 これだけ働いたから、どれだけの収入があって、生活に必要な分がこれだけ残って、また、これだけ働いて・・・・・・。

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 あくまで私の個人的な考えなのですが、演者は、私生活においてお金の勘定をしないで済むならばしないに越したことはないと思ったり致します。もちろん生活上の普通の算数は必須事項ですが、余計なことでお金勘定をしていると、どうしても人相に出るような気がするのです。そのデンで言いましたら「みんな妻任せです」という三波はよかったでしたが、その分母は大変でした(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年02月26日

十五万六千円の結納金 2

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 もっとも、こんなこともありました。

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 自叙伝『すべてを我が師として』にも書いてありますが、友人の紹介で生涯の伴侶に巡り会った時のことです。三波は当時痩せていて、若い時の王貞治氏のようなベース型の顔をしており、そこに綺麗に撫で付けられたオールバックの髪、近眼メガネ、白い開襟シャツに地味なジャケットです。私も当時の写真を見たのですが、母に同感。「税務署の方から来ましたー」と玄関を入って来そう…。でも笑顔が底抜けに明る過ぎる税務署の人だったですが(笑)。
ではまた、来週金曜日に。

2010年03月05日

十五万六千円の結納金 3

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 昭和二十四年にシベリアから帰還して、さあ平和な世の中で思い切り浪曲がやれるぞ、とそのことがただ嬉しくって、南篠文若一座を率いて地方を回り続けていました。

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抑留から帰国して3年。三波自身に持ち家はなく、全財産はこの貯金だけのようなものだったそうです。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年03月12日

十五万六千円の結納金 4

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ゆきは、当時すでに三味線の上手といっていい腕の持ち主でした。

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 厄介な新米ご主人ですよね…。ちなみに指輪を買ってあげていないです、この御主人は。母から聞いておりマス(笑)。でも、母自身も、まずは仕事の物をという気持ちだったそうです。本当に母の生き方は生涯、「三波春夫の仕事第一!」。まことにはっきりと、オトコマエでした。 
 ではまた、来週金曜日に。

2010年03月19日

十五万六千円の結納金 5

三波春夫著 「三波春夫でございます」より

 ついでに、自分の浪曲を仕上げるために、絶対に必要だとかねがね思っていた、当時としては貴重品だったテープレコーダーを買うのに四万五千円。

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 母の三味線の音色について、以前もブログでお伝えしたことですが、「ペンッ!!」とひとバチ弾いたその音から聴く人の背筋をシャンとさせるような、ビシリと響く音色でした。
悪い事をしてないのに「すいませんっ」って言っちゃいそうな迫力と言いますか(笑)。例えば、和太鼓のいい音を聴くと「キターッ」って思ったりするじゃないですか。あの感じの、なんかもっとコワい感じです(笑)。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年03月26日

まぼろしの初の給金 1

「三波春夫でございます」より

 この間、新聞を読んでいてあっと驚きました。

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この書籍「三波春夫でございます」が出版されたのが1993年。
現在でしたら、本文のような記述とは違った内容になったことでしょう。
ではまた、来週金曜日に。

2010年04月02日

まぼろしの初の給金 2

「三波春夫でございます」より

 私たち一家が上京してきたのは、昭和十一年のこと。私が十三歳のときでした。父親が株に手を出したばかりに故郷をあとにする羽目になったとは、まだ知るよしもない年頃です。

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 三波から直接聞いた思い出話ですが、13歳から始まった米屋奉公の当初。自転車の荷台に米袋を積んで配達に行ったところ、納める先の天丼屋さんの店先で自転車ごと転んでお米が道にこぼれてしまったそうです。でも、お店のご主人が一緒に米を拾ってくれて、天丼まで御馳走になったということ。この話を聞いた時はまだ私は20代だったのでそれほどでもなかったですが、今の年代では深く感じ入るものがあります。
 最近、仕事で必要だったので三波春夫のトーク番組のビデオを見ていたのですが、その時の話の中で、『人を大事にすると、自分が大事にされるって言いますでしょう』と、三波が発言していましたが、この天丼屋さんの話はまさにそうでした…。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月09日

まぼろしの初の給金 3

「三波春夫でございます」より

 でも、この給料を私はこの目で見たことがない。米屋のご主人から父親の手にそのまま渡り、父は借金の返済にあてていたようです。つまりは、まぼろしの初任給だったわけです。

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 イノシシ何枚、って、今や全くわからないですよね。聖徳太子のお札も知らない方が増えていますものね。
 さて、お知らせを申し上げます。三波の命日の14日に、恒例のCDリリースがございます。今回は、『長編歌謡浪曲スーパーベスト5』です。時代物「関の弥太っぺ」等の他、川で溺れる生徒を助けるために殉職した教師の話を描く「花咲く墓標」、ジュラ紀を描いた「恐竜王物語」などの珍しい作品を収録しています。是非、お買い求め下さいませ。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月16日

使わなかった十万円 1

「三波春夫でございます」より

 この金勘定のできぬ男が、お金を借りたことで、素晴らしい思いをさせていただいたことならあります。昭和三十一年の秋の事、大学卒の初任給一万八千円の時代です。

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 加藤清二郎さんは、浪曲時代からご後援下さり、歌手・三波春夫になってからは後援会の会長に成って頂いておりました。1924年(大正13年)に“簡易洋食”と銘打った『須田町食堂』を開かれ、その後の上野の『聚楽』ほか数々のレストランでお客様にリーズナブルに洋食を提供なさいました。人々の思い出にしっかりと残るお店ばかりでした。現在、聚楽チェーンはお孫さんが社長でいらっしゃいます。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月23日

使わなかった十万円 2

「三波春夫でございます」より

 この時のお金は、文字どおり、私の芸への”投資”となったわけです。それから間もなく、三波春夫の名でデビューすることができたのですから。

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 以前も書きましたが、お年を召されても加藤清二郎さんは背筋がピーンと伸びておられたことがとても印象的な方でした。三波は心から尊敬しておりました。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年04月30日

使わなかった十万円 3

「三波春夫でございます」より

 家内はいったんお借りした十万円を、よほどのことのない限り手をつけてはならないお金だと思って、貯金のかたちにして、使うことはありませんでした。

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 あらためて“神棚にあげて歓んでくださった加藤氏”を考えますと、あたたかいお方だったのだと感じ入ります。
 母のことですが、三波は生前、講演や取材の折に、『悪い女房を貰うと一生の不作と申しますが、お陰様で我が家は大豊作でした』と笑顔で語っておりました。妻には生涯、感謝感謝の三波春夫でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年05月07日

汗をかいていないお金 1

「三波春夫でございます」より

 あるとき興行師さんが株をすすめてくれたことがあります。

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 生前、インタビューなどで話していたことですが
「沈黙は金、と言いますが、雄弁はダイヤモンドだと思います」。
人と触れ合って、向き合って話をしてみて、確かな心のやりとりがあって、という土台の上で生きていきたいというタイプの人でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年05月14日

汗をかいていないお金 2

「三波春夫でございます」より

 お金というのは、やはり汗と努力の代償としていただくもの。汗をかいた結果に得たものでない限り、それはお金と呼べないのではないでしょうか。

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 子供に何を見せるのか。日本の国の子供が現在、何を見て聞いて育つのか。…大事なことですねぇ…。
ではまた、来週金曜日に。

2010年05月21日

汗をかいていないお金 3

「三波春夫でございます」より

 そんな私ですが実は一社だけ株をもっています。

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 ある番組で「叩き上げの三波さん」という形容をしていらっしゃいましたが、実直な生き方は、色々な人の生き方を見た上で選択したものだと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年05月28日

噫々二宮金次郎 1

「三波春夫でございます」より

「あれじゃあ、眼を悪くしちゃうよなァ」と若者が言ったという話を聞いたことがあります。

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尊敬してやまなかった二宮尊徳さんのお話です。平成9年に開催した永六輔氏とのイベント『爆笑教養講座』の舞台の上に“柴を背負って本を読む金次郎像”があり、その前で永氏が三波に聞きました。  
 「きょう、三波さんが二宮金次郎について話をするっていうからこの像を置いたんですけど。なんで、この人は、歩きながら本を読んでいるんでしょうかねえ」
 「いえ、永さん、違うんですよ。金次郎さんは山で柴を取って来て、それを売った代金で本を買って、仕事を終えてから本を読んだんです。ですから、おなじみのこういう像は、それをいっぺんに表現したものなんです」
 これを皮切りに、三波による尊徳さんの話はエンエンと続き、客席は静まり返ったのでした…。
  ではまた、来週金曜日に。

2010年06月04日

噫々二宮金次郎 2

「三波春夫でございます」より

 現小田原市栢山の没落した豪農の家に生まれた金次郎は、努力、陰徳、積善、節約という、哲学力行の末に身につけた実証的な合理主義によって、まず、わが家の再建を果たしました。

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 金次郎像をもし見かけられましたら、このようなことを思い出しつつ味わってご覧ください(笑)。尊徳先生の偉業の説明はこの後も続きます。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年06月11日

噫々二宮金次郎 3

「三波春夫でございます」より

そのうえ、この方は、江戸時代にぬきんでた経済学者であり、土木工学の権威でもありました。
 その「報徳仕法」や推譲金の制度は、現在の協同組合や信用組合の原点とも言えるものでしょう。

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 「原点」は素晴らしかったんですね。
ではまた、来週金曜日に。

2010年06月18日

噫々二宮金次郎 4

「三波春夫でございます」より

 借りた金は事業資金として、五年間は無利子。そして、返済をする時に、一割または二割の利子を、おかげさまでと、感謝の心をこめて返納という、情と理に叶ったものでした。ですから、みんな頑張って借金を早く返して仲間の期待に応えようと頑張ります。尊徳先生は、こんな素晴らしい制度を江戸時代に作ったのですから、まさに民主主義の祖であり、心温かな哲学者でもありました。

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 「研究してみたところ、物凄い人物だった。これを世の中に伝えたい。皆さんの勇気の源にして貰えたら幸い」と、歌詞として書きまとめて、曲をつけて唄う。どう書いたらいいのだろうと苦心しつつも、恐らくいつもその仕事を心底から楽しんで実行していたのが三波でした。やがて出来上がった作品を新曲としてレコーディングする日を迎えるわけですが、このレコーディングという作業が本人の「一番好きな仕事」だったのでした。
  ではまた、来週金曜日に。

2010年06月25日

噫々二宮金次郎 5

「三波春夫でございます」より

 この歌については、ほかにも小さな思い出があります。私の家内が、この歌のなかの「梅の花咲く小田原後に桜町へと旅立ちなさる」というあたりになるときまったように涙を流すのです。

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 自叙伝「すべてを我が師として」に三波が詳しく記述したところがありますが、母は自分の両親と縁が薄い人だったので『専門職について自分で食べていけるように』という周りの大人達の計らいで、9歳で芸界に入りました。旅公演を続けながらの芸の修業は厳しくて、人の居ないところで涙をこぼす日々。でも、運命や環境に負けちゃいられないと、一人前の舞台人になるためにまっすぐに努力をしたのだそうです。何十年経ってからも、ふとした事でその頃の自分を思い出し、ジワーンと涙をためながら私にも思い出を語ってくれたことがありました。父は自らの経験と重ねながら、私以上にとても深く、母に共感していたのだと思います。
  ではまた、来週金曜日に。

2010年07月02日

噫々二宮金次郎 6

「三波春夫でございます」より

 うちうちのことを書きましたが、正直のところ、私は、金勘定が苦手です。また、うまい儲け話の周辺には決して近づくまいと思っています。

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二宮尊徳研究の本は沢山ありますものね。
ではまた、来週金曜日に。

2010年07月09日

私はデノミ論者です 1

「三波春夫でございます」より

 共産主義の崩壊から手さぐりの市場への移行へと迷走し続ける旧ソ連邦。そのなかのある共和国の議会が、下落し続けるルーブル貨幣の復権のために、一ドル一または二ルーブルに、その国だけでもデノミネーションの措置をとることを決議した、という話題が、新聞の外報欄に小さく載っていました。

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 シベリアに4年間抑留された経験から、旧ソ連の共産主義を勉強せざるを得ないことになり、帰国後もずっと、ロシアの歩み方を注視していました。多くの抑留経験者と同じく、語り切れない様々な思いや考えと共に、だと思います。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年07月16日

私はデノミ論者です 2

「三波春夫でございます」より

 戦後インフレの為替相場をいまだに引きずっていることにはこんな心理的な問題もあります。

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 戦前戦後を生きて来た人の実感なのでしょうね。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年07月23日

私はデノミ論者です 3

「三波春夫でございます」より

 そのこと自体は、江戸の一両、明治の一円の価値をいうときも同じことかもしれません。

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 三波の持論でした。
 ではまた、来週金曜日に。

2010年07月30日

私はデノミ論者です 4

「三波春夫でございます」より

 私はもう十何年も前から、このことを話していますが、もしデノミをやることになるとたいへんな金がかかるという方がいます。これは数字のあらわし方が小額になるので、日常生活のなかでも銭や厘という単位が出てきたりして、今ある証券・伝票から販売機からレジから、すべて変えなくてはならない。その費用は莫大だからできないという主張です。

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三波春夫はこんなことも考えていたり、感じていたりしていた一面があるのでした。
ではまた、来週金曜日に。