それに、日本へ帰りたいという気持ちだけの捕虜の身にとって、労働などやる気はまるでないのですから、作業が進まないのは当然でしょう。
しかしソ連の指導者たちは、こうした捕虜の心理を十分に研究して、半年後には“民主運動”という名の、思想運動を活発にして、捕虜たちに働く気持ちを起こさせました。
<八島>
「軍隊と抑留生活で、極限状態における様々な人間模様を見たこと。これは実に勉強になりました」そう語っていた三波でしたが、それでも帰国後もずっと性善説を立場とする人でした。
本日から、「聖徳太子憲法は生きている」をご紹介して参ります。
この本は、1998年に小学館文庫のために書き下ろしたものです。
三波春夫75歳の折。
歌手としての仕事の傍ら、この本を執筆しました。
本文中にあるように、父は1944年に応召して陸軍歩兵として満州の戦場を駆け巡ったのち、シベリアで4年間の抑留生活を経験しました。
その間、仲間にむけて語る浪曲の台本を、ひとりコツコツと睡眠時間を削って書き、30本近い新作をつくりました。
歌手になってからも、いつも「研究のために本を読む」「原稿を書く」ことが並行している日々でした。
それにしても、"聖徳太子憲法"という題材は意外な感じがございますね。
日本と日本人の心を求めて…、という歌手・三波春夫の生き方は、最晩年にこの本の執筆の境地を迎えたというわけです。
お読みくださる方々の、ご年齢やお考えによって、文章から色々なことを汲み取って頂けると存じます。
読み辛いところもございますが、どうぞお付き合いくださいませ。
なお、来週の金曜日の更新はお休みさせて頂きまして、次回は21日に更新します。
酷暑が続いておりますので、くれぐれもご自愛くださいませ。
三波美夕紀
哲学の集大成とも言えるこの憲法は、推古天皇十二年(西暦六〇四年)五月に発布されました。聖徳太子が草案した憲法に天皇が承認を与えたのですが、爾来、太子憲法と人々は呼んでその価値の高さを評価したものです。
国家公務員、政治家、神職、僧侶、儒学の教師。
これら5つの職業に対しての17条ずつで、全部で85条ということですね。
この本では、それらをすべて解説し、歴史のエピソードもご紹介して参ります。
よろしくお願いいたします!!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
三波春夫は新潟県の出身ですので、"越後の鹿"というところにビビッと来たようです。
時代が何しろ"推古"のことですので、親近感が湧きづらい感じでございますが、
どうぞお付合いくださいませ。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
ところで、伝説によれば献上された白鹿の角には、十七の文字が書かれていたと言いますが、もしかすると、文字とも読める模様があったのかもしれません。いずれにせよ、太子はそれを見ておもしろいと思われたのでしょう。その十七の文字に、十七条の心魂とも言うべき考え方の当てはめを試みられたようです。
コジツケではなく、この発想力、思想するチカラ。
日本人の持つセンス、能力とは、こういうものなのです、ね。
ゆめゆめ失いたくないものだと思います。
この続きはまた、来週金曜日に更新いたします。
よろしくお願い致します。
「龍」は大きくて霊体ながら小身になって身を隠す。大でありながら小となるは謙。ゆえに謙道。
「花」は開いて落ちて私心がない。私心なく賞罰を明らかにする事道に通ず。
「日」は天の主である。天子は国の主である。ゆえに主道。
「車」は両輪があって誤りがない。司たちの足である。ゆえに司道。
「地」は万物を育てながら決して嫉妬心がない。これを徳道とみる。
「天」は四時百刻、私心がない。ゆえに公道。
「水」は夏に解け冬に凍り、時々の事の処し方を知る、ゆえに時道。
「籠」は目盛りのついた器。品定めをして、大小も分かつ、ゆえに品道。
「鼎」は三本足で立つ。ゆえに三法に当たる神・仏・儒の尊きを説く、法道。
日本の国の人々のために、微に入り細にわたって生き方・暮らし方を教え導く、日本人・聖徳太子が作った憲法。
のちに、ひとつひとつの条文をご紹介していますが、その前に、聖徳太子についてのエピソードを書いています。
来週金曜日の更新では、その部分に入って参ります。
どうぞまたご高覧くださいませ。
今の世でも、お立場によっては参考となる人選の心得…。
さて、この本文の欄外に、「摂政」についての解説がありますのでご紹介します。
「摂政」:天皇が女性か幼少の場合、天皇に代わって政治を行う役職。
推古天皇を補佐した聖徳太子がその始まり。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
東夷は、「とうい」と読みます。
西戎は、「せいじゅう」。中国の西部の民族たち。
南蛮は、「なんばん」。中国南部の民族たち。
北狄は、「ほくてき」。中国北部の民族たち。
不変の地理、不変の云々…。問題は永遠でございますね。
この続きはまた、来週金曜日に更新いたします。
そこで煬帝は日本の国主にあてて怒りを顕わにした手紙を書き、小野妹子に渡したのです。さて困ったどうしようと、迷った末に、妹子は「国書を盗まれました」と天皇に報告したのです。しかし、正式な外交文書を無くしたとあってはただで済むはずもありません。当然、妹子の責任を追及する声が大きくなり、帝も処分を決しかねておりましたとき、太子は"何かおかしい”と感じ、小野妹子に国書の内容を訊ねたのでしょう。
「裴世清」はご承知のとおり、「はい せいせい」と読みます。
この続きはまた、来週金曜日に更新いたします!
太子が指摘した通り、隋の煬帝の経歴は、六〇四年(日本では太子憲法が発布された年です)、父の文帝を殺して即位しています。やがて南北に亘る大運河を建設しますが、おもしろいことに、南(江南)の地方で作るお米のおいしさを北京の方でも味わいたいという理由で、米を運ぶ運河を造ったのだそうです。当時も食料問題が重要だったのですね。
上記、本文にルビがふれないものですから、以下に記します。
○李淵:リエン
○朱全忠:シュ ゼンチュウ
○梁:リョウ
○肇って:ハジマって
ではまた、来週金曜日に更新いたします!
「膳の妃」は、かしわでのきさき。
「薨去」は、こうきょ、と読みます。
さて、本日の毎日新聞の夕刊に、"東京五輪"に関する特集記事が掲載されています。
三波春夫の話も出て参りますので、お読み頂けましたら幸甚です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
父が、’97年~’98年にかけてこの本を書いていたときに、出来上がった分の草稿を受け取って読ませて貰っては、「こんなことがあったんですね」とか「ここの書き方が判りづらいです、練り直してください」とか(笑)、いろいろと話をしました。
その中でも、この”黒駒”が自ら頭を打ち付けて命を絶ったという逸話には、『なんという馬だろうねぇ…』『悲しくて悲しくて、どうしようもなかったんだわねぇ』と、しばし感動を語り合う父娘でありました。
本の後半に、太子ゆかりの奈良の”橘寺”を訪ねて、黒駒の像も拝見したことなどを書いておりますので、後日ご紹介いたします。
ではまた、来週金曜日に。
次回からいよいよ、憲法の条文の解説が始まります。
お楽しみに!
また来週金曜日に更新いたします。
琴の和道 通蒙憲法 第一条
『和を以て貴しと為し、忤うことなきを宗とせよ。
人には皆黨有り。また、達る者は少なし。
是を以て、或は君父にも不順あり。また隣里にも違う。
然れども、上和ぎ下睦み諧て事を論めよ。
則は、事も理も、自ら通わしめ何事か成らざらん。』
父が、“今日、身につまされる思いがしますね”と書いたのが1998年でしたが、2015年の今日の方が“身につまされる思い”が増しています…。
次回は「第二条」、また来週金曜日に更新いたします。
斗の順道 通蒙憲法 第二条1
『詔を承りては必ず謹め。
君は之れ天に則り、臣は之れ地に則る。
天は覆い地は載せて、四時順り行き、萬氣、通ずることを
得せしむ、地もし天を覆わんと欲む則は、壊れ致すのみ。
是を以て、君言ば臣承り、上行さば下これに效うは
是れ天地の則なり。
故に詔を承りては必ず愼め、謹まざれば自ら敗ばん。』
聖徳太子の「三宝」は「三法」なのでした…。
次回は、三波春夫の解説の続きです。
来週金曜日に更新いたします。
では、太子憲法の改竄はいつごろされたかと考えますと、仏教者、僧侶に真に勢いがついた、これより約百二十年後の第四十五代・聖武天皇の奈良大仏建立の頃・・・・・・。このあたりではないかと思われます。
「われ三宝の奴…」の”奴”は、ヤツではなくヤッコと読みます。
家来、下に付く者、という意味です。
父が、この宗教戦争について一言書いていますけれど、当然のことながら現在もこの問題は引き続いています。
この先も、終わりが見えない問題です。
宗教というものは人に真っ当な考え方を持たせて、幸せな道を歩むように導くために、始めの始めに生み出されたもののはずですのに。
人として真っ当ではなく、自分の利で勝手に物事を動かす人々は、昔も今もなんと多いことございましょうね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
月の禮道 通蒙憲法 第三条
『群卿百僚、禮を以て本とせよ。
其れ民を治むるの本は要ず禮にあり。
上禮なくば下齋しまず、下禮なくば必ず罪あらむ。
是を以て、君と臣に禮あれば位次亂れず、
百姓に禮あれば國家、自ら治まらん。』
日本はもちろん、地球上の人間すべてに「礼節」があったら…。
では、来週また金曜日に更新いたします。
臺の政道 通蒙憲法 第四条
『餐を絶ち欲を棄て、訴訟を明らかに辨めよ。
其れ百姓の訟は一日に千事あり、一日にして尚爾り、況んや
歳を累ぬるをや。頃訟を治むる者、利を得を常となし、
賂を見て罪を裁き、これを聴す。便ち、財有の訟は石を
水に投ぐるが如く、乏の訟は水を石に投ぐるに似たり。
是を以て、貧民は則ち由る所を知らず、臣の道も亦ここに
於いて闕けむ。』
人間は、野放しではいけないもので、教えなければ、学ばなければ、どうしようもなく愚かなものなのですね。
今の日本も、教え上手がもっとたくさん居てほしい、学び上手に皆がなったらもっと良い、と思います。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
鏡の智道 通蒙憲法 第五条
『悪を懲し、善を勧むるは之れ古よりの良典なり。
是を以て、人の善は匿すことなく悪を見ては必ず匡せ。
其れ、諂い詐りをなす者は則ち、國家を覆す利器なり
人民を絶る鋒剣とならん。
また佞ねり媚る者は、
上に對う則は、下の過ちを好説し、
下に逢う則は、上の失ちを誹謗す。其れ此くの如き人は
皆君に忠なく民に仁なし。是れ大亂の本ならん。』
「こういうタイプのことを、太子も熟知されていらしたんですか!嫌な人種ですよねー」と、話しかけさせて頂きたい!?気分。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
竹の官道 通蒙憲法 第六条
『人には各任あり。掌るところは、宜しく濫れざるべし。
其れ、賢哲に官を任す則は頌音起こり。姦者官に在る則は
禍い亂れ繁んなり。世に生まれながらに知れる人は少なし。
克く念いて聖と作る。
事の大小にかかわらず、人を得れば必ず治まり、
時の緩急にかかわらず、賢に逢ば自ら寛なり。
此に因って、國家と社禝永久に危きことなし。
故に古の聖王は、官の為に人を求め、人の為に官を求ず。』
優れた教え、ともいえる条文。本日の分は、父の解説にもありましたが、天下りのところも大いに納得させられます。
そして、「生まれながらに賢い人など少数。よく学びよくよく考え、己を磨くことを重ねれば、物事を良く知り、良く判断できる人となる」の部分にも注目したいです。
素晴らしい人が山盛りとなれば、天下りバンザイとは何たることか、という世の中になりましょうに。いまだ、なっていませんね…。
ではまた来週金曜日に更新いたします。
”役所の皆さん、頑張ってください”の、通蒙憲法はまだまだ続きますが、
本年のブログは本日まで、とさせて頂きます。
一年間お読み頂きまして、まことにありがとうございました。
来年も毎週金曜日の更新で掲載して参ります。
引き続きまして、よろしくお願い申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ!!
新年、第一回目の掲載をご高覧頂きまして、ありがとうございました。
「信」をもって仕事をしてまいりますので、本年もどうぞよろしくお願い致します!!
では、来週金曜日に更新いたします。
龍の謙道 通蒙憲法 第九条
『忿を絶ち瞋を棄て、人との違うことを怒らざれ。
人には皆心あり、各心に執ることあり、
彼れ是の則は我れ非となし、我れ是の則は彼れ非となす。
我れ必ずしも聖に非ず、彼れ必ずしも愚に非ず。
共に是れ凡夫のみ。是非の理誰か能く定むべき、
相共に賢愚なること環の端めなきが如し。
是を以て彼の人は瞋ると雖も還って我の失を恐れよ。
我れ獨り得たり雖も、衆に從いて同じく擧え。』
「人に優しく、自分に厳しく」、でござります。
しかし最近は、父が上記のように思った頃よりももっと、他人に対して異常に高圧的な人が多くなりました。
自分は未熟でーす、という姿を晒していることになりましょうに…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
花の事道 通蒙憲法 第十条
『功と過とを明らかに察て、賞と罰を必に當てよ。
日、功あらざる者に賞し、罪あらざるに罰す。
事を執る群卿。
仰いで天に察い、俯して地に観い、
宜く賞罰を明らかにすべし。』
この時代の、お役人に対する憲法の条文で、”信賞必罰になっていない、最近の状況”が書かれているなんて、びっくりですね。
アホな人々、と言ってはいけないけれど、正しい人の道から転げ落ちて好き勝手にやってるヒトっていうのは、まぁなんと昔からいるんでしょう!
また、次回、金曜日に更新いたします。
日の主道 通蒙憲法 第十一条
『國司國造は百姓より貢を斂こと勿れ。
國に二君なく、民に兩主なし。
率土の兆民は王を以て主となす。
任所の官司は是れ皆、君の臣なり。
何ぞ敢えて、公擧て百姓に賦て斂むや。』
税金を、ナンデそんなに取り立てるのか? ドコに使うっていう税なのか?
チャンと使われているのか?
人民いうのは、ずーっと、ながーいことそう思って、数えきれないほど何代も何代も生きて来たわけです、ね。
ではまた、来週金曜日に、次の条文をご紹介します。
車の司道 通蒙憲法 第十二条
『司諸官を任う者、同じく通じて職掌を知れ。
或は病み、或は使いして事に闕くることあらん。
然れば日相和み之らを知り得て、曾て識れるが如くせよ。
其れ與かり聞くところに非ずということを以て、
公務を妨げること勿れ。』
本日分もまた、思わずヒザを打ちたくなるような、「そうっ、それですよ」という内容でした。
では、次回もお楽しみに…。
来週金曜日に更新いたします。
地の徳道 通蒙憲法 第十三条
『群臣百僚嫉妬有くこと無れ。
我れ人を嫉まば既りて人もまた我れを妬まむ、
嫉妬の患い其の極を知らず。智己に勝れるときは悦ばず。
徳己に優れるときは嫉妬す。是を以て、良哲出ずることなし。
乃令五百歳の後にいたるも、
賢に遇わしむることなく千歳にして以て一の聖も得ること難し。
其れ賢聖を得ざれば、何を以てか國を治めん。』
本日分も、金言の条文でした!
そして、父の解説の中に、”女性の嫉妬より男性の嫉妬が…”とありますが、確かに確かに…。
ではまた来週金曜日、心洗われる条文、ご紹介いたします!
天の公道 通蒙憲法 第十四条
『私に背き公に向がうは、是れ臣の道なり。
凡そ人、私を有は必ず恨あり。恨あれば必ず非を作して、
非は固を失う。固あらざる則は私を以て公を妨げん
恨みを起こす則は、制に違き法を害う。
之に由り私を推う則は、君を君とし臣を臣とす。
故に古典に云く、夫子の道は忠恕のみと。
其れもまた、是の情ならむか。』
ダイレクトに国の仕事をしている方々は、ココロしてくだされたし!!の、タイムリーな条文でした!
…というより、やはり人間はこのように注意しないと、道を外れるものなのだよと、太子はお考えだったわけですね。
さて、最後の部分で父が"反省"しておりますが、子供ではなく特に"妻に向かって"でござりましょう。
妻なくしては『三波春夫』は生まれませんでしたから、ほんとうに良く働いた"妻"でした。
この事はまた、後日の機会に詳しく…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
道の時道 通蒙憲法 第十五条
『民を使うに時を以てするは之れ古よりの良典なり。
故に冬の月は間あり、以て民を使うも可けむ。
春より秋に至るまでは農桑の節なり民を使うべからず。
其れ農ざれば何を食らい、桑ざれば何をか服とせむ。』
そうです、そうです。頭だけで計算して考えた法律を作って、私達を振り回さないでほしいわー、と思う今日この頃…。
では、来週も金曜日に更新いたします。
籠の品道 通蒙憲法 第十六条
『大事は之れ獨にて斷めざれ。
必ず衆と與に宜しく論すべし、
小事は是れ輕し必ずしも衆するに足ばず。
唯、大事を論めるに逮びては、或は癡かにして失あらむ。
故に衆と與に相い辭り辨あえ、則ち理を得べし。』
自然の秩序、人の秩序…。
そうあらねば成らぬこと、が、最近は甚だしくビックリするほど失われてゆくので、またビックリ…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
鼎の法道 通蒙憲法 第十七条
『篤く三法を敬え、三法とは儒釋神なり。
則ち、四姓の總の歸にして萬國の大宗なり。
何れの世、何れの人か、是のごとき法を貴ばざる。
人には、尤も悪は鮮し能く教かば之れに從う。
三法に歸せざれば何を以て枉を直さん。』
『大きな事故が起きたりすると、実際には大事なツボが、まるで分かっていなかったのかと驚かされることがあります…』
3月11日という今日に、この文章は心に響きます。
第二条の解説にもありましたが、「篤く三法を敬え」は仏教を篤く云々…と言っているのではない、という解説をよく理解したいと思います。
公務員に対しての条文は本日でオシマイです。
次回からは、政治家に対する条文です。
来週金曜日の更新を、お楽しみに!
「政家憲法」ご紹介に入る前の序文です。
昔々の国の政治・行政について、と、太子の心。
注釈も含めて、よく読み返しておこうっと…と思う本日分でした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
琴の和道 政家憲法 第一条
『政を為す道は、獨り天の理に止どまるべし。
志を孤なして好嫌を絶ち、我を孤なして黨讐を離れよ。
好む黨の非は、耳之れを理と化し、悪む讐の理は
口之れを非と化す。
故に好と悪を絶って、物と融を致し黨讐を離れて、
政を和に歸すべし。
物と政に融和すれば兆民理まらむ、兆民理まりて、
天下平なり。』
上記の文章を、国会議事堂のロビーに貼って置いてくださいませんか、ね…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
籠の品道 通蒙憲法 第十六条
『辰宿星は天の君なり、公に位し公の度となって
天に仁く轉る。
幹支禽は地の臣なり、忠しく列り忠しく行って
地の義と定まる。
是れ人君人臣の理なり。故に王者は公政に仁を化す。
臣連は忠義に事え奉れ是れ天の道なり。是を以て下の事は
命を守るにありて私に過る則は定んで刑被れむ。
上の政は天に宛うしかれども過る則は匹夫にすら負かれむ。
故に過ちはすみやかに改めよ、改めざれば逸の政になり
驕の法とならむ。』
この続きは次回に…。
また来週、金曜日に更新いたします。
斗の順道 政家憲法 第ニ条 (2)
怒りの原因は、新羅国への遠征軍二万六千人を天皇の名の許に筑紫国まで宰相馬子が進めたことです。この遠征軍については、太子の弟君が二人、後に総大将に任命されていますから、国家の方針として決定されたものでした。結果としては筑紫港から渡海する前に取り止めとなりましたが、新羅に対する威圧の効果は大でした。しかし崇峻帝は、心の中ではおもしろくなかったようです。
「心の無い政治を行えば、国が乱れる」という条文でした…。
では次回は第三条へ。
来週金曜日に更新いたします!
月の禮道 政家憲法 第三条
『天は尊しといえども旋りつつ地を包んで譲なす。
若それ高きに亢ぶりて、上に昇る則は天の度に非ず。
地は元より卑して定まり、天を仰いで節をなす。
然るに、定めに反きて下、反す則は地の方を失う。
人は中に在りて、天地の倫に應を法となす。
故に、王者は節を丈て政を底す。
臣庶は敬い格し命に降うべし。』
良い、「上」の人でありたいし「下」の人でなくては!
ドコにあろうと、謙虚に頑張りましょうっ。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
臺の政道 政家憲法 第四条
『人情は先に聞くに偏く、故に其の片を先とせざれ。
上と下の訴は、其の罪大底上に有り、
下をのみ囚る則は上は驕り罪は絶ず亂れ茲に發る。
縁を便の訴は、非は必ず政者に有り、
頼に傾く則は政の正を失う。
貧と富の訴は、其の誠の諸は貧に有り、
規さざる則は悲嘆は一に止どまらず。
非政發らば、天下皆晦み何ぞ以て萬機を理めん。』
聖徳太子の時代~勝海舟の時代~この本が出版された1998年~現在。
この長い年月の間、不変の真理であり、まだ全面的には適わぬ真理です…。
では、次回は5月13日に更新いたします!
が、その前の5月10日20:00~20:54 BS11「あのスターにもう一度逢いたい」は、
三波春夫の巻、です。
ぜひ、ご覧ください!!
そして…、5月11日頃から書店に並び始めますが、
三波美夕紀 著
『昭和の歌藝人 三波春夫――戦争・抑留・貧困・五輪・万博』
(しょうわの うたげいにん みなみはるお)
が、さくら舎という出版社から発売となります。
「三波春夫」をより知って頂きたいと思い、書きました!
お買い求めくださり、お読み頂けましたら有難く存じます。
よろしくお願いいたします。
鏡の智道 政家憲法 第五条
『政を為すは寛大を善とせよ。
佳美の法度は尚これ無きに如かず、況んや苛荐の法度に
於いておや、愚豪なる主宰泰平に為さんと欲んで、
蒼思いに任せて、恣に数の條を設く。
民は其の法に迫られて勞て、事は其の制廉に自り出ず、
遂には異積りて風塵を起こすにいたる。
唯、箇の仁と恕のみ泰平に致さむ。』
政治家の方々にぜひ知って頂きたい太子憲法。
まだまだ続きます!
来週はまた金曜日に更新いたします。
竹の官道 政家憲法 第六条
『法度を立つるの道は、先ず上の罪を断つにあり。
上、仁 を盗むときは、下 財を盗まん。
上、公を枉るきちは、下 訴をを枉まん。
上、盗に居りて、下 の盗を刑すれば、日、千頭を刑
ると雖も賊の竭ること無し。
上、枉に居りて、下 の枉みを制えれば、月、萬口を獄
ぐと雖も罪は絶えること無し。』
タイムリーな気がフトいたします。役人を束ねるトップの人は特に心すべきことで、この時代にもう、書いてあるじゃありませんか、ねぇ。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
冠の位道 政家憲法 第七条
『正政の要は良哲を尋ね索して用い得ることにあり。
仁徳無き者は、諸の好に偏れん。
勇徳無き者は、諸の威に怖れん。
義徳無き者は、諸の賂に迷わん。
智徳無き者は、諸の巧に幻らまされむ。
是れ四徳、有るは賢なり。賢は得ること難し。故に一徳に
合う者を賢に代えよ。主上、賢を好みて一徳の者を得うる
は賢もまた来たらむ。』
仁・勇・義・智を持った良哲が、政治を、是非是非。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
契の信道 政家憲法 第八条
『刑を行うは、政で重きことなり。
以て、之を輙くおこなう則は、先皇の道を失う。天の瞠る
所は専ら、此れ政者にあらむか。刑は、
不孝を一と為し、不梯を二と為し、
不忠を三と為し、不義を四と為せ。
孝悌すたれ、忠義亡ぶ、忠義亡んで亂賊満つ。無道の君者
は、亂賊を悪んで乃れを刑するも、之れ不孝を赦し置くは、
刃を折と雖も治を得ず。あに本亂れて其の末治ま
らむや。』
不孝は、親に対して。不悌は年長者、不忠は君主、不義は人の道、それぞれに反することを言うようです。
分かりづらいですが、条文の意味するところを噛みしめてみると、ちょっと分かって来ます…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
龍の謙道 政家憲法 第九条
『國を安んずるの本は、五圖の多にあり。
其れ、厥の多きことは米粟の多きにあるなり。
人の世は、衣食木器財の圖に立つ、
然るに食らうに粟少なくば何を以て、田を耕し、蠶を養い、
木を伐り、金を堀り、器を造らしむるや。
悪ぞ、之れを豊かに作らしめ戸に足らしむることをえんや。
米の直銭多ときは、五の直も之れに随て多からむ。
鮮きを以て多を買うときは世の立つ所を失い、民はここに困しみ、
國もここに危うし。』
昔話の世界ではなく、現実の日本の姿がこうだったんですよね。
まったくもって何も足りてはいないのだけれど、自給自足で一所懸命な状況が、ふと羨ましい気がしてしまいました…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
花の事道 政家憲法 第十条
『米粟を多くする本は、之れ五事の非無きにあり。
これ、君に畜臣無く、民に遊族無く、
國に荒圃無く、政に苛性無く、祭に悋修無きことをいうなり。
畜臣を要るときは廻寶を促り。
遊族を置くときは殻功を費す。
荒圃を捨るときは田畠を徴す。
苛制を下すときは逋れて耕す。
悋修を行うときは風雨に変む。
焉んぞ米粟多からんや。』
『腹黒い役人を用いると、国に通用する財宝を、自分の倉にばかり集め…』ですって。
そんな人、多く、思い当たるところ、ありますねぇ。
『荒地を放っておけば 田畑少なく、厳しい法律を出せば、人民は逃げて耕さず…』
放っておかざるを得ない農地、の問題もありますねぇ。
太子憲法の条文は、「そうしないと、人間社会というものは、悪い結果になるよ」の含みがありますが、どの条文を読んでも、その「結果」が、現代のような気がして…。
聖徳太子憲法が発布されて以来、きちんとやって来ていればよかったのに、ですねぇ。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
日の主道 政家憲法 第十一条
『叛乱の本は國の乏しさと、民の貧しさあり。
國を乏しくし、民を貧しうするはこれ財を官庫に秘し
米を官蔵に蝕しむるにあり。
夫れ、蓄欲の國に住まんよりは寧ろ驕誇の國に住まわむ。
蓄欲の世には貸上って都宮に隠れ、驕誇の世には貨下って
郷扉に流る。
富める民は、己の躬、子孫の樂さを惜む。
故に、愼みて制命を畏れるも、貧しき民は恨みて
我れ尚、惜しむに足らずとなす。なんぞ制命を畏れむや。』
「人の誇りに生きよ。特に上に立つ政治家は……」ですと!
本当に、声を大にして”頼みますよ!”と言いたい私達、ですよね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
車の司道 政家憲法 第十二条
『主上政を為すは、仁に止めて我れを無となせ。
學ぶに、天の度、地の行、人の法を以てし
之に理て、吾が先皇の蹟を践み、臣を先賢の蹟に導き、
天の天下を安んじ、
天の兆民を樂くす。
天は自ら御し無為に歸らん。
かく虚莫を御すれば王道隆えん。』
このあとの永六輔さんの御様子については、次回に。
また、来週金曜日に更新いたします。
次回は、政家憲法第十三条です。
また来週金曜日に更新しますので、よろしくお願い致します。
地の徳道 政家憲法 第十三条
『宰職政を奉るときは、義に止て己を無になせ。
學ぶに禮樂を以てし、勤めるに奉行を以てせよ。
天皇の治御にあらざれば原く所なく、
國家の安全にあらざれば議る所なし。
道心あらざれば腹に實すこと無く、
忠心あらざれば體に實ること無し。
慮う所は宗廟の危うきにありて、我が家のことにあらず。
顧る所は黎民の苦しみにありて、我が身のことにあらず。
公を實じ、私を虚して、其の果を案ざれ。』
本日の条文を読んで、私達の心にグサッと刺さる思い…。
いや、何もしていない私達がグサっと来なくていいわけですのにね!
政治家の方々、よく読んでくださーい!
ではまた来週、金曜日に更新いたします。
天の公道 政家憲法 第十四条
『王者、政を為すは吾れの政にあらず是れ天の政なり。
宰職、政を奉るは吾れの政にあらず是れ帝の政なり。
吾れに非ざるを以て吾れに非ずと為し、
敬みを致し誠を致すときは己なく罪はなし。
吾れに非ざるを以て吾れに有りと為し、恣に作い卒り作すときは、
上の一の恣下っての千の痛みと成り、
上の一の卒降って下の萬の困みと成る。
災は是れ自ら起る。』
ラストの方の「役人たちの一つのタワケゴトが、万人の苦しみとなる」は、今、目立って見える一文ですね。
タワケゴトをしている自体に腹が立つ上、マスコミを通じて毎日毎日繰り返して聞かされ、見させられるのは、ホント苦しいですよねぇ!
皆様、まっすぐ生きて、仕事して頂きたいぞ!です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
水の時道 政家憲法 第十五条
『造士は政を蒙らばこと敬を止として、以て高こと無かれ。
學を為すに、之の理に止まりて忠征を以てせよ。
忠はこれ、仁にして己なく、征はこれ、義にして貧なし。
以て、叛逆と好を同ばざれ。己の恨みを以て、
敵と戦わざれ。勅命の於て進み退き、忠義に生死せよ。』
「心の美しさ」、忘れたくはないことですね!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
龍の品道 政家憲法 第十六条①
『兆民は政を畏み、誠を止として欺くこと無きなり。
農者は、耕し培いやしなって稼ぎ休を知らず。
工者は、法に存め美ものを作り厭を知らず。
商者は、駄に荷をのせて渡り歩き倦を知らず。
蔓者は、問い習えし練り案えて投を知らず。
於て慣みて御令に盡くし、命用に於て勤め盡くさせるべし。 』
現代の世の中でも言えましょうね。
自分の人生を一所懸命生きること!ですねっ。
上記の、「三波春夫の解説」には続きがございますが、
来週金曜日の更新はお休みを頂戴し、次回の更新は19日(金)となります。
どうぞよろしくお願い致します。
龍の品道 政家憲法 第十六条②
太子は、歌舞音曲は人間社会に絶対に必要なものであると考え、奈良県三輪桜井に「土舞台」という名の屋外劇場を作り、上演のための大道具・小道具の工房も設けました。そして、百済の帰化人で大名人と称された、味摩之・己中芳・加多意を教師にすえて、全国から美男子を集め、歌や踊り、芝居、音楽を習わせたのです。
三波春夫はラストに、先週ご紹介した条文の一つの”藝を競い見せる者は、問い習い繰り返し、練り考えて投げ出す事を知らず”について書いています。この、投げ出さずに努力する根性が肝心なのは、どんな仕事でも、なにをするにしても、いつの世でも真理ですね。リオ五輪の選手の姿を拝見しても、感じられますね。
暑さが厳しいですが、日々、ガンバリましょう!
次回は、来週金曜日に更新いたします。
そして、お知らせです。
20日に発売される「月刊カラオケファン」10月号には、『三波春夫、ここにあり!』という特集が掲載されています。
ぜひ、お買い求めください!
鼎の法道 政家憲法 第十七条①
『政は學非らざれば立たず、學の本は儒釋神なり。
然るに、其のーを好む者は、各其の二を悪い、
而も其れ在ることを妬み其の亡ぶことを欲う、
これ我が知るを理となし知らざるを非となす所以なり。
故に、政者は宜しく三に通じて、一を好むべからず。
其の、一を好むことを成す者は、恐らく、政を枉げん。
政を枉げる則は、王道廢れ騒動發らむ。 』
宗教・考え方など、ただひとつのみを盲信しすぎると、他を認めなくなるものですね。大きく広い心持ちで、いろいろなことを見聞きして、生涯が勉強、なんですよね。
三波春夫の解説の続きは、また次回に。
来週金曜日に更新いたします。
鼎の法道 政家憲法 第十七条②
ここで私は江戸時代の終わりに大活躍をされた二宮金次郎尊徳のお言葉を思い出します。校庭の銅像でおなじみの金次郎少年が、成人してどんな働きをされたのか。ほとんどの日本人がこの偉人の業績を知らないのは、教えることを忘れた教育界の責任ですが、あの銅像は薪を背負って売りにゆく姿と、肩の荷を下ろしてこんどは本を読みながら帰る姿を一個の芸術品としたわけですが、この方は物凄い勉強家でした。
二宮金次郎像は、そうなんですよね、
★薪を背負っている働く姿
★本を読んで勉強する姿
を同時に表現しているので、「歩き読みをしているのか!?」という銅像なのですね。
このことを、父がトークショーのステージ上で永六輔さんに説明しているのを観て、初めて知りましたが、永さんも初耳だったようでした。
18年ほど前のことでした。
報徳仕法については、三波春夫の著書『熱血!日本偉人伝』にも詳しく書かれています。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
儒士憲法十七条①
儒士とは儒学を教える人たちのことです。日本に儒学が伝えられたのは太子の時代よりずっと以前のことで、太子憲法が発布されたころにはかなり普及していました。そのため、こうした憲法が必要になったのでしょう。
儒士憲法の条文のご紹介に入る前の、解説の始まりです。
今回を含め、4回にわたって解説を掲載します。
さて、9月15日深夜(日付は16日ですが)午前1時台、NHKラジオ『ラジオ深夜便』にて、”三波春夫”を三波美夕紀がお話させて頂きます。
ご都合が合われましたら、どうぞお聴きくださいませ。
次のブログ更新は、その16日金曜日です。
よろしくお願い致します!
なぜ末子相続とされたのか、の理由は後述がございますのでお楽しみに!
各地からいろいろな民族が渡来してきた日本列島。だからこそ、皆でうまく暮らせるように”和を以って貴しと為し”の精神を基本として、心遣いしながら生きて来たのだ。と、聞いたことがあります…。
皆が皆、心遣いと気遣いを持つ余裕があったらいいです、ねぇ。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
儒士憲法十七条③
さて、時代はずっと後のことになりますが、十五代応神天皇は、百済から帰化した王仁博士を、次男で末子の皇太子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の学問の師とされました。しかし、そのために大変な事件が起きてしまいました。
このあとの展開は、来週金曜日の更新までお待ちください!
では、よろしくお願い致します!
儒士憲法十七条④
弟の自殺を知った兄君の驚きと哀しみは、どれほどだったで しょうか。兄君は涙の中で即位され、第十六代仁徳天皇となられました。そして、弟皇子の住んでおられたところに神社を建立、弟皇子の名にちなみ「字治神社」と名付けられました。お茶で名高い宇治市という名は、この皇子の名前に由来します。さらに四国へ行幸されたとき、高松市に鶴尾神社を建てて弟君を祀ったのを筆頭に、日本各地に身を捨てて長幼の序という人倫の道を貫いた皇子の神社が建てられました。
末子相続とは?が、本日説明されました。
この本を書いた頃、永さんと父は度々お仕事を御一緒していたのですが、雑談はすべて歴史や日本文化についてでした。
永さんが知らないことを父が説明し、上記の本文のようにその逆もあり。アカデミックな友人関係でございましたー。
さて、
本日30日の読売新聞夕刊に、「三波春夫」についての記事が掲載されます。
そして、来月6日の深夜といいますか「7日の3時台」ですが、NHKラジオ「ラジオ深夜便」で、三波春夫の歌がたくさん放送されます。 起きてますよー、というご状況でしたら、どうぞお聴きくださいませ!
次回はまた来週、金曜日に更新いたします。
琴の和道 儒士憲法 第一条①
『儒はこれ五常の宗、五倫の源なり。
五常は身を修め倫を理す、
五倫は身を立て世に達す。
人、之を學ばざる則は禽獸の消息に落ち、永く君子の
威儀を失なわせむ、其の學ぶ所は人の和を先とすべし。』
五常は、いっぺんに出来な~い!です。(笑)
先日、父のお知り合いでもあった方から、「お陰様です、という考え方が出来るのは、日本人独特の長所」という話を伺いましたが、 “おかげさま”という心持ちを忘れなければ、五常に近づく早道かもしれない…と思いました!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
1923年生まれの父が育った時代は現代よりも、親が親であった時代だったでしょう。
今の煩雑な世の中であっても、辛抱努力、がんばりましょう…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
“人間社会に生きる者として、立派な行いをしなければならない”…。
シ、シビレますねぇっ。笑。
たしかに、正々堂々、明快な気持ちで日々を過ごしたいものですし、
それが、リッパに、通じることだと思います。
夫婦の話がありましたが、エピソードをひとつ。
ある時、父が、ご結婚カップルへの祝電を打った中に、このような言葉がありました。
『愛の深さとは、時間の長さです』
“だから、長い人生を二人でね。山や谷は二人で一緒に越えるんだぞ、と努力していってね”という思いをこめたのでした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
斗の順道 儒士憲法 第二条
『儒の宗と為すは、理を天極に取り、法を天度に尋よ。
是れ古の聖は學を河洛に立て、天を崇め神に通す、
人は天地の霊に曉る所以以て人倫と和し日用に應う。
或るいは、天を捨て唯、日用と云い、神を捨て純ら人常と云うは
學あって治むること無し、近きに似るも即ち遠からむ。』
三波春夫で「神」となりますと、”お客様は神様です”の言葉を思い起こす方も多いかと…。
この言葉の真意は、「歌うとき、あたかも神前で祈るときのように雑念を払って真っさらな心にならなければ、完璧な歌は歌えないのです。ですから、私はお客様を神様とみて、歌を歌うのです」という意味で、歌手としての思いが表れた言葉です。この言葉の中の”お客様”は、お店のお客様ではなく、三波春夫の歌を観て聴いていらっしゃる客席のお客様のことです!! 詳しくは、ホームページの「”お客様は神様です”について」にて、また、三波美夕紀著『昭和の歌藝人 三波春夫』に記載がございますので、ご興味アリの場合はご覧くださいませ。
さて、「三波春夫没後十五年企画 山内惠介 市川由紀乃 三山ひろし スペシャルコンサート」は、25日に初日を迎え、本日は神戸国際会館。来週は4日に香川レクザムホール、5日に岡山市民会館に参ります!お近くの皆様、ぜひお出かけください。
では、また来週金曜日に更新いたします。
月の禮道 通蒙憲法 第三条
『儒の學は禮樂にあり。禮は人の儀を道め樂は人の和を調う。
禮を學んで天の節文に諧い、
樂を學んで天の運度に諧う。
我を節するは禮なり、是れ儀は天にありて即ち我にあり。
我を節するは樂なり、是れ調は天にありて即ち我にあり。
禮樂、天我、皆教えはーなり。維則ち一に至る道なり、
是れ人倫の常たるを訓え、纔にも撩る則は禮にあらず、
何ぞ道にあらむ。』
礼節と、人との和。
大人として大事なことが、今の時代、だいぶ軽視されていますね…。
憲法条文とはいえ、ホント、深くて厳しいですよね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
臺の政道 儒士憲法 第四条
『儒は是れ博識強記なり。
是れ致知機物を要とす、其の要は夫子の一貫たり。之を得るは則わち道なり。其の體は明徳。其の位は中庸。其の蹟は忠恕。曾子の忠恕を謂うは、空を謂うに非ず。王者は、尭、瞬、禹を師となし、臣者は周、孔、孟を師とせよ。
學ぶ所は徳にあり、故に徳なき賓は師となすに足ず。』
徳のある人…。そうですね、いらっしゃいますね。
徳ですからね、得のある人、じゃないですからね。笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
鏡の智道 儒士憲法 第五条
『學問は是れ習いてさとるのみ。
學ぶに先聖の蹟に習い、問うに先聖の理を?にす。
文以て之を乗せ、 或は蹟をすて、理を取り之を用いるを學と謂う。
蹟なきの理は空理。理なきの文は空文。
なんぞ周孔の道となさむ、故に人の先にありて人従わず或は従えども利なし。 』
自分が携わっている仕事や活動において、先人が開拓したことを見直してみて気付くこと、身に付くことってありますよね。
先輩の志を引き継いで工夫を重ねて、夢を実現させてゆく…。
それがいくつも出来たら、素敵です!
私めも、「三波春夫」の思いを継いでガンバルゾ、です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
竹の官道 儒士憲法 第六条
『儒の由るところ身を修むるのみ。
上古は、易暦遁甲あって修め、
中古は、本草内經あって修め、
下古は、詩書禮樂あって修む。道徳無為にして三古にわたり、
上は神を煉り眞に致り、中は心を煉り至に致り、
下は理を練り聖に致る。頃の儒は三皇を捨て三子を執る
此の間に偏我ありて、仁者の眉を密る所、
智者の唾を吐く所にして其の練る所を失う。
尚、遠きに下って當に、詩書禮樂を棄て、唯、理を後儒の
佞子に取り、周孔、於りも崇び道の廢れ制えられず。』
何事も、ハショってはいけないのですね。
学ぶ順序を端折ってしまっては、身に付いた気になっていても、偽物なんでしょうね…。
ではまた、来週金曜日に更新いたしますが、思えば来週は師走になりますね。
気忙しい季節、どうそご自愛くださいませ!!
冠の位道 儒士憲法 第七条
『儒を學ぶ者は異國園を貴び、異の先王に歸す。
故に吾國を卑しめ吾が先皇を放す、是れ唯異法を知りて
吾を知らざるに依るなり。
異王、吾に讐せば必ずや彼に黨を計らむ。
故に學を為さば先ず、吾の儒を學びて吾が先皇を知れ。
何ぞ誤りて自らを棄て他に憑らしむるや。』
今こそ、胸にズシンと来る内容です。
…聖徳太子がその当時に書かれたものなのに、と、あらためて思います、ね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
冠の位道 儒士憲法 第八条
『大學を講ずるに、主上に非ざれば平天下を唱うる莫かれ。
宰職に非ざれば治國を説かざれ。恐らくは、庶民をして州邦を望ませしめ、造士をして天下を望ましめん。
これを齋元を破り、寶祚を危うくせむ。吾國の法は欲なく邪なきなり。其の望みを促す誨は悉く停止せよ。』
平和の尊さ、自由の尊さをしっかりと感じ考え、
各々が、これらを失うことのないように守る気概を持たなければならない、ですね。
さて、13日の20時からはBS11「あのスターにもう一度逢いたい」の三波春夫特集を、どうぞご覧ください!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
龍の謙道 儒士憲法 第九条
『儒士は湯武を以て聖となし師となす。
異國は理を尊ぶが故に咎なくも、吾國に臨みてはこれ齋元の
罪人なり。齋元の法を尊び、君の理を立てざるときは、
寶祚を危うくし以て天をも亡ぽすに當るなり。』
国の文化の違いは、永遠に課題ですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
花の事道 儒士憲法 第十条
『異國を撃つは孔子より言あり。
孟子に於いて名あるは、是れ聖道に於いて害あればなり。
楊墨苟告は其の人なり。未だ曾て黄老西方に及ばず。
今の凡儒は恣逸にして、必ず黄老佛神に及ぶこと
孟子に足らざること無し、外に眞至佛神までも撃つ、
即ち聖を破り、政を破る。その罪、叛逆よりも甚だし。』
立派な条文、儒士の話のあとにナンですが、
他人をソシルのは、自分にきちんとした自信がないからではないか。
人には優しく、自分には厳しく、を自戒しなければ、ね!
というようなことを、父と話したことがあります。
新しい藝の形を追求していて、作品づくりをする日々で、父は、孤高であることを良しとすることも必要だったかと考えます。
心が強くないと、やり抜けないことであったろう、と身びいきで思う私です。恐縮です。
そういう、三波春夫の歌藝の宣伝マンでもあるハルオロイドが来週あたりに、音頭風「PPAP」をリリースします。
なかなか面白いんですよー。
You Tubeで、ご覧になってください!
さて、本年のブログは本日までとさせて頂きます。
この1年も、お読みくださいまして、ありがとうございました!!
来年は1月13日にスタートします。
よろしくお願い致します。
良いお年をお迎えくださいませ!!
日の主道 儒士憲法第十一条
『孔子は怪力亂神を語らず。
其の欲む所は、常道の治倫にある故に語らず。
是れ異儒なるのみ。
吾國は彼の方と同じからず、怪は神の功用なり。
説かざるときは神徳を無みせむ、神は吾國の徳盤なり。
説かざるときは齋元を無みせん。強いて此の句に依る者は
吾國の罪人なり。』
本年第1回目のブログです。
この1年も、よろしくお願い致します。
小学館文庫から1998年に発刊された三波春夫の著書『聖徳太子憲法は生きている』をご紹介していますが、本日は、「通蒙憲法17条」「政家憲法17条」につづく「儒士憲法17条」のうちの第11条です。
本日の条文も、聖徳太子の作られたもので当時のものですが、父の解説にありますように、現代だからこそ、素直に深く読み取りたいものだと思います。
ちょっと非日常で、ムズカシイ条文を、また来週からご紹介して参りますが、お読み頂けますようお願い申し上げます!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
車の司道 儒士憲法 第十二条
『神在ますが如しと謂うはここに亡きを以て、
ここに在りとなす句の氣なり。
是れ幽精冥霊を紫に歸し黄に歸すを祭る國の方なり。
吾國は、天降ります神、地生れます衹。
開闢このかた鎮座すは、幼児と雖も知らざることなし。
頻説施さば、恐らく鎮座を疑わしむ。
齋元国に於いて講説すること勿れ。』
自分の国の元々からの姿勢は、そんなの古いよ~と言わず、知っておくべきで、それを学んでおこうという意識は大事。
そういう考え方を、父はしておりました。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
地の徳道 儒士憲法 第十三条
『古儒は知りたるなり。
天に帝神ありて變あり、地に后衹ありて化あり、
人に霊魂ありて奇あり、物に精霊ありて怪あり。
皆天有なり、聖人は天有を立て人常を治む、
故に泰平を致して宗源に差わず。
頃の儒は神佛の通妙を損て虚す。
又、有に如って有りと為す則は、法も立ち人も伏がわむ、
有を劫めて無しと為す則は、法も揆れ人も逸ならむ。
故に皇制を弱め神力を抜く、
是れ政を知らず、只己を立てるなり。』
三波春夫の神仏への心構えは、「敬って恃まず」。
敬うけれどもアテにしない、自分の人生は自分の責任、というものでした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
天の公道 儒士憲法 第十四条
『學を為す者は須らく先儒に學んで後儒に依らざるべし。
先儒は鬼人に見えて黄泉を知る。これ古史の載する所なり、
故に人は伏って逸ならず、吾が神に背かず。
然るに後儒は鬼を歸と曾わせ野土と謂い、神を申すと解き空虚と言う、
未だ歸極の鬼と申と元神を察かにせず。
しかも大いに鬼魂冥府を發く。ああ、唯古史を破るのみに非ず。
天有を破り、人極を破り、鎭實を破り、政元を破る。
是れら傍に排けて政を顧みざるなり。』
「もともと」のもの、が、そのままに伝わるのは、とても難しいと思います。条文の大きなテーマから、急にワタクシゴトになりますが、私が『三波春夫』を皆様にお伝えする仕事をする上でも、よくそう思うのです。お伝えする機会ごとに、許される範囲で私が監修させて頂くのは、ウソやマチガイが伝わってゆくのを防ぐためです。ですから、三波春夫の歌藝を知って頂くために働いて貰っている「ハルオロイド・ミナミ」の歌についても、エクシングのスタッフと、テイチクの三波春夫担当のディレクターと私で、『三波春夫』を伝達出来るクオリティーにこだわって、制作しております。しかし、これも時間が限られたことでございますが…。
どんなことでも、改ざんされる以前のものに触れ、知っていくべきだと実感します。
そして、関連させてお知らせします!
三波春夫の「長編歌謡浪曲」を歌い継いでくださるので、私もアドバイスさせて頂いている歌い手さんが、5日夜のNHKBSプレミアム「新・BSにっぽんの歌」で、「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」をフルサイズで歌われます。
ぜひ、ご覧ください!!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
水の時道 儒士憲法 第十五条①
『後儒は神を陰陽の霊と謂う。
故に常の弱に鎮座することなしと云い、又、
魂は氣血の精なりと謂う。故に議りて死魂は散滅すと思う。
是れ人間の理量にして、神悌仙の見知に非ず。
鎮座を無みする則は、三輪 五瀬の立つ所を知らず。
魂、散滅する則は芳野、蒐挟、ここに何ぞ立たむ。
然るときは神に誓い、祇に服うも並び立たず。
政は其の堅きを失わむ。 』
このように、神様、御霊の在り方などが太子憲法に明記されているのですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
天照国照大神彦天火明奇甕玉饒速日尊は、あまてらす くにてらす おおかみひこ あめのほあかり みかくしだま にぎはやひのみこと と読みます。
この続きの解説は、次回に続きます。
また来週金曜日に更新いたします。
来週21日夜のNHK「うたコン」では、三波春夫の長編歌謡浪曲『元禄花の兄弟 赤垣源蔵』を山内惠介さん、三山ひろしさんがお二人で歌い語られます。
ぜひご覧ください!
水の時道 儒士憲法 第十五条③
後に日霊女女王が天照大神と尊称されたのは、神武天皇のお祖母さまで皇室の御先祖に当たるからですが、饒速日尊の娘・ 伊須気依姫が神武天皇の皇后となっておられますので、この御祭神も皇室の御先祖です。現に宮中祭記の行事の中には命日の十一月二十二日の夜、この尊の御魂を鎮めるお祭りがあるそうです。
遥かな昔といえど、そこに人が生きて暮らして、代々の歴史が築かれて来たのですよね。
三波春夫いわく、「歴史とは、どこを切っても人間の血が噴き出すもの」。
歴史に大いに学びましょうよ、と、本を書いたのでした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
籠の品道 儒士憲法 第十六条
『孔子は西方の聖人をたたえり、老子を龍なるかと美る。
然るに儒を學んで非るを以て務めとなし、或は寓言と言う。
孔子は聖人なり。列子は眞者なり。何ぞ餐に娩いて詐らむや。
老子は古儒にして沖莫の聖なり。無為の道體を説えり、
釋佛は天服い神も伏う尊なり。人間の測るに下ず、
誹るは是れ諍いは即ち騒の根なり。』
ハッキリ、キッパリとした条文でした…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
鼎の法道 儒士憲法 第十七条
『神學は竪に三部ありて三元を総え、横に五鎭ありて六合を摂め、
汝の始めを明し、汝の今を治めむ。
佛學は竪に三學ありて五乗を導き、横に三諦ありて萬法を束ね、
汝の終えを教え、汝の今に應えり。
儒学は竪に五倫ありて人世を立て、横に五常ありて人道を修め、
神佛の始終に背かず。
共に理の絶極にして、挑み絶つべきに非ず。』
ムズカシイ条文ですね。
三波春夫は、太子の思想の根本なのだと言っていますが、学問は偏らずに広く大きく学んで真実を掴むことが大事なのでしょうね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
補足いたしますと、”お客様は神様です”の”お客様”というのは、三波春夫の歌を聴いてくださっているお客様、聴衆のことです。
飲食店やコンビニのお客様でもなければ、タクシーやバスの乗客でもありません。
”お客様は神様です”は、三波春夫がお客様の前で藝を披露するときの信条を表現したもので、三波春夫と聴衆との関係に限ってのこと、です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
神職憲法十七条②
ところで、一万年前の人骨を調べたデータをみますと、日本人は三十歳以上生きた人はいないそうです。その頃の人々は生きていることの厳しい条件に耐えねばなりませんでした。想像を絶するものだったでしょう。静かな朝が来て、輝き昇る太陽に手を合わせ、拍手打って今日の無事を願い、タ陽に感謝の祈りを捧げたのは自然の形でした。
日本のもともとの神道は、宗教ではない、理屈なく自然に仰ぐ、ということなのでしょうね。
次回から条文のご紹介です。
また来週、金曜日に更新いたします。
琴の和道 神職憲法 第一条
『神道は三才の本にして、萬法の根なり。
宗源は天地を成し、齋元は日祚を立て、霊宗は心姓を明かにす。
三部の道はーなるも施を異にし、之を以て體となす。
大社は天下を衛り、國社は國家を護り、懸社は群民を守る。
三社は風雨を領し禍福を掌る。之を以て用となし、
體用は其の治をーにして、吾國の基となす。
祭るに禮を以てし、祈るに理を以てし、事るに信を以てす。
則ち神我、一に和す道は茲にあり。』
全国にたくさんいらっしゃる神職の方々には、この太子憲法をあらためて深く読み込んで頂ければ、またよろしいかと存じました!!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
斗の順道 神職憲法 第二条
『神は正直を以て體となす。
霊験を以て用きと為すに、天を御し地を鎭す。
故に神職は、己の正直眞善の性を認得て敢えて放遺さず、
神の妙怪霊験の徳を信崇せよ。
更に馴れ慢らず神我一に住め事え奉り拝ずき陪るべし。』
まだまだ、神職への条文は続きます。
付いて来てくださーい!! (笑)
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
月の禮道 神職憲法 第三条①
『奉幣の法は愼み敬いに止まるべし。
日心を神極に安き、重手に玉串を取り、以て斜にし心に中て、
左足は陽天を踐み、右足は陰天を践む。廣前を渡るに静静然、
巌巌如し、而して内門に陪り敬しく蹲踞せよ。
自己は神の霊躬、寶幣は神の表識、
祝言は神の性理、正殿は神の徳宮、奉供は神の氣生。
五法の正は一つ、之を奉るに禮を以てせよ。』
この条文の、三波春夫の解説は、次回に掲載いたします。
さて、4月14日は三波春夫が逝去した日付です。
毎年のこの日も、そしていつも、「三波春夫」を想ってくださる皆様に、心より感謝いたしております!!
本日、テイチクレコードから『三波春夫大全集』がリリースされました。CD2枚組で、楽しい歌、じっくり語る歌、満載です!!
また、三波春夫の歌藝の宣伝マンである「ハルオロイド」は、英語版の、『世界の国からこんにちは』を発表しました。動画や配信でお楽しみください!!
これからも「三波春夫」の歌と心とその人生を、大勢の方がお伝え出来ますように努力して参ります。
改めまして、これからもどうぞよろしくお願い致します!!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
確かに、年齢に関係なく、ヒョロヒョロとしたお声の神主さんもいらっしゃいますので、そういう方にはゼヒ、三波春夫の長編歌謡浪曲など聴いて頂き、腹から声を出そう!と思って頂けないでしょうか…。
というのは冗談ですが。
次回、神社の御祭神の話が続きます。
また来週金曜日に更新いたします。
月の禮道 神職憲法 第三条③
東京・赤坂の山王日枝神社は、素佐之男尊の第五子「饒速日命」で、前に書いた大和王朝の初代です。徳川将軍が江戸の鎮守様としてお祀り申し上げましたが、おそらく奈良の三輪山から勧請したものと思います。
文中の、「国津神」は「くにつかみ」 「天津神」は「あまつかみ」 「宇迦」は「うが」 「牛頭」は「ごず」 「弥栄」は「いやさか」 「大日霊女貴尊」は「おおひみこむちのみこと」 と読みます。
では、次回は5月12日に更新いたします!!
謙虚に本分をわきまえて、ですね。
さて、明日は18時半~のBS-TBSの特番を是非ご覧ください!!
稀なる演出で見応えある「大忠臣蔵」の歌絵巻、と、ヒットパレードの2部仕立て。
どうぞお楽しみに!!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
神職に限らず、ですよね。
真摯な心、真心を大切にして仕事をする、暮らすことは、父も心掛けていたことだったと思います。
毛筆で書く色紙の言葉の中に、”真心”もありました。
色紙は、例えば駅頭や劇場の楽屋口などで急に「お願いしまーす!」と頼まれる以外は、出来る限り毛筆で書いて落款するタイプでした。
「サイン色紙は残るものでもあるので」と、真心こめて書いていました。
では、また来週金曜日に更新いたします。
竹の官道 神職憲法第六条
『齋の方制は、五齋を調えるにあり。
いわゆる、五齋とは火食行水則の是れなり。
火は生死血獣に同ぜず。食は毛畜臭菜は食わず。
行は婬血産尸に触れず。
水は嚴く流沐連齋を行う。則は重く祓除祝言を修う。
職者は常の行い、詣者は限りての行い、忽せにして神を、
誑す則は身を亡ほさむ。』
精神統一、邪心無く。気合いを入れて何かをするとき、それで参りましょう。
三波春夫の「お客様は神様です」の心も同じく、です。
「舞台という神聖な場所、真剣勝負の場所で、いかに雑念を払って歌うことに集中するかが大事だと思います。ですから、聴衆というお客様を神と観て、神前に立った時のように澄み切った心で藝をおこなわなければ、良い歌も芝居も出来ないと思うのです」という心境なのでした。
では、また来週金曜日に更新いたします!
冠の位道 神職憲法 第七条
『祭供の由るところ常者は神恩に謝し、別者は災禍を祓う。
故に祭る則はむかしの若くし、略して残をもちいず、軽疎に
為ず。供儀は、法の如くし供に悋惜を以てせざれ。倹約を
加えず。供除を蓄えず。黨從に別けず。供具は納めず。
之れ皆、河流に随し、喜悦と軟和を以て之を行い、荒しく
威かし瞋らざれ、是れ神祭なり。』
伊勢神宮のお話が出て来ましたが、三波春夫は1967(昭和42)年に「第60回式年遷宮の歌」として『伊勢神宮奉賛歌 日本の祈り』を奉唱しています。また、『お木曳音頭』も歌っていて、現在でもご当地で踊って頂いています。
この2曲は同年の5月に全国発売されていますが、『日本の祈り』は三波の逝去後も神宮から再プレスのご注文があり、式典での記念品のひとつとして配布されました。
格調のある、清々しい歌で、配信もされていますので、一度お聴き頂けましたら幸いです。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
契の信道 神職憲法 第八条
『神事を説くは文に如うべし。事を演るに義解を以てせざれ、
神代は正直の時なり。史を造るに文に義を含むことを為さず、
後生は異典に効いて義解を發す理曾は神文をして異文と成し、
寓説と造言は免れず』
条文を読んで思いつく言葉は、「虎の威を借るキツネ」。
世の中に、たくさんいらっしゃいます、ね。
私、三波春夫のマネージャーとして傍で仕事をしているときに、
それになったらイカン、と、心掛けました。苦笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
龍の謙道 神職憲法 第九条
『神の行いは、信を先とし理を次ぎとせよ。
理はこれ賢に非らざれば徹らず。聖に非らざれば盡さず。
徹らざる則は知を差え、盡さざる則は邪に悟り、還って神を
無し、乍ち咎に當らむ。信を堅め、宗を堅め、實に依って理を
明らかにせよ。達らずと雖も過ちは無からむ。』
仕事でもスポーツでも同じように、素人同然の頃は、「理屈を言わずに、まずやってみなさい」と言われますものね。
頭デッカチはダメだよ、と親にも言われた気がします。笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
花の事道 神職憲法 第十条
『本蹟縁起の齋は社祠に依って異なるなり。
陰屋、出郷は限に屈い還り入りざれ、
自詣、他詣は理を用い赦し納れざれ。
忌齋は厳秘なれば以て神鎮まり社立つ、職者は倦み泥みて
忽せに為すときは、神は去り社も廢れる。』
そうなりますと…今や、神様が去られていて空っぽの神社、に、知らずに参拝していることも、有るのでしょうね!?
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
日の主道 神職憲法 第十一条
『大社は勅使を以てし、國社は國司に命じ、縣社は國造に命ず。
神託る姫を貞し、審神の者を正して、毎年神を降らし
神の望みを聞わり、望みに應え鎭座を尋ねよ。
或は怠り休むときは、神は睡り久しく利なし。
尚久しき則は天に歸って鎭らず。吾國は齋元の國なり。
神天に歸るときは寶祚安からず。
國威は隆ならず、異國来りて侵すに危うし。』
条文にある内容を、きちんと怠りなく為されていらっしゃる神社ばかり、と信頼申し上げたいです、ね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
車の司道 神職憲法 第十二条
『宗廟は大連これに事えよ。
大社は大徳小徳、大仁小仁。
國社は大仁小仁、大禮小禮。
総ての大神、大祠に階なき神官之に事えざれ。
階なくして之に事は是れ神を輕るなり。
國の災い必ず起こり社禝穏かならず。』
「官僚と政治家に対して、太子が信賞必罰の意味をもって定めたもの」…。
信賞ヒツバツ。ここでございます、ね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
地の徳道 神職憲法 第十三条
『神明は己なし天の君子なり。
神職、當に之に則るべし、神官然るに動もすれば、
佛典の興起を嫉み、儒文の弘行を排す。
佛は大覺を勧め、儒は人倫を治む。汝の宗源を妨げず、
また齋元を遮らず、自ら時あって来る。防護すべからず、
寧ろ他の隆なるを妬まんより己を興して隆にせよ。
興すことは、勤修にあり、隆むることは學習にあり。
排す時は共に廢れ、學ぶ則は共に立たむ。』
父が「太子の憲法は、人の習性を熟知なさってのものだけに、人が陥り易い間違いをズバリと指摘している」と言っておりました。
本日の条文も、神職ではないにしても、周囲の何事にも嫉妬することなく振り回されることなく、自分のやるべきことを磨いて努力していくんだよ、という教えとして受け取れる気がします。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
天の公道 神職憲法 第十四条①
『吾國は天尊齋元の國なり。神代すら、尚未だ人魂を祭りて
神明に混えず、人代も之に随う。
皇王臣連は先人を崇むと雖も神號を以てせざれ。
陵廟を尊ると雖も大祭を以てせざれ。
之に依って芳野、莵挟の如く、己現の霊神に非らざれば、
社祠を造り祭祀を致すこと勿れ。』
三波春夫による「菅原道真」の解説は、まだ続きます。
また来週金曜日に更新いたします!
天の公道 神職憲法 第十四条②
藤原一族のために大宰府に左遷されて無念の想いを残して死んだ後、京都地方に大きな災害が現れたので、これは怨霊のたたりじゃとばかりに、菅公を神として祀った名号が、”天神さん”でした。
タカミムスビさんが、天神さんだったのですね。
なお、本文中の、「日霊女」はヒミコ、「佐けて」はタスケテ、と読みます。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
三波春夫らしい、考え方です。
娘の私も同感で、父の生前、二人でよくこの辺りをお喋りした思い出がございます
では、次回は8月18日に更新いたします。
よろしくお願い致します。
歴史の嘘を鵜呑みにすることを、父は「嫌だなぁー」と思っていました。
最後の著書『熱血!日本偉人伝』は、歴史に名を残した偉人の中から、大好きだった高田屋嘉兵衛や勝海舟はじめ、11の人物の本当の姿を書きたい、と綴った本でした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
水の時道 神職憲法 第十五条
『天皇は神明を崇めて、神戸を置き祭田を置くなり。
然るに神官神田を斂めて神に拝かず。以て朝に事えず。
神に事えず。専ら食み専ら費す。
名づけて盗巫となす、神に事えるを停めよ。』
家庭菜園じゃないんですものね…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
籠の品道 神職憲法 第十六条
『神明は數ば釋法を、社祠に於いて修せんことを請うなり。
其れ災を除き威を増すに於いては、宜しく神の請うに随うべきか。釋氏の自意を以て、神祇いをして成佛たらしめんと、 故に浄土に送る等の法を修うに於いては、永く制え停め僧をして修すること得しむる莫れ。』
「本地垂迹」は、ホンジスイジャクと読みます。
これについての三波春夫の解説は、このあと、まだ続きます。
また来週金曜日に更新いたします!
お知らせです。
明日9日夜、18:30~20:54 BS-TBSにて、『演歌若手3人衆!山内惠介・市川由紀乃・三山ひろしスペシャル ~三波春夫「大忠臣蔵」に挑戦』が再放送となります。
ぜひ、ご覧ください!
ではまた来週金曜日に更新いたします。
鼎の法道 神職憲法 第十七条 ①
『仏典は西説の神道、儒文は番説の神道なり。
これ、大神の託宣にして、神代の上事を知るべきなり。
共に物を悉し、斷わりを精しくして、
神史の玄幽を述ぶるに兼ねて學ばざればあるべからず。 』
「秀真文字」は「ホツマモジ」と読むそうです。
歴史のエピソードは、次回も続きます。
また来週、金曜日に更新いたします。
鼎の法道 神職憲法 第十七条 ②
さて 、時代は遡って聖徳太子の時代より約二百年前のことですが、 第十五代応神天皇は、朝鮮半島にあった百済という国に対し、
「朝貢せぬとはおかしいぞ、物の代わりに学者を派遣して貰いたい」と、
申し入れました。
解説は、まだ続きます。
来週も金曜日に更新いたします!
マネージャーとして父と仕事を一緒にしていた折の、エピソードをひとつ
申し上げます。
当時、夜間でも度々FAXで、たとえば「明後日の入り時間が決まりましたから、お知らせします」とか「先程、現場で私が言ったことを補足しますと…」などとヤリトリしていたのですが、ある時、私、疲れていました(笑)ので、手書きでなく、それこそ”ワープロ打ち”を送ったのです。
そうしましたら、父が、
「どんな字になってもかまわないからさ、書いて送ってくれる?美夕紀がどんな気持ちか、わかるから」
と。まさしく、御意!なことでした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
釈氏憲法十七条
次は釈氏憲法ですが、太子は仏教者を釈迦の道を実践する人たちなので、釈氏と呼びました。
太子ご自身も仏教の勉強をされていただけあって、この釈氏憲法には仏教者はどうあるべきかということが、実に細やかに書かれています。
琴の和道 釈氏憲法第一条
道を求め倫と辭れ和合衆と成り、闘い無き場に住まるべし是、僧の道なり。
無欲なるが故に、自ら和合し、無我なるが故に、自ら闘なし。是を以て三寶に能く入え、國の施を受くるなり。
然るに欲怒を生み己の我を發し、和徳を失い闘諍をなす者は、倫を廢す盗なり。人の中に置いて人に食を與えざれ。
佛道を廢る賊として中に置いて佛の食を施さざれ。
本来はこのような厳しさ、なのです、ね。
また来週、金曜日に更新いたします。
10日(火)20時~は、BS11「あのスターにもう一度逢いたい」三波春夫編の3回目”日本を元気づけた三波春夫”を是非ごらんください!!
斗の順道 釈氏憲法 第二条
『釋典は三國を通じて宗ぶ、百機の歸すべき極みなり。
賢者は賢にして覺道を宗び、愚者は愚として因果を畏る。
政道を説かずして導き、萬機を治めずして正す。
故に諸國の諸王たちは之を敬う。其の興廢は僧道にあり。
僧者、道を廢る則は佛法の理を失う、僧もまた自ら亡ぶ。』
お坊様は政治に関わらないように、でございますね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
月の禮道 釈氏憲法 第三条
『戒は諸佛の極を立つる大門なり。
故に、法身の舎那は花藏を先に説き、應化の釋迦は鹿野を
先に説く。是れ衆僧、戒を受けて僧に入る。以て戒を破るは
僧に非ず。戒ありて是れ僧なり、戒を退くは僧に非ず。
心は戒に依りて理り、徳は戒に依りて成る。戒を破り戒を無す
沙門は、未だ自らを化き得ざるなり。何ぞ人に教えられんや。
是、國を費す遊民にして、王者の放徒なり。』
本日も厳しい条文でしたが、人を導く方々ですから、現代でも是非がんばっていただきたい、です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
三波春夫の解説にある、「真理に適った正しい見解」をもつことは、相当な覚悟で日々を送らなければ成らないことでしょう、ね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
鏡の智道 釈氏憲法第五条
『講者は當に四部を講すべし。
僧俗、儀學の紛れ無く、三諦を講にし在を出に兼ねて
住まること無からしめよ。十界を講って三悪を厭い、
三善を慕い、二賢を好み、二聖を求めしむるに、四恩を講にす。
父母を宗み、王者を敬い、人倫に勤み、三寶に歸せしめ。
五善を講って善品を盡し、科悪を絶しめ、
五心を講って性の理を曉らし、國に住まることを教え成せ。
是れ聖者の化を布す方なり。
或は己執を講え為して、諸佛の化き教えに通わしめず、
恐らくは佛道をして、小径と作すは檀越をして罪人と作らしむ。』
《訳》を音読すると、そのままお経になりそうですね…。
三波春夫の解説は、次回に掲載します。
ではまた来週金曜日に!
三波春夫の組曲アルバム『平家物語』では、三波が「藤原澄憲」に扮して「説教ぶし」という”語り”をして、物語を紡いでいます!
お聴き頂けましたら幸いです。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
すごいバイタリティーのお坊さんですね…。
では、次回は第六条です。
来週金曜日に更新いたします。
竹の官道 釈氏憲法 第六条
『僧階は元より戒ありて立つ。
未だ姓により才に依ることなし。
比丘は上座に沙彌は下座に是れ古よりの佛法の節なり。
或は朝の寵に憑み、識記に憑んで、高位の座を曲げて應對するは、
これ那ぞ佛徒ならん即ち俗徒なるのみ。』
自分を「出来る子!」なんて思って、分不相応なことをしてはイカンのですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
冠の位道 釈氏憲法 第七条
『僧は内に三賓を住めて體とーにし、外には住持の三賓に事えよ。
心に倦まず身を惜しまず晝夜に勤みて時を移さざれ。
ああ民庶は農に勤み僧に與う。僧は之を食んで勤めざれば其
の罪、遯れる所なし。僧者罪を怖れざれば、檀越の罪を遮る所
なし。』
この条文の真理は、僧でなくても、どんな仕事でもソウだと思いました。
ダジャレで、すみません~。
では、まじめに、また来週金曜日に更新いたします。
契の信道 釈氏憲法 第八条
『僧となりては深しく古佛の在處を尋ね見よ。
報ゆるに佛の報土無きことなし、或は理解して他に古佛なく
自らの性の是れなりと謂う。又、佛は是れ理の名にして
其の人無しと謂う。
若し成佛の人なくば汝悟りて何者とならむ。
又佛の感應あるも諸、理のみ何ぞ感應を作さんやと謂う。
是、因果撥無の見のみ須く信に住りて
諸佛三身の境界を見るべし。』
生きた学問。
三波春夫の学び方も、それだったかと思います。
学歴は小卒ですが、その後、社会に出て働きながら独学で学び、先輩や年長者から聞いたことを消化して深く覚え、自分の経験から学んだことを日々磨く。
それを生涯ずっと続けていた人だったと思うのです。
そんな生涯を、明日の夜、BSフジ「歌藝一代・三波春夫 国民的歌手の真実」でご覧頂けましたら幸いです
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
龍の謙道 釈氏憲法 第九条
『一佛に歸し一法に依れ、悉く地と成すは是れ佛典の一儀なり。
是を一行三昧と名う、
及ち虚妄にあらず又、大道にあらず。
釋學に於いては道となさず、王道に於いて利あらず。
佛は聖中の聖なり、我の卑道なく、
法は公中の公なり、私の小理なし、
僧は君中の君なり、俗の野行なし。
而して己は諸悪を作すこと莫く、衆に善を行い奉りて、
自ら其の意を浄める這の教えこそ大道なり。
大道は當に總別はーなるも行を好く訓うべし。』
太子憲法は、神職にも僧にも、人間として高く尊い生き方をするようにと書かれていますよね。
人を指導するお仕事の方々には、ぜひぜひ、この憲法を読み直して頂きタイ!などと思ってしまう今日この頃です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします!
花の事道 釈氏憲法 第十条
『佛典は冥府の體を明らかに為す。
悪業の報の由を明し、不義は教化を絶つと雖も
能く知るときは悪事を離れむ。
又、佛界の妙境を明め善因慶果を明らかにす。無知の者は、
學習を斷つと雖も能く聞くときは願って善を行う。
僧者は妙經を妄に説いて寓言となら令るなかれ。』
仏教の教えの真髄をお坊さんご自身がガッチリと掴んで、
人を指導してくださる、と幸い。
その道を究めて、頑張って頂きたいです、ね。
本年のブログ更新は、本日までとさせて頂きます。
次回は1月12日(金)に更新します。
年末年始をお元気でお過ごしくださいませ!!
日の主道 釈氏憲法 第十一条
『大藏に雨を請い、晴を請い、災を伏し、亂を治める修法あり。
賢僧、之を修うときは驗なすこと、世世以て證あり。
是れ悌典は、
天を服え、神も歸し、龍も服い、鬼も降すの霊證あり。
或し證者なくば何を以てか、幽地を説き其の賓を見わさん。
効驗の有無は憎者の徳にあり。』
新しい年となりました。
この一年が良いお年となられますよう、お祈り申し上げます!!
年初のブログにふさわしく ?!、スペクタクルなワザのお話でした。
人の力は、自分自身で良い方向へ磨いていけば、大いなる可能性があるということでしょう。
がんばりましょうー。笑。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
ではまた来週、金曜日に更新いたします。
太子が飛んで行かれたところって、どんなんだったか。
見てみたかったです、ね…。
三波春夫は歴史上の偉人を「長編歌謡浪曲」に書きましたが、
『歌になる人物、ならぬ人物があります』と話していました。
この意味の中には、人物の、ココ!という要点を濃く短くバッチリと描けるかどうか、ということがあります。
その点で、徳川家康は歌に書かなかった、と話しておりました。
聖徳太子も、長編歌謡浪曲にはならない人物でしたでしょう。
“超編”と付けて、通常ではない雰囲気でなら、だったでしょうか。笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
車の司道 釈氏憲法 第十ニ条
『小乗は神天を卑めて沙彌よりも輕んじ、
大乗は高地を知りて菩薩を貴ぶなり。
吾國は神國なり佛の本神あり、佛の蹟に神ましますなり。
小乗にては國を理ること能わず、
唯、大乗に學び専ら神明を貴ぶべし。 』
沙弥というのは、仏門に入って正式の僧になるために修業中の人、のことだそうです。
ではまた、来週金曜日に更新いたします!
地の徳道 釈氏憲法 第十三条
『大乗には勝たる方便あり。
念佛、密呪は罪を消し大悲の妙經は樂を與うることを教う。
疎かに聞けば罪を加うるに似るも、實を念えば頗る罪を離し、
念願の因縁薫く引き、遂んで悪を改め、
善を行いて義智の道に入らしむ。
人の愚を絶つに焉にあらざれば、善に入くこと難し。
講者、妄りに説かば佛意を破らん。』
「太子の細やかなお心遣いが」と読んでフト思いましたが、
聖徳太子は、どんなお声だったんでしょうね。
『その声は その魂の音色である』という三波春夫の揮毫が残っておりまして、
そんなことからちょっと思いました次第…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
天の公道 釈氏憲法 第十四条
『辰旦の大徳は楚經を釋くに、甚て理解し正體を失い
還って妄に寓言と成す。
佛は聖中の聖なり、何ぞ一言の虚誕を説かむや、
又、神は中の神なり。事に詰まりて造語を成すことなし。
佛説は眞實の眞なり、事の不如を説くこと無し。
頻て理解するときは妄に落む。』
“調子のっちゃって”ではないですが、勝手に誇張したり、脱線したりはいけない、ということですね。
誇張や脱線から思うエピソードがあります。
三波春夫は平成7年に、構想10年・執筆6年の2時間半の組曲アルバム『平家物語』を発表しましたが、すべて自分自身で書いた作品でした。源平時代を勉強しているうちに、遠い昔から、琵琶法師が大道芸として語ってきた「平家物語」は、聴衆にウケるためにだんだんと誇張が増えたり、真実とはだいぶ違うことも多いことがとても気になったのだそうで、三波なりに史実を目指して書きたい、歌いたい、と思って作ったものでした。なにかの折に、三波の『平家物語』、お聴き頂けましたら幸いです。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
水の時道 釈氏憲法 第十五条
『外道は地獄悌土を議り、之を方便の説と謂う。
復、方便の名目を議って無を謀て有りと作し、目と謂う。
又、僧に同じ見の者あり。汝、何ぞ楚撃に疎ぞ、
其れ方便の名目は小より大にゆき、
大より佛にゆくは其の階の標の名なり。
無きことを作りて是れ有るとなさば、これ偽詐にして
即ち人を欺くに非ず哉。或は偽詐を造りて説かば
天仙神鬼、何ぞ之を尊んで聖主世尊の説を崇めむ。 』
太子の気迫は凄いですね。
迫力ある講話のような条文は、あと2条です。
その後は、三波春夫の歴史観の著述がたくさん続きます。
また来週、金曜日に更新いたします。
籠の品道 釈氏憲法 第十六条①
『震旦に宗あり。
者あれば必ず焉に至りて、自と他並び立ちて以て諍無きことなし。
宗の諍は獅子身中の虫なり。
己を食い己を斷つ、亦、兩虎の諍に似て傍の狐の食と成らむ。
亦、檀越をして闘わしむるに至り、國の亂れは是れより起れり。
宜しく無我に人りて諍の本を断つべし。』
この条文に書かれた問題は、太子の時代にすでにモンダイで現代まで続いているのですよね。
さて、この条文についての三波春夫の解説は、次回からご紹介して参ります。
また来週、金曜日に更新いたします。
「戒律ばかりの宗教は、人を幸せにしないのではないか!?」などと父とオシャベリしたことを思い出しました。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
籠の品道 釈氏憲法 第十六条③
《三波春夫の解説》
その昔、中国密教の宗祖・恵果から、「そなたに宗祖を譲る」 と託されたのは、日本の空海弘法大師でした。高野山に秘蔵されたままの弘法の密教。これは中国の道教などと共に、研究開拓された奥深い学問・呪術と聞いていますが、私などの素人には全く分かりません。
仏教者に対する憲法の条文も、
あと一つとなりました。
来週、また金曜日に更新し、ご紹介します。
鼎の法道 釈氏憲法 第十七条①
『佛は伏義老孔を記し、老孔は竺乾西方の儒道をいう。
其れ焉んぞ佛理を非らむや。
佛は日月星を説き、神は皇天に代わり教えを宣う、
佛も、又、是れ神道なり。
佛の五心は神の五心。神の五行は儒の五行。
儒の五常は佛の五大。佛、神、儒の本は一道なり、
故に嫌わず兼に學べ、兼ねて學ぶときは理を盡さむ。』
太子憲法、17条×5方面で85条、のご紹介がすべて終わりました。
いかがでしたでしょうか。
とても難しいものだらけ、でしたが(笑)、何かの折に、フト、条文を見直してみるのもお役に立つかもしれません…。
次回からは、まだ続く三波春夫の解説をご紹介して参ります。
また来週金曜日の更新いたします!
お知らせです。
3月31日 27:00~29:00は、ニッポン放送系列『三波美夕紀のオールナイトニッポンR』をゼヒ、お聴きください!!
2時間にわたり、「三波春夫」を語りつくし、歌もいろいろお届けします。
では、ブログはまた来週、金曜日に更新いたします。
鼎の法道 釈氏憲法 第十七条③
さて、この三聖人の活躍した時代に共通点を見つけた方がいます。前述の原田常治先生です。原田先生は、三千五百年も遡り、地球の温度を調べ、地球の気候の寒暖が人間の心と歴史に大きく影響するものだと述べられています。
面白いものですね。
三波春夫は新潟生まれですから、寒さが強い土地が故郷です。13歳で東京に出てしまいましたけれど。
こどもの頃の冬は豪雪で、2階から出入りをする家もあったと言っていました。でも、元気のいい少年だったようで、歌手になってからペンネームを「北村桃児(きたむらとうじ)」としましたが、“北の村に生まれた、桃のような元気な子”という意味だそうで。北の桃太郎というイメージだったのでしょう。
そんな「三波春夫」を、明日の27時~ニッポン放送「三波美夕紀のオールナイトニッポンR」で2時間たっぷりお話しします。歌もいろいろお聞かせします。どうぞお聴きください。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
鼎の法道 釈氏憲法 第十七条④
そこで、三聖人が生まれ人々を導く法を説いた時代を見てみると、釈迦や孔子の時代は大寒冷期、キリストの時代も大寒冷期にあたっていて、大勢の人々が食べる物がなく寒さに震えているような時代でした。社会全体も音立てて軋むほど揺れていたと思われます。
三波春夫は“歴史”を観るときに、当然のことながら、人が生きた姿、生きた日々としてとらえました。
そういう観点から、三聖人を素直に描いている文章だと思います。特に釈迦が、「自分を救うのは自分」とおっしゃったと書いているところに着目してしまいます。
三波春夫の信条も、神仏は“敬って、恃まず(うやまって たのまず)”でした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
籠の品道 釈氏憲法 第十六条⑤
《三波春夫の解説》
この原田学説に納得してしまうのは、地上に物質が豊かな暖期と、稔りの悪い寒冷期とでは人間の心のあり方に違いがあるのは当然であろうと思うからです。寒冷期なればこそ宗教が人を救う役目を果たしたのでしょう。
太子憲法の解説も、今回で終わりです。
次回からは、『隠された古代日本史』と題して、三波論説が続きます!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
秦河勝さんのお話は、次回も続きます。
更新は、1週空いて、5月11日です!
よろしくお願いいたします!
秦河勝の知力と財力は、日本初と言うべき歴史書『先代旧事本紀大成経』を完成させました。太子はこの中で、国の肇めを、人が誰もいなかった天地混濁の「神代」という時から解き明かしておられますが、聖徳太子の最高ブレーンのお方であった秦可勝の功績は記憶しておいてよいと思います。
太子と河勝さんは、どんな調子でお話ししていたんでしょうね…。
三波春夫は、『長編歌謡浪曲』で、織田信長や大石内蔵助や勝海舟ほか、沢山の人物になってセリフを語っていますが、もしこのお二人が登場する長編歌謡浪曲を作ったら、どんな声色でセリフを演じただろう…と、ふと思いました。笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
お知らせです!
20日(日)13時~15時30分は、CS「チャンネル銀河」で『三波春夫 追善 新潟記念公演 山内惠介・市川由紀乃・三山ひろしスペシャルコンサート』をどうぞご覧ください。
昨年にBSで放送されたものから、また一段とグレードアップした3歌手のステージとなっております。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
ところで書物と言えば大切なのは、”紙”ですが、中国で紙が発明されたのは、西暦一〇五年と記録されているようですが、日本にその製法が伝わったのは太子の時代(七世紀)でした。百済の僧で曇徴という人が指導し、四つの製法を伝えました。 「雲紙(厚紙)「縮甲紙」「白柔紙」「薄紙」という順番です。
“曇徴”はドンチョウ、“薨去”はコウキョと読むそうです!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
三波春夫の生まれた家は、村の本屋さんでした。(少々の瀬戸物も置いていたり、印刷の請負もしていたそうです)
その影響もあってか、歴史を題材とした歌を書く為もあったりで、読書を欠かさない暮らしぶりでした。
インタビューなどで読書について語るとき、「男の顔は、3日、本を読まないと、すすける、というそうですよ」と毎度言っておりました。笑。そして、「浅はかな、詰まらぬ本を読んだりすると、その本を放り投げたくなりますね」と…。過激…。
本、というものを大事に考える人でした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
江戸時代の学者では「貝原益軒」ゃ「熊沢蕃山」の名がありますが、私が最も興味をひかれたのは赤穂浪士仇討ち事件、即ち忠臣蔵の武士道精神に深く寄与したと言われる軍学者で思想家の「山鹿素行」が、五十七歳であった延宝六年十二月二日に、この大成経を一日にして写本したという驚異的な記録があることです。
<続きを読む>山鹿素行について、三波春夫は著書「真髄 三波忠臣蔵」に詳しく書いております。三波論では、“山鹿素行は寛文6月年(1666年)に幕府への批判書を出し、赤穂に送られて閉じ込められること9年間。その間、赤穂藩の学問の師となりましたが、それによって赤穂の武士たちの中に育った人としての気概が、のちの赤穂浪士の仇討ちへとつながった”としています。
ではまた、来週金曜日に更新いたします!
話が広がりますが、山鹿素行の遠祖は山鹿兵藤次秀遠という山鹿党の頭領で、八百年の昔、三千の軍勢を率いて源平決戦の壇ノ浦で平家軍として戦いながらも、安徳帝を守って船団を組み密かに越後へ落ち延びて来たと伝説にあり、しかもその土地は私の遠祖に当たる大納言・平頼盛の所領地でした。
人は、過去からの歴史を繋いで生きるものだと考えたら、やっぱり人生の困難を乗り越えながらも真っすぐに、イッショケンメイに生き抜かなきゃね、と思います、ね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
その「大成経」がどこにいったか、この続きは次回に~。
また来週金曜日に更新いたします!
黒滝山の描写は、そのまま「長編歌謡浪曲」の啖呵(浪曲の中の、語りやセリフの部分のこと)になっても大丈夫のようなリズムがあります。
三波春夫らしい文章で、このような描写を実際に語っているのが、『長編歌謡浪曲 天竜二俣城』の序章です。
お聴きいただけましたら幸いです。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
本文にある、“申し込むと、精進料理が”というのは、現在はもう実施なさって
いらっしゃらないようです。
永六輔さんと三波春夫の不動寺訪問は、おとなの遠足のようで、揃って楽しそうでした。傍に居た私は、交わされる会話のアカデミックさに、到底ついていけませんでした…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
これから、権力争いの歴史は続きます。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
そのときに、外敵の来襲に備えて四国の屋島に城を築いたり、 対馬には金田城、大和の本拠地には高安城を構築するなど、軍事工作に力を注ぎました。また、日本海側には、現在の新潟県三島郡寺泊町の辺りや新潟市の沼垂に渟足柵(蝦夷進出のための砦)を作らせ、更に村上市の岩船辺りと推定される場所に磐舟柵も築かせたのです。
前回、天智天皇が百済救援で27,000の兵を出したけれども新羅&唐連合軍に敗れた、とありました。
その後に、外壁を作ったのは、現代の私たちも頷ける場所ですね。“地政学”は肝心です。
なお、沼垂はヌッタリ、渟足柵はヌタリノサク、磐舟柵はイワフネサク、と読むそうです。
ではまた来週、金曜日に更新いたします。
チョッと為になる、くだらなくない、お話でした。笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
甥っこを叔父さんが…、なのですね。
この叔父さん・天武天皇については、次回に続きます。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
大海人皇子が天武天皇となられたのですが、少し謎めいたお方です。とても強気な天皇は御在位十三年のうちに何か残さなければとお考えになったのでしょう。『日本書紀』の編纂を命じられました。編集委員は十四人が任命されたと言いますが、どんな学者たちだったのでしょうか。
<続きを読む>次回からは、「日本書紀」「古事記」の話に入ってまいります。
来週はお休みさせて頂いて、次回の更新は8月24日です。
よろしくお願いいたします!!
次回はその“作り話”のご紹介をば!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
三波春夫の最後の著書『熱血!日本偉人伝』の最終章は「スサノオと日霊女」です。
そこに書かれていることを要約しますと、
“スサノオの時代は縄文時代末期からやがて弥生時代となり、稲作の時代となります。この稲作のための水耕田の技術、養蚕などの新知識を持って、呉の国から九州・日向の国に渡ってきたのが「天(あめ)」という一族。このリーダーが日霊女でした。出雲のスサノオは、水耕田の技術等を求めて軍を率いて日向の邪馬台国に乗り込みますが、日霊女は平和の道を選び、ふたりは共に歩むことになりました”ということだそうです。神話ではない、人の歴史ですね。
『聖徳太子憲法は生きている』では、もう少し後にスサノオの活躍ぶりが書かれておりますので、お楽しみになさってください。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
「白河天皇」の話になりましたが、記紀との繋がりがあるのでした。
それはまた、次回に!!
来週金曜日に更新いたします。
私が平成六年に組曲として「平家物語」を発表するまで、六年間にいろいろと研究したのですが、清盛という人も英雄であり大政治家でした。朝廷権力を民間の手に移したその大きな仕事は、現代に続いているわけです。
<続きを読む>「前例のとおりに」や「慣例ですから」と言いながら、物事を運ぶ流儀の人もおいで
になります。
しかし、それではいつの間にかに、人として本当にやらなければならないこ
とを置いてきぼりにすることになるのではないか…というのが、三波春夫の考え方で
した。
分かっているのに見ない振りをして自分に嘘をつくこと、は、出来ない質で
した。
ですから、白河天皇、平清盛が真実を求めたことを、「いいなぁ」と思って
ご紹介したのでしょう。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
『日本書紀』の製作は大変な作業だったでしょうが、本当の歴史についての記述は希薄でした。そのため、『日本書紀』が十巻まででき上がったのを御覧になった持統女帝がびっくりされて、『亡き夫君の天武がこんな歴史書を作れとおっしゃったはずはない』と、太安万侶に『古事記』の作成を命じられる運びとなりました。
むか~しの出来事ですが、解明された事実を知ると面白いですね。
この続きはまた、来週金曜日にアップいたします。
兵庫県揖保(いぼ)郡太子町鵤(いかるが)に稗田神社という社があります。稗田阿礼のお孫さんたちが祀ったのだそうで、ここには稗田阿礼が祀られています。そして、御祭神の名は「稗田阿礼比売(ひえだのあれひめ)」。「比売(ひめ)」というのは女性を示す言葉ですから、稗田阿礼は明らかに女性だったということです。しかも、合祀(ごうし)されていた神様は素佐之男尊。それを聞いて、私は、阿礼比売さんが日頃考えていたことの一端を知ったように思いました。
ウソ、イツワリは…、自分が気持ち悪いですよね。(笑)
次回からのスサノオさんを、お楽しみに!!
また来週金曜日に更新いたします。
美保関には思い出があります。
1986年のことですが、私が父・三波春夫との二人旅で“北前船”の航路を南から北へ追いかけてレポートをした番組がありました。
NHK「昼のプレゼント “三波春夫の北前船紀行”」です。
月曜~金曜日まで5日間にわたって放送されましたが、その初日のロケ地が美保関で、「ホーライッチャ」というお祭りのことなどが印象深く、三波春夫も満面の笑顔で仕事をしておりました。
この番組から生まれた歌が「あゝ北前船」。作詞・三波春夫、作曲・浜圭介氏の名曲で、聴けば必ず元気が出るので、オススメです!!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
この『聖徳太子憲法は生きている』は、1998年の出版でした。その前年に、NHK大河ドラマ「毛利元就」が放送されていて、それを拝見していて気付いたことを書いたのでした。
三波春夫は、毎年の大河ドラマを欠かさず拝見していましたが、テレビ視聴時間自体はフツーに短い方だったかと思います。大河ドラマのほかには、相撲中継(笑)。それと、ニュースと天気予報でしたか…。
そう書きながら思い出しましたが、私が小さい頃はほッんとうに家に居る時間の無い父親でしたが、ある日私が一人で“毎週見ているマンガ番組”を見ていましたら、一緒に見始めてくれて、かなり嬉しい…と思った私でしたが、私以上に喜んで大きな声で笑って観ていたのでビックリしました。(笑)
…どなたかとご一緒に観たテレビの思い出は、おありですかー?
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
遠い遠い昔に、想像力を駆使して思いを馳せて頂くこのブログ…。
次回も、付いてきてくださいませ!!
来週また、金曜日に更新いたします!
記録をみると、日本の足利時代に、日本刀が中国にたくさん買われていますが、太刀にしても槍にしても、また、今でも生活の道具である包丁、ハサミ、カンナ、鎌、ナタなど、どれをみても刃金は大切です。焼き直しが利く日本刀の鋼がよく売れたわけです。
<続きを読む>この頃から大豆を輸入していたんですね!
ではではまた、来週金曜日に更新致します!!
こうした貿易が行われていたのは、島根県の美保ケ関。きっと、美保ケ関には日本海の荒波を越えて来た大豆が陸揚げされていたでしょう。冬の波浪が荒いことで有名な日本海ですが、 美保湾だけは、背後に山がそびえて屏風(びょうぶ)の役目を果たしていて、湾内は静か。外国船が楽々と入港して来られるのが素晴らしい特長です。
先述させて頂きましたとおり、1986年放送のNHKさんの「昼のプレゼント ~三波春夫の北前船紀行~」の初日のロケ地が美保関でした。
そして、この番組から生まれた歌が「あゝ北前船」。輸入された大豆も、北前船で各地に運ばれていったのですね。
三波春夫が書いた歌詞の中に『北前船は 宝運びの心意気』と有りました。
現代のお仕事でも、“宝運び”が多種。安全運航、運行をお祈りします!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
次回からは、ヤマタノオロチのお話です。
来週金曜日に更新いたします。
ヤマタノオロチは、本当はなに?
次回から明かされていきます!
では、次回は30日に更新いたします。
司馬遼太郎氏が「街道をゆく」の執筆にあたり、出雲地方を調べたとき、「この国は鉄の文化を作った国であると分かった」とおっしゃっているのです。私も、以前から、”鉄の文化圏”を想像しておりましたので、「司馬さんと私の考えが合致した」と嬉しくなりました。(エライまあ個人的な話ですみません)
歌手という仕事は、日本国中を公演して巡りますので、その土地、その街、その村の風景や特色を肌身で知る日々となります。
聞くと観るでは大違い、とよく言われますよね。
16歳~76歳まで旅を続けていた三波春夫は、いろいろな場所でたくさんの方々とお話ししながら、日本という国の細かいところまでを学ぼうとしていたのだと思います。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
オロチの道すじと同じだなんて、おもしろいですね。
この続きはまた、来週金曜日に更新いたします。
と、いうことで…、八岐遠呂知は人間でございましたね。
山が荒れての結果や公害と、大昔も今も変わらない課題です。
歴史に学び、教訓を今に生かしていかなきゃなりませんね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
カッコイイ「素佐之男」さんのお話が始まったところで、本年のブログはラストとさせて頂きます。
この1年もお読み頂きまして、まことにありがとうございました。
次回は、来年1月11日です。
どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいませ。
本年初回のブログです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!!
山を荒らし、災害を呼び、公害を起こしたヤマタノオロチを退治したスサノオ。
この続きは、また来週金曜日にアップいたします。
“三波春夫の創作の会話”によって、伯父さんに姫を託すシーンがイキイキと描かれております。笑。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
八岐遠呂知を斬った『十握の剣(とつかのつるぎ)』は、奈良の天理市・石上神宮に秘蔵されているそうです。そこで、あるとき、友人に頼んで資料の写真を一枚でも拝見したいとお願いに行ってもらったのですが、神職は、「分かりません」と、答えたそうです。
<続きを読む>『十握の剣』についての説明は、まだ続きます。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
次回からは、日本人とお米のお話です。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。
三波春夫は講演もしておりましたが、『日本人と米』というタイトルでのお話をさせて頂いたこともございました。
その中で、「元気の“気”という字の中は〆ではなく、米。氣という字の方がいいと思いますね!」などと話しておりました。
ではまた来週金曜日に更新いたします。
麦の原産地はイスラエルで、一万二千年前から栽培が始まりました。米の原産地は中国・長江の下流域のデルタ地帯、栽培され始めたのが七千年前と発表されて遺跡の数々が発掘調査されていますが、長江の中流域では、小麦栽培の遺跡もみつかりました。およそ一万四千年以上昔だろうということです。
<続きを読む>ものすご~く遠い昔の、先祖のお話は次回から!
ではまた、来週金曜日に更新いたします。