<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>三波春夫の笑顔の秘密</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/atom.xml" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1</id>
   <updated>2010-07-29T14:50:50Z</updated>
   <subtitle>～「お客様は神様です」のこころ～</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.34</generator>

<entry>
   <title>私はデノミ論者です 4</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/07/_4_13.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.605</id>
   
   <published>2010-07-29T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-07-29T14:50:50Z</updated>
   
   <summary>三波春夫はこんなことも考えていたり、感じていたりしていた一面があるのでした。
ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　私はもう十何年も前から、このことを話していますが、もしデノミをやることになるとたいへんな金がかかるという方がいます。これは数字のあらわし方が小額になるので、日常生活のなかでも銭や厘という単位が出てきたりして、今ある証券・伝票から販売機からレジから、すべて変えなくてはならない。その費用は莫大だからできないという主張です。
      　しかし、それは事務処理の問題であって、本質的には、国と国が対等に向き合うには、デノミを実施し、万札をヒラヒラさせている異常な感覚を改めるためにまず基本のデノミネーションを断固としてやるべきだと私は考えます。
　シベリアまで行かなくても、日本のなかで一円玉がもう少し大切にされたほうが、いいんじゃないでしょうか。
　そして、デノミは金がかかりすぎるというけれど、これも民間需要を刺激するひとつの方法かもしれないし、そうなれば一種の公共事業にも似てはいませんかしら。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>私はデノミ論者です 3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/07/_3_16.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.604</id>
   
   <published>2010-07-22T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-07-22T16:10:04Z</updated>
   
   <summary>　三波の持論でした。
　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　そのこと自体は、江戸の一両、明治の一円の価値をいうときも同じことかもしれません。
      しかし、そうした換算のわずらわしさをなげく心の底にあるものは、自国の通貨が国際的に堂々と通用する実力と交換価値を持つことを願う国民感情ではないでしょうか。その意味で、私は新聞の片隅で報じられた旧ソ連邦内の共和国の議会の決議が、決して他人ごととは思えないのです。
　これは私個人の感情論として聞いていただきたいのですが、国際的に日本の通貨額面インフレ状態のまま（敗戦状態のまま）でいることに私は疑問を感じるのです。国際社会の基本としての通貨を考える場合、まず日本人が本来の姿にかえる必要があると思います。
　一ドルは一円、一マルクも一円だと思うんです。
　円は私たちが生まれ育った国の通貨です。デノミをするということは、民族の誇りを取り戻し、日本民族の独立心につながっていくと思うんです。もちろん世界の経済機構や社会情勢を考えれば、そんなに単純なことではないことはじゅうじゅう承知のうえで申し上げているわけですが･･････。

   </content>
</entry>
<entry>
   <title>私はデノミ論者です 2</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/07/_2_15.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.603</id>
   
   <published>2010-07-15T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-07-15T15:39:46Z</updated>
   
   <summary>　戦前戦後を生きて来た人の実感なのでしょうね。
　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　戦後インフレの為替相場をいまだに引きずっていることにはこんな心理的な問題もあります。


      　戦前から活躍していた歌手の話などをうかがうと、歌手が舞台で歌うときの実演料というのは、レコードの印税と比べるとまことに微々たるものだったそうです。大歌手の東海林太郎さんでさえ舞台で歌うときはせいぜい五円くらいなもので、一方、司会者のほうは十円取っていた、というのですから驚きます。現在とはその比重が逆転しているのです。もっとも、当時は、現在とは違って実演というのはもっぱらレコードを売るためのキャンペーンだったそうですから、仕方のない面はあります。歌謡ショーが盛んになったのは戦後のことで、当然、出演料もだいぶん変わってきたわけです――。
　このような話を人に伝えるとき、そのたびにもどかしく思うのは、当時の五円がいったい現在のいくらに相当するのか、といつも頭のなかで計算し直さなければならない不便さのことです。貨幣価値のことが邪魔をして、今の人には話の真意が通じないのではないか、と考えてしまうのです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>私はデノミ論者です 1</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/07/_1_15.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.602</id>
   
   <published>2010-07-08T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-07-08T14:51:22Z</updated>
   
   <summary>　シベリアに４年間抑留された経験から、旧ソ連の共産主義を勉強せざるを得ないことになり、帰国後もずっと、ロシアの歩み方を注視していました。多くの抑留経験者と同じく、語り切れない様々な思いや考えと共に、だと思います。
　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　共産主義の崩壊から手さぐりの市場への移行へと迷走し続ける旧ソ連邦。そのなかのある共和国の議会が、下落し続けるルーブル貨幣の復権のために、一ドル一または二ルーブルに、その国だけでもデノミネーションの措置をとることを決議した、という話題が、新聞の外報欄に小さく載っていました。

      　なんでも、いまけっこうさかんなシベリア旅行をするときに、日本では邪魔物あつかいにされたりする一円玉が、ハバロフスク近辺ではしっかり役に立つという、文字どおり一円玉のシベリア旅行の話もあるそうです。ルーブルの実勢レートは、一ドル四、五百ルーブルくらいでしょうか。だから、その共和国の議会のことを報じた新聞記事は、市場経済のイロハも知らないからこんな決議をすることになるのだ、一国だけがルーブルの価値を引き上げようとしたところで、何の実効もないのに･･････と、いささか冷やかし気味の調子でした。
　しかし、世界の経済の仕組みのことはひとまずおくとして、この話を笑い話として、私たちは素通りしてよいものでしょうか。

   </content>
</entry>
<entry>
   <title>噫々二宮金次郎　6</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/07/6_33.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.601</id>
   
   <published>2010-07-01T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-07-01T15:06:29Z</updated>
   
   <summary>二宮尊徳研究の本は沢山ありますものね。
ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　うちうちのことを書きましたが、正直のところ、私は、金勘定が苦手です。また、うまい儲け話の周辺には決して近づくまいと思っています。

      　私の場合は、ひとすじに歌にいのちを吹き込んで、お客様に喜んでいただければ、その酬いはあとからくるもので、これは尊徳先生の「陰徳陽報」とかすかに通い合うところがあるのでしょうか。
　それにしても二宮尊徳というお方を、今一度学び直す必要がありそうです。次のお言葉は凄いですね。
「天地自然は人間にとって教科書であるから心して学ぶがよい。深く耕して、肥しを広く播け。金は使ってこそ生きる。タンポポを見よ、風に乗って広い土地へ種を運ぶじゃないか。ドングリもコロコロコロコロと遠くへ転がって自分の子孫を増やす」
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>噫々二宮金次郎　5</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/06/4_31.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.600</id>
   
   <published>2010-06-24T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-06-25T02:42:47Z</updated>
   
   <summary>　自叙伝「すべてを我が師として」に三波が詳しく記述したところがありますが、母は自分の両親と縁が薄い人だったので『専門職について自分で食べていけるように』という周りの大人達の計らいで、９歳で芸界に入りました。旅公演を続けながらの芸の修業は厳しくて、人の居ないところで涙をこぼす日々。でも、運命や環境に負けちゃいられないと、一人前の舞台人になるためにまっすぐに努力をしたのだそうです。何十年経ってからも、ふとした事でその頃の自分を思い出し、ジワーンと涙をためながら私にも思い出を語ってくれたことがありました。父は自らの経験と重ねながら、私以上にとても深く、母に共感していたのだと思います。
　　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　この歌については、ほかにも小さな思い出があります。私の家内が、この歌のなかの「梅の花咲く小田原後に桜町へと旅立ちなさる」というあたりになるときまったように涙を流すのです。

      　歌詞のその部分は、藩主大久保公に、「栃木の桜町へ行って、分家の経済を立て直してくれ」と命を受け、住みなれた故郷離れて一家で桜町に旅立つというくだりなのですが、尊徳先生は、その地の復興を終えるや、茨城の谷田部という所に派遣される。その谷田部が家内の生地なのです。そこから、まだ九歳のころに遠く離れた縁戚に預けられることになった哀しい記憶が、この歌のそのあたりを聞くたびに、重なりあってしまうというのです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>噫々二宮金次郎　4</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/06/4_30.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.599</id>
   
   <published>2010-06-17T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-06-17T18:38:28Z</updated>
   
   <summary>　「研究してみたところ、物凄い人物だった。これを世の中に伝えたい。皆さんの勇気の源にして貰えたら幸い」と、歌詞として書きまとめて、曲をつけて唄う。どう書いたらいいのだろうと苦心しつつも、恐らくいつもその仕事を心底から楽しんで実行していたのが三波でした。やがて出来上がった作品を新曲としてレコーディングする日を迎えるわけですが、このレコーディングという作業が本人の「一番好きな仕事」だったのでした。
　　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　借りた金は事業資金として、五年間は無利子。そして、返済をする時に、一割または二割の利子を、おかげさまでと、感謝の心をこめて返納という、情と理に叶ったものでした。ですから、みんな頑張って借金を早く返して仲間の期待に応えようと頑張ります。尊徳先生は、こんな素晴らしい制度を江戸時代に作ったのですから、まさに民主主義の祖であり、心温かな哲学者でもありました。

      　しかし、この日本の偉人とまさか直接に歌のご縁が生まれようとは思ってもみないことでした。
　尊徳先生のご子孫を中心に、江戸以来の「報徳会」の組織は日本の各地に連綿と続いています。その会から、ゆかりの小田原市の報徳二宮神社でご生誕百二十年祭が行われることになった、ついては、記念歌を創ってもらえないか、というご依頼があったのです。それが、標題の『噫々二宮金次郎』という歌だったのです。私の作詞、作曲。祭典儀式の中では神前奉唱を行いました。感激の一刻。昭和五十一年のことでした。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>噫々二宮金次郎　3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/06/3_36.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.598</id>
   
   <published>2010-06-10T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-06-10T17:37:31Z</updated>
   
   <summary>　「原点」は素晴らしかったんですね。
ではまた、来週金曜日に。</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      そのうえ、この方は、江戸時代にぬきんでた経済学者であり、土木工学の権威でもありました。
　その「報徳仕法」や推譲金の制度は、現在の協同組合や信用組合の原点とも言えるものでしょう。
      　ユニークな頼母子講をつくったのです。推譲金とよばれる資金を基礎にした、いわば庶民の銀行です。これは、のちに幕府がその政策に取り入れるほど人気があったようです。
　画期的だったのは、資金を借りたい人の中から誰に決めるかを入札つまり選挙で大勢の中から選ぶということをやられた。だから当選した人は、その借金をかえせなかったら、満座の中で笑われてもいたしかたございませんーーという証文を書いたそうです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>噫々二宮金次郎　2</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/06/2_39.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.597</id>
   
   <published>2010-06-03T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-06-03T17:33:33Z</updated>
   
   <summary>　金次郎像をもし見かけられましたら、このようなことを思い出しつつ味わってご覧ください（笑）。尊徳先生の偉業の説明はこの後も続きます。
　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　現小田原市栢山の没落した豪農の家に生まれた金次郎は、努力、陰徳、積善、節約という、哲学力行の末に身につけた実証的な合理主義によって、まず、わが家の再建を果たしました。

      　うわさになった尊徳は、小田原藩主大久保忠真に召されて、栃木県桜町の領地の荒廃を見事に復興させたのです。そして、「報徳仕法」と呼ばれる、その独特の農政学がついに幕府をうごかすことになって日光領八十九ヵ村の再興や各地にまでおよんだのだそうです。
　柴を背に負って本を読む少年の銅像が有名ですが、本物の尊徳先生は、いま風にいって、身長百八十二センチ、体重九十二キロもあったそうです。もちろん、道徳の鑑と尊敬された方には違いありませんが、合理的な農政学者であったのです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>噫々二宮金次郎　1</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/05/post_27.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.596</id>
   
   <published>2010-05-27T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-05-27T14:51:52Z</updated>
   
   <summary>尊敬してやまなかった二宮尊徳さんのお話です。平成９年に開催した永六輔氏とのイベント『爆笑教養講座』の舞台の上に“柴を背負って本を読む金次郎像”があり、その前で永氏が三波に聞きました。　　
　「きょう、三波さんが二宮金次郎について話をするっていうからこの像を置いたんですけど。なんで、この人は、歩きながら本を読んでいるんでしょうかねえ」
　「いえ、永さん、違うんですよ。金次郎さんは山で柴を取って来て、それを売った代金で本を買って、仕事を終えてから本を読んだんです。ですから、おなじみのこういう像は、それをいっぺんに表現したものなんです」
　これを皮切りに、三波による尊徳さんの話はエンエンと続き、客席は静まり返ったのでした…。
　　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      「あれじゃあ、眼を悪くしちゃうよなァ」と若者が言ったという話を聞いたことがあります。
      　刈り取った柴を背に負って、月あかりをたよりに歩きながら読書する少年、二宮金次郎の像。かつては小学校教育のシンボルのように校門の近くに建てられていた、のちの尊徳先生二宮金次郎の像は、戦後ほとんど撤去されたり、校内の目立たない所へ移されたりしていました。「戦後に流行らなくなったもの」の筆頭に挙げられたりもしました。
　しかし、お金の話だったら、その二宮金次郎という方のことから始めないといけないようです。なぜかといえば、江戸時代に、経済と道徳のバランスの上に立った経済哲学をうち立てて、主に関東地方の開拓と貧農救済のために一生を過ごされたお方だったからです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>汗をかいていないお金　3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/05/3_35.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.595</id>
   
   <published>2010-05-20T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-05-20T14:50:30Z</updated>
   
   <summary>　ある番組で「叩き上げの三波さん」という形容をしていらっしゃいましたが、実直な生き方は、色々な人の生き方を見た上で選択したものだと思います。
 　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　そんな私ですが実は一社だけ株をもっています。
      　私の所属するテイチクレコードの株です。これはテイチクが松下電器の傘下に入る際に、故石原裕次郎さんと私とだけは名誉株主のような形で株を保有してほしいと社からお話があり、記念のようなカタチで買ったものです。もとより値上がりを期待するようなものではありません。後にも先にもこれだけです。
　昨今のバブル景気や株をめぐる不祥事などを考えると、お金は汗水たらしていただくものという私の考え方はやはり間違っていなかったんだと思います。
　しかし、資本主義社会の世の中、私のような者だけではおもしろくもなんともないわけで、それは知っているつもりです。それでも「金儲けの必勝法」などというタイトルの本の広告を見ると、小さな声で「バカ」なんていったりするんです。
　清元の道成寺の詞の一節、「鐘に恨みはかずかずござる」が、ときどき私には「金に恨みはかずかずござる」と聞えてきてしまうのです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>汗をかいていないお金　2</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/05/post_25.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.594</id>
   
   <published>2010-05-13T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-05-13T14:52:47Z</updated>
   
   <summary>　子供に何を見せるのか。日本の国の子供が現在、何を見て聞いて育つのか。…大事なことですねぇ…。
ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　お金というのは、やはり汗と努力の代償としていただくもの。汗をかいた結果に得たものでない限り、それはお金と呼べないのではないでしょうか。

      　ふるさとの新潟では、除雪車もまだないころ、米を二俵、三俵とソリに積んで雪道を塚山の駅まで運ぶ大人たちが大勢いました。ソリを引く人の吐く息が白煙のようになってたち昇る光景は、仕事を実感させるのに十分でした。そうやって汗をかいて得たお金こそ真の値打ちがあるのだと子供心に思っていたのです。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>汗をかいていないお金　1</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/05/post_23.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.593</id>
   
   <published>2010-05-06T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-05-06T16:25:30Z</updated>
   
   <summary>　生前、インタビューなどで話していたことですが
「沈黙は金、と言いますが、雄弁はダイヤモンドだと思います」。
人と触れ合って、向き合って話をしてみて、確かな心のやりとりがあって、という土台の上で生きていきたいというタイプの人でした。
　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　あるとき興行師さんが株をすすめてくれたことがあります。
      「三波さん、株は男の勝負だ」などとかなり威勢もよく、いつも羽振りよさそうに分厚い札束を持ち歩いているような人でした。その言葉にも確かに迫力はあるのですが、株式市況を聞きながら一銭上がったの、下がったのと一喜一憂している姿はとても男の勝負とは私には思えず、やはり芸しか知らない人間には株はやれないと諦めたものです。
　いまも私の所に一日何十通も証券会社からの手紙がきますが一度も封を切ったことはありません。ですから、今後出さないほうが会社のためであり、資源のムダ使いとこの場を借りて、お知らせしたいほどです。私は株で儲けたお金は、それがいくら儲かったとしてもただの紙切れでしかないように思っている男です。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>使わなかった十万円　3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/04/post_24.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.592</id>
   
   <published>2010-04-29T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-04-30T01:52:03Z</updated>
   
   <summary>　あらためて“神棚にあげて歓んでくださった加藤氏”を考えますと、あたたかいお方だったのだと感じ入ります。
　母のことですが、三波は生前、講演や取材の折に、『悪い女房を貰うと一生の不作と申しますが、お陰様で我が家は大豊作でした』と笑顔で語っておりました。妻には生涯、感謝感謝の三波春夫でした。
　ではまた、来週金曜日に。</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　家内はいったんお借りした十万円を、よほどのことのない限り手をつけてはならないお金だと思って、貯金のかたちにして、使うことはありませんでした。
      　派手な金銭の出入りが常の芸能界にあっても、一つの家庭の台所を預かる女として、毎日の倹約に努め余裕のある切り盛りをしなければならぬと覚悟している家内としては、自分に相談なく十万円を借りて来た夫の心と、情けに厚い加藤社長の御恩に応えなければならぬと決心していたようでした。お借りしたのに一円の利子もつけずにお返し申し上げた借金を神棚に上げて歓びを表わして下さったお姿は私どもの目の奥から一生消える事はありません。
　著名な実業家にとって、その程度のお金の出入りが些細なものであったことに相違ありませんが、そのお金が十分に「生かされて」返ってきたことが、社長にとっても大きな喜びであったのでしょうか。
　社長は生前、数多の団体の長を引き受けて尽されたすばらしいお方でした。
　親以上のお方と申すべきでしょう。
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>使わなかった十万円　2</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.minamiharuo.jp/blog/2010/04/post_22.html" />
   <id>tag:www.minamiharuo.jp,2010:/blog//1.591</id>
   
   <published>2010-04-22T15:00:00Z</published>
   <updated>2010-04-22T14:53:25Z</updated>
   
   <summary>　以前も書きましたが、お年を召されても加藤清二郎さんは背筋がピーンと伸びておられたことがとても印象的な方でした。三波は心から尊敬しておりました。
　ではまた、来週金曜日に。
</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="「三波春夫でございます」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="著書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　この時のお金は、文字どおり、私の芸への”投資”となったわけです。それから間もなく、三波春夫の名でデビューすることができたのですから。

      　しかし、この十万円は家内に渡しましたが、家内はそれを貯金しました。
　一年たって、加藤社長に十万円をお返しに参りましたところ、社長は神棚にその小切手をあげて、礼拝し、たいへん喜んでくださいました。そしてその後、長い間私の後援会長をつとめてくださったのです。
　その後、私が中野区に家を建てたとき、社長は新築祝いにと数十万円もする豪華な家具を贈ってくださいました。ありがたいお方でした。後年、紫綬褒章をいただいた時、真っ先に加藤社長の御霊前に報告を致しました。未亡人をはじめ二代目社長ご夫妻が喜んで迎えてくださいましたが、私にはお仏壇の中から亡き社長の声が聞こえてくるようでした。
   </content>
</entry>

</feed>
