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   <title>三波春夫の笑顔の秘密</title>
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   <subtitle>～「お客様は神様です」のこころ～</subtitle>
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   <title>「左甚五郎」の亀　１</title>
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   <published>2012-02-02T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-02-02T16:54:19Z</updated>
   
   <summary>宮田保夫氏の御役職は当時のものです。
逸話をヒントに、浪曲作家・三波が作ったお話は次回からお届けします。
来週金曜日に更新いたします。
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      　「この亀を抱いて祈れば格闘技に勝つ」――という不思議な伝説を持つ木製の亀が群馬県前橋市亀里町に鎮座している。作者は飛騨の匠とのこと。赤松材の直径七十五センチほどで口に巻物を喰わえています。

      　写真を示しながら話をしてくれたのは三国コカ・コーラボトリング会長の宮田保夫氏です。私には貴重な友人の一人。
　「先日ね、フライ級チャンピオンになった井岡君がお礼参りに行くというので、訳を聞き驚きましたよ。早速社員に写真を撮ってくれと頼みまして」
　「そうですか。おや、このガラスのケースの上のほうに水色の雲のようなものが見えますが何かあるんですか」
　「おもしろいでしょう。竜神様がこの亀に乗っておられるというのです」
　「竜神信仰は中国から日本に稲作と共に入って来たわけでしょうが、その竜神の霊力で格闘技に勝てるというのですか」
　「そうそう、多分そうだと思いますが、私は未だこの亀は見ていないんです」
　「私も拝見したいですね。ところで会長、この亀がその昔、左甚五郎が作ったものだったらおもしろいですね」
　「そりゃ凄いことになりますよ。亀の甲羅はコーラに通じ、私の営業勢力圏が日本の北部ですから玄武の守り神の亀を信仰しているわけです」
　「なるほど、外国からも亀を買って帰られましたね」
　「五十一カ国から集めましたよ。この写真の亀が伝説どおり飛騨の宮大工の彫ったものでしょうかな」
　「間違いないと思います。日光東照宮を創る時、当時天領だった飛騨の匠たちは動員されていましたから」
　宮田氏が相槌を打った時、横から神職の方が「東照宮創建にはたしかに飛騨の匠の力が大きかったはずで、仕事を終わって国へ帰る時は出流山を降り前橋へ出て中仙道を行くのが道順でしたね」と話してくれました。私はこういう話が大好き。そういえば、そこの地名も亀里町。
　日本一の工匠。飛騨の国の住人左甚五郎――とくれば、講談、落語、浪曲の世界のヒーローです。その実在については、いろいろの説があるようですが、それではあんまり夢がなさすぎる。
　ひょっとすると左甚五郎の作品かも知れないと独り決めして、浮きうきと翌日資料の本を開いて見ました。ここは、かつての浪曲作家の昔にかえって、わが想像の翼をのばしてみることにしましょうか。
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   <title>たった一度の大失敗 ４</title>
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   <published>2012-01-26T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-26T15:12:35Z</updated>
   
   <summary>　お陰様で、このような失敗は生涯で一度きりとなりました。どなたでも、多忙な仕事の日々を送りながらもちゃんと健康を保つことは大変なことと思います。腹八分の食事、良い睡眠、過度にならない程度の良い運動、等といろいろと健康法が言われていますが、どうかご自分のために、またご家族のためにも、お体を大切になさってください。
　そして、三波春夫の明るい力のある歌をお聴き頂くという健康法も是非…！
　ではまた、来週金曜日に。</summary>
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      　私は、このたった一度の休演、不覚と恥じるばかりですが、思い起こすにつけて「お客様は神様です」と感謝するのです。
      なぜなら、この休演の日延べ公演には、お客様が全員同じ顔ぶれで来てくださったからです。正確に申し上げますと、お一人様の分だけ空席ということでした。一日日延べしての千秋楽はまさに万感こもる想いでした。
　その時の長谷川榮一会長の嬉しそうなお顔をいつまでも思い出します。
　私は、お客様に大切な事を教わり、育てられるということを、このときほど実感したことはありません。
　現代は薬がたやすく手に入る時代ですが、その服用の仕方、肉体と薬の関係や、食事や休養の問題を大切に大切にしなければならないと反省しました。これを私の生涯ただ一度の休演で終わらせたいと密かに祈っています。
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   <title>たった一度の大失敗 ３</title>
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   <published>2012-01-19T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-19T15:03:01Z</updated>
   
   <summary>　休演の決定から２０時間に満たない間の勝負。なんとしてもこの間に回復させて、三波を翌日の舞台に立たせなければという一念。母は食事や睡眠など自分のことはまったく忘れ、夜通しで、楽屋に敷いた布団の上の三波を見つめました。熱を測り、発汗の様子と顔色を読み取って手当てを続け、明け方に「大丈夫。きょうはやれる！」と思ったそうです。そして、おかゆが食べられるかと聞くと、食べると言う。さっそく食べさせて体をマッサージしながら、山のような励ましの言葉をかけ続け、とうとう次の日の舞台を開けることが出来ました。　
　本人も一晩で治らなければとさぞかし必死だったでしょうが、しかし、やはりこの大失敗の申し訳無さは後々まで消えるはずはなく。このように本にも記して懺悔の態。夫婦の語らいではしばしば話題に出て、傍らの私にこのときの話を聞かせ、そのたびに父は母に“思い出し叱り”をされる形となっていました。…こんな、ご家庭でよくある風景が当家でもよくございました（笑）。
　ではまた、来週金曜日に。</summary>
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      　この日は不幸中の幸いといいますか、昼・夜、ナショナル劇場観劇会の貸し切り興行にあたり、お客様には日延べの日にもう一度お越しいただくこととなりました。また経費の負担は私の会社でもする事といたしました。

      　その夜は、妻は一睡もしませんでした。翌日は体はふらつくものの、なんとか舞台に立つことができました。この正月公演のお芝居は、花登筺さんの傑作の『人力一代』でした。
　日本で一番最初に人力車を考え出した敬助という名の男の話で、スクリーンに映し出される蒸気機関車と競争をして勝つという、大がかりな場面もあり、体力が要求される役柄でした。
　さて翌日の幕開けは、大八車に人を乗せて花道から颯爽と登場と言いたいところですが、この日はそろりそろりと、花道から落ちないように登場しましたが、客席から拍手とともに、「元気になったね」というお客様の声も耳に入ってきました。それで張り切らない者はおりません。芝居も受けてます。自分でもこんなに頑張ってだいじょうぶかな、と思うほど熱を入れていると、伯父さん役の山茶花究さんのアドリブ、
　「おいおい敬助、体が良くなったからって、そんなに張り切るんじゃねえよ」
　これには、客席もどっとわくので、私もうれしくなって、
　「伯父さん、もう大丈夫だい」
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   <title>たった一度の大失敗 ２</title>
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   <published>2012-01-12T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-12T16:45:45Z</updated>
   
   <summary>　遅ればせながら、新春のお慶びを申し上げます。
本年は本日からブログをいたします。どうぞよろしくお願い致します。

　本文にあるようにこの休演の原因は、年末年始も休まずに仕事を続けていた疲れが出たのと、薬の間違った服用法などが重なったことであり、三波春夫の一生に一度の休演でした。
舞台に出てお客様にご挨拶しなければと思うのに、血圧が下がっていて自分のカラダが思うようにならない状態。周りの人たちが揃ってオロオロとする中、このようなときにも気丈なウチの母は各所の担当者に指示を重ね、謝罪のために舞台に出る三波に、車椅子に乗せるにしても着物を着せようとしますが、立とうとする気持ちはあってもヘナヘナと倒れ込んでしまって出来ない。で、そのホッペタを一発ピシャリとビンタして「しっかりしなさい！」と檄を飛ばしたそうです。思わず三波が軍隊を思い出した、などという余裕もなかったでしょうけれど…。ここから一晩中、本人はもちろん、母も念じる復活への戦いが始まりました。
　ではまた、来週金曜日に。
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      　そのうちお医者さまが見えて、診断してくださいました。血圧を計ると、
　「上が六五、下が四○、これでは絶対安静です」

      　私には、これほどの急変の原因がわかりません。前夜は、出演者たちとボウリング大会をしたぐらいで、元気そのものでした。この長期公演では、楽しい時間を作ろうとマージャン大会、ビリヤード、ボウリング大会といった催しを公演中に一回ずつ開くのがならわしだったのです。
　ただ一つ思いあたることと言えば風邪薬でした。主治医の先生に甘えてたくさんもらって置きました。その十日前から予防の意味もあって、風邪薬を飲み始めたのでした。風邪薬は抗生物質ですから、処方箋を読めば三日飲んだら二日は服用を休むというくらいの間隔をあけること、と書いてありましたが、それはまさにあとの祭りでした。ともかく、抗生物質のせいで血圧が徐々に落ちていたんでしょう。私はそのことにまったく気づかなかったのです。
　開演の時間が来ました。お医者様は「今日は無理です」と御園座の社長に宣告されました。当時、『松竹芸能』の社長の勝さんがマネージメントをしておりましたが、劇場と打ち合わせて本日休演、一日の日延べという案を妻に示しました。私は「うむ、タノム」というばかり。しかし満員のお客様にそのままお帰りいただくわけにもいきませんので、私を除いてのショーを上演し、女優さんの踊りをご披露するなどで、一時間ほどでステージを賑やかにしてもらいました。
　ちょうどそのとき、長年私の専属をつとめてくれた司会の名手、宮尾たか志君が楽屋に姿を見せたのです。
　これはいいところに現れたというので、妻が「漫談をやって頂戴ヨ」と頼みました。いや、宮尾君も陣中見舞いのつもりが本当の見舞いになってびっくりした、と大笑いでした。余談ながら、その彼はすでにあの世へ旅立ってしまっています。
　さて私といえば、……その間、楽屋で夢かうつつかという状態で、これほど情けない思いをしたのも初めてです。それでも、お客様にご挨拶だけでもしなければなりません。車椅子を用意してもらい、素顔のままで舞台衣裳に着替えて、舞台に出ました。お客様にただ頭を下げるだけ、宮尾君が司会してくれて、たしか劇場支配人が本日休演、一日の日延べを正式にお客様にお願いをされたはずです。
　そのとき前列のお年寄りのお客様が倒れるのが目に入りました。「自分の息子のことのように心配だった」と、そのお客様が劇場の人に話されたと聞いて本当に我が身の不注意を反省しました。
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   <title>たった一度の大失敗 １</title>
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   <published>2011-12-22T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-23T08:15:19Z</updated>
   
   <summary>『三波春夫特別公演』の三波春夫が倒れてしまって、どうなったでしょうか…。
続きは来年１月１３日金曜日とさせていただきます。
　
本年もお世話様になりまして、まことにありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。</summary>
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      　昭和三十三年から毎年続いた名古屋・御園座公演での出来事です。
　もう二十年も前のことですから、時効ということでお話し申し上げます。
      　昭和四十七年正月、私は大晦日のNHK紅白歌合戦に出演後に、自宅で仮眠、そして元日の朝から始まる舞台稽古のために名古屋入りしました。二日の初日から二十八日の千秋楽までの一ヶ月の公演です。
　冬の仕事ですからビタミン剤・風邪薬をいつもより多めに用意していきました。いま考えると、薬に慣れすぎていたのが、そもそも私の「うかつ」ということでした。
　座員に風邪ひきが多くて、私も不安で薬を服用していおりました。さいわい体調も良く公演は順調にすすみ、中日も無事に過ぎて終盤に入ったある朝のこと。ホテルを出て楽屋に入りました。午前十一時からの開演です。化粧をしてトイレ……ここまではいつもの通りでしたが、用が終わったとたん、目がぐるぐるとまわり始めました。
　壁を伝わるようにして、なんとか楽屋にたどりつきましたが、もういけません。それっきり倒れ込んでしまいました。そっと目を開けると部屋全体がグルグルと廻っている。ああいったい何が自分に起きたのか、どうしたんだ、と思うばかりで魂が肉体から抜け出して行くみたいです。妻の手を借りて立とうとしてもからだがクラゲのようでした。頭取が駆けつける、医者の手配に走る者がいる、開演時間が迫り、劇場側の責任者が駆けつけるなど楽屋は大騒ぎとなりました。
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   <title>一杯の珈琲の味　３</title>
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   <published>2011-12-15T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-15T16:29:35Z</updated>
   
   <summary>　三波は、どなたに対しても出来ることはやるし出来ないことはやれないと、きちんと対応することが最良だと、そのように行動する人でした。マネージャーの私としてもとても分かり易くやり易く。今から思いますと有難いことでした。
　ではまた、来週金曜日に。</summary>
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      　そして顔役の待っているテーブルへはほかの若い衆が案内しました。初対面の挨拶を交わし私が腰を下ろしたら、女性が静々と一杯のコーヒーを運んで来ました。
      　「いただきます」
　とてもいい香りのコーヒーでホッと心が和んだ私はきっといつもの笑顔を見せたのでしょう。顔役がいろいろ話しかけてくるのに陽気に答えたりして十五分ほど時がながれました。すると廻りにいた人たちが、何となく、歌って欲しいという囁きを始めました。
　「ああ来たぞ」と思っていると中には「ネェ親分」とネダる女性もいる。顔役はこのキッカケを待っていたようにニコニコと「先生どうですか、チョッと一曲。バンドもおりますけん。」
　ところがここら辺りが私は素直じゃない。
　「親分。私はプロの歌手なんです。ここで歌う用意は何もしていないし、コーヒーを一杯ごちそうになるという約束で貴方の顔を立てに来たのです。劇場のおかみさんから、それはお聞きになったでしょう」と言うと顔役さんは「やア」と手をあげて、あっさりと、
　「先生、申しわけない。判りました。失礼さんでした」
　「いやこちらこそ、とてもおいしいコーヒーでした。明日はまた早いのでこれでお先に失礼します。ごちそう様でした」と席を立ちましたら顔役さんは入口まで見送ってくれました。
　握手を交わして別れましたが、それ以来逢う機会はありませんでした。名前も顔も遠い昔のものとなりました。
　さて、ここまで書いて気が付いたのは、話の運びが少々調子良すぎると思われるかもしれない、ということです。しかし、大変ドラマチックなことに遭いながら平静な心でいられたのは、大勢の歌のファンが、即ち、力強い味方がいるんだ、という気持ちがあったからです。
　ただその夜、私は太夫元と現地マネージャーを強い調子で叱ったのは事実です。
　「あんた方は、なんの役目ですか！太夫元さんも本当に旧い人だねえ、新しくいこうよ」
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   <title>一杯の珈琲の味　２</title>
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   <published>2011-12-08T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-08T16:47:24Z</updated>
   
   <summary>この話の決着は、来週金曜日となります！</summary>
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      　その男の目を私は黙って見ていました。
　するとこの時、楽屋の廊下を走ってくる人の足音と共に、
　「どこのもんや、なんばしよると」
　ガラリと戸を開けて劇場の女主人が入って来ました。するとその男は「あッ」と声をあげると刀を鞘に納め、一目散に逃げ出してゆくではありませんか。
      　「先生、スンマセン」と女主人はあやまるので、
　「どういう人ですか」
　「うちも知ってる顔役の子分ですが、先生にキャバレーに来てもらい、酒を酌み交わしたいといってる親分に忠義だてしてあんな乱暴な事をしよりました。堪忍してください」
　「すると、今日の切符はその顔役はたくさん買ってくれたんですか」
　「とんでもない。先生が初めてここへ来てくれなさったので大入りです。入れ替え興行で、あん人たちァ表でダフ屋ばやっちょります」
　「ああ、そうですか、今回の太夫元は昔からのしきたりで来た興行師さんだから、ハッキリ断り切れなかったんでしょう。それにしてもこちらでは、顔役と交際がある訳ですね」
　「ええまあ、うちもコヤ（劇場）持ってますけん」
　「解りました。今の男もおかみさんのひと声で逃げて行ったわけですから、やりすぎたと思ってるでしょうが、今日のことを根に持つかも知れません。先方さんに伝えてください。明日も明後日も私は公演が続いておりますので、早く体を休めないといけません。ただしアルコールは全然呑めませんから、一杯のコーヒーだけで失礼をするけれど、それでよいとおっしゃれば参りましょう」
　「ありがとうございます。先生、助かります。顔役にはそのとおり承知してもらいます。すいませんねえ」
　と決まって、三回目の公演を済ませて私は迎えの車に太夫元とマネージャーと三人で乗って出かけました。町の景気のよさを反映してかキャバレーは中々立派で、音楽が賑やかに演奏されて女性たちも大勢、キラビヤカでした。入り口を入って左手を見るとバカ丁寧に頭を下げた人がおりました。アレッ昼間のダンビラ提げてやって来た男……。なんともいえない表情でした。
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   <title>一杯の珈琲の味　１</title>
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   <published>2011-12-01T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-12-01T17:08:28Z</updated>
   
   <summary>この続きは、来週金曜日に。</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　「これほど長い芸能生活で、やくざ関係の人とまったく交際がないのは、芸能界七不思議に属しまんな」
　「僕は理論的でないのはダメなんだなァ」
　「それにしても、政界との金銭関係で、いろいろ話題の新潟県出身のお方がおられるけど、これもまったく関係おまへんな」
　「そうです、その方には一度歌の仕事で呼んでいただき、どうぞ遊びに来て下さいといわれましたが、私は、この立志伝的な凄い仕事を成し遂げたお方は、遠くで眺めているほうが魅力的だなと思っていたんですよ」
      　これは、私と、多年の友人である大阪出身のプロデューサー澤田隆治さんとのある日の会話の一部です。
　私は元来賭け事は弱いし、ジャンケンでも負けるのが得意なくらいですから、そういう兄さん方とは親しくなる必要もなくすごしました。
　実は歌手になった翌年、昭和三十三年春、九州のある町の劇場でこんな出来事がありました。昼夜三回公演の内の二回が終わって楽屋で色紙のサインをしているところへ、いきなり、
　「おお、三波よ」
　と声を荒らげて半纏姿の男が入って来た。その男を押さえるようにして太夫元がオロオロしているんです。
　「俺の親分が頼んだのを聞いてくんねえのか」と凄むので私は叱りつけるように、
　「何のことですか……太夫元さん」
　「はい、その……終演後にキャバレーに招待したいと土地の親分が言ってますから一応断ったんです」
　「それでいいじゃありませんか」
　ところがその威勢のいい男は大きな声で、
　「生意気いうな！！」
　と叫ぶと、いきなり、手にした刀をギラリと抜くや、目の前の畳にブスリと突き立てました。
　私は不思議な光景を見る想いでした。
　まさかやくざ映画の場面が目の前に出現するとは……。
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   <title>頑固一竹さん　２</title>
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   <published>2011-11-24T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-24T15:06:15Z</updated>
   
   <summary>　新しい夢。どんな立場であっても、それを描いて実現させる努力こそ、と思います。
ではまた、来週金曜日に。
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.minamiharuo.jp/blog/">
      　それはさておき、一竹さんは第一級の高名な伝統工芸家です。
      しかし、伝統工芸の「芸」、芸能の「芸」、そして職人の仕事の「芸」、それらにあい通じ共感しうるものがありはしないだろうか。
　それが私には自分の「芸」に対する誇りと頑固さだと思えるのです。
　厳密にいえば総合芸術の芸能も妥協は必要ですが、私たち芸にたずさわる人間はいつまでも新しいいい物を作る頑固者だといわれるように頑張りましょう。
　ね、一竹師匠！
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   <title>頑固一竹さん　１</title>
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   <published>2011-11-17T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-17T18:07:19Z</updated>
   
   <summary>　この辻が花の着物はとても軽く、体に気持ちよく添ってくれて、着ていて楽です。衣装の着心地は大切なことですので、こちらを三波は本当に気に入っておりました。
　さて、明後日２０日１８：４５～１９：２９に、ＮＨＫＢＳ『没後十年　三波春夫の世界』がオンエアされます。どうぞご覧くださいませ。
　ではまた、来週金曜日に。</summary>
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      　「一竹辻が花」の久保田一竹さんをご存じでしょうか。私はこの辻が花のきものを舞台で着ますが、実に着やすく、しかも豪華、品格のあるきものです。
      　一竹さんとTV番組で対談したことがありました。一竹さんもまた、同じシベリア抑留の体験者でした。もっとも、印象的なお話はやはり辻が花をおつくりになる工程に関してでした。
　みなさん、ご存じのように辻が花は何百年の歴史を持ち、優美にして繊細、製作期間には気が遠くなるほどの日数を要します。さて、丹念につくりあげて、ようやく完成といったそのときに、一竹さんはご自分で気に入らなければ、惜しげもなく捨てておしまいになる。糸にほんの少しでもむらを見つけたりすれば、妥協することはせずにポイと捨ててしまうのだそうです。伝統工芸の名人に共通する頑固一徹さが、そこには感じられます。
　一竹さんは、頑固一竹さんなのです。嬉しいではありませんか。
　しかし、何千時間もかけて作ってきた作品を捨てることの凄さ。恐らく身の毛がよだつ一瞬。
　一竹さんが自分を裏切ったきものを捨てるのは、次の夢を拾うために捨てるのだ、と思います。
　捨ててこそ拾うものがある。自ら創った形を用捨なく切り捨て、切り崩していくのは、真に力を持った人にのみできるものではないでしょうか。
　新しい夢を作るために、私が、一竹さんに学ぶのはここです。
　ある美術学者の方がおっしゃっておられました。江戸の文化芸術は名もない職人さんたちが作りあげたものだ。無名性の芸術だからこそ、自由な発想をおしすすめ高度なレベルに発展させることができ、のちの大衆文化につなげ得たのだ――と。
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   <title>四人の『長谷川先生』　５</title>
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   <published>2011-11-10T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-10T15:02:17Z</updated>
   
   <summary>　芝居では、三波は殿様も浪人も演じましたし、芸道もの、商人ものも当たり役でした。この「塩原多助」の芝居は、浪曲調の歌が入るミュージカル的な場面もあり、好評でした。主題歌である『長編歌謡浪曲　三遊亭円朝原作　塩原多助』も聴かせる歌になっております。６月２２日リリースの「終り無き歌藝の道」にも収録されていますので、どうぞご清聴ください。
　ではまた、来週金曜日に。
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      　また『塩原多助』の芝居は忘れられない思いでのひとつです。
      　これもまた先生のお導きによるものでした。ところは洞爺湖のゴルフ場。食事中に先生が「あなた今度塩原多助をおやんなさいよ」と突然、おっしゃったのです。あの三遊亭円朝の名作のことですが、とっさに心の中で、なんと古めかしいネタのことをおっしゃるのかと、とまどいましたが、実は先生の読みの深さは、私の持ち味と客層を的確に捉えてのご教示だったのです。
　三年ほどしてから、歌舞伎座の芝居の打ち合わせで劇作家の大西信行さんにお会いしたとき、大西さんが「三波サン、塩原多助はどうですか」といわれたのです。私は驚くと同時に長谷川先生のお言葉も思い出しました。やっぱりそうか……。
　「私も考えていたことろです。長谷川先生に教えられたのですが、劇中の親子の別れの場面に浪花節をやるといいですね」などと意見一致、意気投合です。
　私はさっそく帝劇ご出演中の先生を楽屋におたずねし、「先生のお教えどおり、塩原多助をやりますので、よろしくお願いいたします」と申し上げると、「きっとお客さんが喜ぶよ。お嫁さんのお花には娘の希世を貸しましょう」とおっしゃってくださいました。
　そして文字どおり、大ヒット作となり、お客様も喜んでくださいました。もちろん作家の大西信行さんも……。
　四人もの『長谷川先生』。文字通り私にとっての師でありました。
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   <title>四人の『長谷川先生』　４</title>
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   <published>2011-11-03T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-11-03T16:15:25Z</updated>
   
   <summary>   ちなみに、三波はハンディ１３でした。４０台で廻っていましたが、不調のときは５３とかの数字がありましたっけ。
　人と人の間が空かないようにして写真を撮る、ということは影響を受けて私も気をつけるようになってしまいました。
 　ではまた、来週金曜日に。
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      　さて、四人目の長谷川先生は、映画の『長谷川一夫先生』のことです。
      芸の上でご指導をいただきましたが、また、よくゴルフも一緒にさせて戴きました。当時、北海道、洞爺湖のゴルフ場ではオーナーとの特別な関係で、顔を合わせる機会も多かったのです。私は夏の歌舞伎座を終えて洞爺湖に行くのが楽しみでしたが、先生もご夫婦揃って夏休みをとっておられました。
　ある日、二人とも百八つのスコアーであがったことがありました。その時、先生はさも楽しそうにこうおっしゃいました。
　「これで三波さん、お互いのゴルフの煩悩を払ったね」
　「ハイたしかに、百八つ叩いたのですから、これからうまくなりますね」
　「それにしてもゴルフは芝居よりむずかしいなァ、あんたも歌のほうがラクやろ」
　「ハイ」で大笑いでした。
　また「心を形で表すということの意味」を教えてくださったことがありました。
　京都の撮影所で、私的なスナップをお願いした時のこと。
　「三波さん、もっとくっつきなはれ」
　「ハイ」
　「あのね、人と写真を撮るときは一ミリでも間を開かしたらあきまへん、できた写真は冷たい、白々しいものになります。袖が重なるほどにして撮ると丁度ええ」
　日本映画の大ベテランのお言葉は広く深い意味を持っている。私は今も大事にしています、「人と袖が重なる程に近寄って写真を」というその言葉、そして、その時のスナップ写真の一枚……。
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   <title>四人の『長谷川先生』　３</title>
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   <published>2011-10-27T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-27T17:00:44Z</updated>
   
   <summary>　三波が目をキッラキラさせて長谷川会長のお話をうかがっていた様子を思い出しました。私も父のおかげでお会いいたしましたが、品格あふれ、思いやり深い方でいらっしゃいました。昭和３５、３６年、そして御園座の消失再建を経て３９年から５５年まで毎年１月は、御園座にて『三波春夫特別公演』と銘打つ一ヶ月公演をしておりました。

ではまた、来週金曜日に。</summary>
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      　次のお方は名古屋・御園座の『長谷川榮一会長』です。惜しくも先年世を去られましたが、芝居博士と言われるほど、博学と熱意を持っていることで有名なお方でした。

      　「芝居も相撲も、もともとは共通するものが沢山あったのですよ。まずお客様はマス席で御見物。花道は芝居から相撲へ。櫓太鼓は相撲から芝居へと交流した結果なんです。
　また、名古屋は芸どころ、客の好みがむずかしいと言われるのは、この土地が関東、関西の接点だからです。お客の眼がこえているのです。東京の役者も大阪の役者もここまでは来るが、この日本のヘソを越える事ができずに引き返したものなんです。
　今は、電波の発達でさま変わりしてきましたが、それでも人間の気風は違います。
　信長、秀吉、家康と三代の英傑も中部日本の出身でしょう。ですからここは大きな利点を持った土地なのです。名古屋財界は懐が固いことで有名ですが、同時に東西をにらんでの超一流企業の発祥の地でもあるんです。
　それから大根役者ということばですが、ふつう下手くそでどうにもならない役者のことをいうようですが、ほんとうはそうじゃないんですね。大根は、どんな味付けもできるし、どんな色にも染まるでしょ。それが転じて、どんな役でもこなせる、主役でも脇役でもつとまるという腕のある役者のことをいうんです。それが、ほんとうの大根役者です」
　まさしく芸能の生き字引のような方でした。フランス国から文化勲章を授与されたというのも、当然のことのように思われます。
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   <title>四人の『長谷川先生』　２</title>
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   <published>2011-10-20T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-20T23:40:06Z</updated>
   
   <summary>　「日本人の中には偉い人がたくさんいるね」というお言葉に衝撃を受けた三波。
実力が上がり、大きな仕事が出来る時期に入って忙しく過ごす自分の心を見直して“人は人の良いところを見ていくようにしなければならない。人の批判をするのは簡単。だがそれをする前に、まず己れをどう磨いていくかに懸命になるべきだ”と、気づかされたのだと聞きました。
　ではまた、来週金曜日に。
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      　次のお方は大衆演劇の父、『長谷川伸先生』です。私は『雪の渡り鳥』を歌って以来、重要な芸の指針を与えられました。
      　歌手芝居第一号の大阪歌舞伎座公演の時に、「『一本刀土俵入』を三波にやらせてはいけない。彼には独創的な演目を考えろ」と厳しいご指導があったおかげで、名人浪曲家『桃中軒雲右衛門と妻』を、いうなら探り当てて歌や浪曲、音楽をユニークな形で活かした演劇を第一回に演じる事ができました。
　その後、人情味溢れる先生のお側に接するたびに、作家としても指導者としてもケタはずれの大人物で、私は本当に「神様をみた」思いです。
　先生のお言葉の中で忘れる事のできないのは、
　「三波くん、君のきものが男の歌手の衣裳になったね」
　「『一本刀土俵入』の茂兵衛をもうやっていいよ」
　そして、私が初めてお目にかかった時の事です。この大作家が、「三波くん、日本人の中には偉い人がたくさんいるね」と謙虚にかたられたお言葉。私が三十四歳、混沌たる世相、社会に強い批判的な心を持っていた時代でしたが、伸先生のお言葉は全身がしびれるほどの衝撃を受けました。威厳と優しさに満ちた先生のお顔を見つめながら、私には新しい道がハッキリと開けていく形が見えました。
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   <title>四人の『長谷川先生』　１</title>
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   <published>2011-10-13T15:00:00Z</published>
   <updated>2011-10-13T17:57:07Z</updated>
   
   <summary>今はテレビをはじめとして情報が溢れていますから、文中にあるような“この人から英語の言葉を初めて聴いた”というようなハッキリしたことはなさそうですね。でも、人からモノを教わるのは素敵なことだ、と改めて思います。
ではまた、来週金曜日に。</summary>
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      　つくづく不思議に思うのは、私には師と仰ぐお方に、なんと四人の強い個性を持った『長谷川先生』がおられましたことです。
      　『長谷川清先生』、生まれ故郷のお医者様です。家族すべてがお世話になりましたがこれは近郷近在の人々にとっても同じだったはずです。本当の名医でした。それに凄いのは「永年、治療費を全く請求された覚えがない」と私の父がいっていたそのことです。
　ある時「火事だ！」という声に外へ飛び出した清先生は、大屋根の上までポンポンと身軽に飛び上がってしまわれて、「あぁ、あの火勢なら大丈夫だ。それに消防団も駆けつけている」とおっしゃってから御自分のやった事に気づかれて、
　「おーい、誰かはしごを持ってきてくれ！」
　このときのお年が六十歳を越えておられたそうです。
　これも父から聞かされた話ですが、先生は「剣道五段、柔道五段、囲碁・将棋・書道すべてあわせると三十六段になるかなァ」と笑っておられたそうですが、この火事の時も三本の指が掛かればどんな所へも登る事ができるという、忍者の技を行った先生だったのです。絵も素晴らしく、文武両道を極めるとはこういうことかと思います。
　先般帰郷して、久方ぶりで御子息にネダって先生の絵を見せていただきました。そして子供の時、たしかに拝見した花鳥の絵がそこにあった事に改めて感動しました。
　私が子供の時、初めて覚えた英語は「スポーツマンシップ」でしたが、これは青年団長を務めておられた先生が熱を込めて話された時のお言葉です。茶道、華道、礼法を村人に指導もされて、痩身痩躯、美髯を蓄えた、気品高いお方でしたが、その令夫人の美しさ、優しさには、思い出すたびに何ともいえぬ胸の高鳴りすら覚えるのです。
　有吉佐和子さんの『華岡青洲の妻』を読んだ時、青洲のお母さんの美しさと人柄を書かれた件で、この長谷川清夫人を思い浮かべたことでした。
　シベリアから帰って御挨拶に伺った時、泪をこぼして「よかった、よかった」といって下さったお顔の気高さもまた私の記憶のなかに深く刻まれていますが、子供の時にこんなに素晴らしいご夫婦に何から何までお世話になった事は、希有な事ではないでしょうか。私の父も心の底から尊敬していましたが、親子が揃って師と仰いだお方がいるということは滅多にないことではないかと思います。
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