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2020年03月13日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『余談・むかしのお酒の造り方』

 私が伺ったときも、三輪山の拝殿の台上には馥郁(ふくいく)としたお酒の香りがしていましたが、伝わるところでは、饒速日尊が高橋活日(いくひ)命にアイデアを授けたところ、一夜にして美酒を造りあげたといいます。どんなアイデアだったんでしょうね。


 全国の高橋さんの大先祖は、大王の内膳の司として食事に関して責任を持っていた神さまですね。この功績を記念して、境内に「活日神社」として祀り、全国から酒造家や杜氏(とうじ)たちの参拝が続いています。
 古い民謡に次の文句があります。

 三輪の殿さま、うま酒に・・・・・・
 三輪のお酒は神の御酒(みき)・・・・・・

 大昔、乙女たちが飯(こめ)を噛み、唾液で糖化させ、これを麹(こうじ)として室に入れ、清水をそそいでこぎ廻し、やがて搾りあげたのが美酒であると言われていますが、乙女たちが麹にする米を一生懸命に噛んでいる風景は、人によっては何ともおもしろく、または「えっ?」と絶句する人もおいででしょうが、この技術は大陸から日本に伝来したものだそうです。
 この大陸文化の中継点は、出雲の美保ヶ関港であったと判断してよいと思います。後世の「応神記」の中に、この酒の造り方をいろいろと書いてありますが、百済人の女性が噛む技術、つまり口嚼酒(くしゃくしゅ)のやり方を伝えています。

ビックリの酒造方法ですね…。
ちなみに、三波春夫は下戸でございました。

では、次回は3月27日に更新いたします!