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2020年03月06日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る⑥』

 日本国中に饒速日尊は祀られており、別名になっている社もありますが、千社を数えるだろうと言われます。


 例を挙げますと、遠く神功皇后が、竹内宿編(すくね)とともに海外(三韓)遠征をされるとき、九州の朝倉郡三輪村に、戦勝祈願として饒速日尊を三輪山から勧請し、社殿を建立したとあります。
 また、江戸には総鎮守様として、徳川将軍が赤坂に山王日枝神社を建ててお祀りしたのです。不思議にこの社も大山咋(おおやまくい)という別名を言っています。
 愛知県一宮市の真清田(ますみだ)神社は、天火明命(あめのほあかりのみこと)の名で祀られています。
 最も有名なのは香川県讃岐の金比羅様。
 そうそう、京都の守護神「賀茂別雷(かものわけいかずち)」様も、饒速日の別名中の別名です。
 歴史の真実を消してしまうことは絶対できないと、原田先生はしみじみ書いておられます。
 三炊屋姫と結婚された饒速日尊は、二男一女の父となられました。長男・宇摩志麻治(うましまじ)、次男・高倉下(たかくらじ)(別名天香山命・越後一の宮の弥彦神社御祭神)、末娘が伊須気依(いすけより)姫です。この伊須気依姫は、のちに神武天皇の皇后になられました。
 やがて大役を果たされた大王・饒速日はみまかられて、三室山の頂上に墓として磐座(いわくら)に鎮座されました。宝算六十八歳くらいと原田先生は記されています。
 三輪山の磐座は上・中・下の三ヶ所になっていると永さんも調べておられましたが、重要な副葬品が納められていることでしょう。掘り起こすなどということは不可能ですが、私はここで、考古学をすべて肯定することには反対です、と書いておきます。器物や人骨の年代測定はできても、人間の動き、歴史のドラマは考古学だけではすべて解明できないと思います。
 例えば、卑弥呼の鏡がこの地方に沢山あったから、邪馬台国東遷す、などとは......。

三波春夫が取材などでよく語っていたのは、「歴史を忘れた民族は滅ぶといいます」でした。
歴史を学ぶことで「あのとき、ああ動いたから成功したのか、こう動いたから失敗したのか」を学ぶことが出来ると話していました。
「そこにある人の心の在り方を学ぶことが大事」そう話していたことが、本日分の本文にもにじみ出ていると思います。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。