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2020年02月21日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る④』

 そして饒速日将軍は、下春彦を先頭に、出雲海軍の精鋭が守る大船団を編成して、大きな夢を乗せて島根県美保ヶ関港を出発しました。


 時は西暦一八三年頃のこと。出雲の神君の命を奉じて武将三十二名、兵部二十五名。その配下に軍馬、工作、輸送食料隊の軍客たち。
 大和を目指して下関を廻り、太平洋へ出て東へ進路を取り、やがて大和・河内の大和川を上って、大和を治める大尊長・長髄彦と交渉に入るために河内の嵯ヶ峰一帯に布陣したのです。
 饒速日はこのとき三十歳前後、長髄彦はそれより少し年下だったようです。
 大和の人たちが初めて見た武器の凄さや鎧兜(よろいかぶと)の見事さ。何しろ出雲は鉄の先進国でした。強大な軍、そしてその規律の良さに、大尊長は唸ったことでしょう。かくして臣従を誓い、

「わが妹、三炊屋(みかしきや)を饒速日大王の皇后にしてください」

と申し出ました。
 父君・素佐之男が予想しておられた通りの状況が、三輪の地において実現したことになります。
 饒速日は住居を構え、その後ろの山を、父君が住む出雲の須賀の懐かしい山の名と同じく〝三室山〟。と名づけました。現在は三輪山と呼ばれています。遠く出雲の父君、母君を偲んで立派な政治に精進しなければと誓われたのでしょう。

本日分は特に、何度か読み返さないと分からないぞー、という感じでございます。
お読み返し、どうぞよろしくお願いいたします!
お話は次回に続きます。

また来週、金曜日に更新いたします。