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2020年02月25日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る⑤』

 山からみると東南の麓に海石榴市(つばいち)がありますが、尊がすすめた大和国中の産物の大交換市場の跡です。そして、若い人々の見合いの場所でもありました。


 夜を徹して松明(たいまつ)を赤々とつけて、人々の明るい声がにぎわっていたと言われます。これも父君の経済政策を踏襲されたわけですね。素佐之男は、経済も貿易も兵馬のこともすべて分かっておられた神君ですから、饒速日にとっては最高のお手本だったのです。(脱線しますが、若い読者にお願いすることは、自分の目標とする人をみつけて、「そうだ、この人からこれを学ぼう」と決めるのは貴方です。手本というものは自分が汗をかいて探すものでございます。お節介、お許しを・・・・・・)
 饒速日尊は大和地方のみでなく四国にも近畿地方にも、強大な経済の活性化を進められました。

手本の人物を探す、ということが書かれていますが、三波春夫は取材などに答えて、

「私は誰の弟子にもならなかったので、師匠を持たなかったのです。ですから、このお方に教えて頂きたいことがある、と思ったときには、正面から『教えてください』とお願いしました。皆さん、親切によく教えてくださいました。だから、若い人達に言いたいのは、私達先輩の胸に飛び込んで来たらいいですよ、と…」と、話していました。

飛び込むにも人物を見定めて、ということは本文にあるとおりです。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。