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2019年11月22日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『太子の悲田院と施薬院』

 奈良市鳴川町、通称”ならまち“に音声館がありますが、この近くに太子が建てられた悲田院(今の特養老人ホーム)と施薬院の跡があります。弱者、貧しい人々の救済のために、真剣に取り組んだことがしのばれます。
 現在、奈良市がこの古跡を管理しているのですが、ここから掘り出された小さな墓に手を合わせながら、この人たちはどんな想いで、どんな境遇で命を終わったのだろうか、と考えました。太子の救いの御手にすがることができたことは、倖せだったと言えるかもしれません。


草むらに小さき墓は肩寄せて

 そして、百二十年後に聖武天皇の光明皇后が太子の御方針を継いで、あらためて、悲田院・施薬院を作られ、ハンセン病患者にも、分けへだてのない施薬の治療をされました。
 太子の精神は日本社会に脈々と受け継がれているはずですが、基を築いた聖徳太子は、やはり有史以来の大政治家であると思うのです。
 老人福祉を食い物にして何億円もちょろまかした人は、一度この古跡のここへ立ってみませんか。いやいや、また余計なことを書きました・・・・・・。

1400年ほど前に、聖徳太子が特養老人ホームや施薬センターを作られた、ということ。機会が無いと知り得ないことですね。
文庫本には、その“小さなお墓”を前に手を合わせる三波春夫の写真が載っています。
この日の旅の服装は、永さんから薦められた“セーター姿”でした。
スーツにネクタイという服装が常であった三波には、珍しい写真となりました。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。