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2019年08月30日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』⑥

  参道に息を呑むなり法隆寺
  見上ぐれば天空に在る五重塔


 目の当たりにすると、やはり凄いですね。
 推古十五年(六〇七年)の創建ですから、千三百九十年も昔に、巨大なこの法隆寺が完成したとき、人々はどんな想いだったでしょうか。遠く、五里四方から拝めたことでしょう。
 太子の父君、用明天皇が薬師如来をここにお祀りして、「我も人も共に病から守って載こう」と発願されたのですが、俄(にわか)に崩御されました。
 御兄妹であられた推古天皇と太子に、「我が遺志をついでくれよ」と言い残されたのが元で、四天王寺に次ぐ大伽藍(だいがらん)を建てたのだそうです。
 小学館の資料の中に『薬師如来像之光背銘』がありますが、用明天皇を「池辺の大宮」、推古帝は「大王」「天皇」として、太子を「東宮聖王」と刻んでいます。聖王このとき三十五歳。人々の尊敬の高さが現れている銘文です。
 番組収録は、法隆寺の高田管長さんが特別に計らってくださった地点から撮影を開始したのですが、あれも国宝、これも国宝で、ちょっと困りました。一行全員、「あ、ここはテレビカメラはOK」「あ、そこはダメ」と神経を使っているうちに、境内を歩いていたチーフディレクターが「すいません!携帯電話はかけていいでしょうか」とたずねたのには大笑いしましたが、たいへん気をつけて撮影を致しました。

冒頭の2首は、三波春夫の作です。
三波は若いときから俳句、和歌を詠む人で、折々に詠んだものを、劇場公演のパンフレットやファンクラブの会報には必ず掲載しておりました。
俳号は「北桃子(ほくとうし)」でしたが、ペンネームの北村桃児(きたむらとうじ)からのものでした。
では、北村桃児という名前の意味は、というと、「“北の村で生まれた桃太郎のように元気な子”ということ」と言っておりました。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。