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2019年04月12日

隠された古代日本史 米の支配権―五公五民の成立③

 一万四千年前、中国の長江文明・黄河文明の時代、水田の広さは一区画が三坪くらいだったそうですが、日本に渡って来た頃は米の文化も進んでいて、一区画が大分広くなっていたのではないでしょうか。


そこで作られた米は、縄文の人々の生活を劇的に変えたことでしょう。なにしろ、今まで食料の確保に四苦八苦していたのが、自分たちで大量に作れるようになったのですから。しかし、生活が豊かになった半面、それは種籾を持っていなかった縄文の人々が、種籾を持つ倭族に支配されることを意味していました。

社会の成り立ちの様子ですね。
「水田」で思い出す三波春夫のエピソードがあります。
1993(平成5)年のお米の不作はご記憶の方も多いと存じますが、その年の夏の終わりごろの出来事です。
地方公演先の移動のクルマの窓から田んぼを眺めていた三波が、「あれー、これは大変だ」と呟いたのです。「何がですか?」と訊くと、「稲の状態が悪すぎる。これはまずいよ」と。
米どころ新潟の生まれですし、16歳から日本国中を巡る仕事でしたし、また先述しましたとおり『米と日本人』というタイトルの講演もしていただけあって、敏感に見て取った田んぼの危機でした。
案の定、その秋はたいへんな不作となりましたから、テレビ局のお弁当の白飯もタイ米になってしまって、あらためて日本のお米の美味しさを思い知ることになったのですが、この先も異常気象など何が起こるか分かりませんから、油断できないことですね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。