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2019年03月22日

隠された古代日本史 日本にお米を運んだ人々⑦

 何かに書きつけて記録を残してくれていたら良かったのにと、今にして思えば本当に残念ですが、戦乱を命からがら逃れて来た民族としては証拠を残すと、どこから敵が現れて皆殺しにされるかもしれないという懸念があったと考えるべきでしょう。


 実は中国の晋という国の「晋書」(紀元前七七〇年)に『呉の国の王、夫差の系図の中に秦伯王』とあります。春秋時代に呉の国は滅びますが、私たちが現代でも使っている日常語の呉服は、呉の国の服という意味ですから、日本との関係の深さが計れます。後世に、「秦伯王皇祖説」が生まれました。

呉服の話となりますと…、改めてお伝えしたいのは、三波春夫は男性歌手で初めて着物を着た歌手である、ということです。
昭和32(1957)年のデビュー当時、男性歌手は全員がスーツ姿でした。三波春夫も最初はスーツを着て歌っていたのですが、それまで浪曲家として着物で舞台に立って、着物を着ているからこその所作をして歌い語っていた藝がスーツでは生かすことが出来ませんでした。
これでは個性が無い、と考えて、妻の提案で着物を着て舞台に立ったところ、お客様にたいへん喜ばれ、着物を着続けることを決心したのです。
大きな舞台に一人立って歌を歌い、お客様に楽しんで頂くには、地味な着物では舞台映えがせずパワー不足となります。ですから、金箔や銀拍、ラメや刺繍など、着物の絵柄にもいろいろな工夫をして、三波春夫スタイルが確立していったのでした。
しかし、着物を着るからには姿勢や所作が板についていることが大事ですから、着物を着ようとする歌手はそのあたりの修練が必要不可欠である、と、著書に書き残しております。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。