« 前   TOP  次 »

2019年03月01日

隠された古代日本史 日本にお米を運んだ人々④

 聖徳太子が諡名(おくりな)された「仁をあまねく垂れる主上」という名に値する天皇であったのかと感銘を深くしましたが、同時に米の支配権を朝廷が持っていたことを知りました。


 支配権とは何かと思われましょうが、十代のときは日本国中 寒冷期のために凶作が続いて、皆困ったそうです。そこで十代の主上(垂仁)は、お米の栽培を進めて国民を救おうと、第八皇子(五十日帯彦(いかたらしひこ))を大和から派遣されたのです。その五十日帯彦が、私の一族イガラシの遠祖なのです。いやはや、私事で大層にご説明……お許しください。

三波春夫の本名は「北詰文司」でしたので、「五十嵐さん」ではないです。
しかし、父親が婿に入る前は五十嵐だったので、ルーツは五十嵐なのでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。