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2018年08月03日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる④

 さて、天智天皇が崩御されると、権力争いが過熱しました。


次の天皇は大友皇子が弘文天皇となられたのですが、問題は天智天皇の弟・大海人皇子の動きでした。天智天皇の御生前から皇太子の指名をうけていたのだと主張する大海人皇子は、弘文帝に皇位を任せられるものかと、実力行使に出ました。吉野山の寺で僧侶になられたかと思うと、東国へ走り、有力者を説得しながら策略・軍略を整え、遂に史上第一回目の天下分け目の決戦をされました。世に言う「壬申の乱」です。弘文天皇は哀れ二十五歳で戦死ということになりました。

天武天皇(大海人皇子)
 天智天皇の弟。壬申の乱で弘文天皇を討ち、天武天皇として即位。 即位後は、強い指導力を発揮して、朝廷の改革を推し進めた。 六三一~六八六年(在位六七三~六ハ六年)。

壬申の乱
 六七二年に起きた古代日本史上最大の内戦。天智天皇の崩御後、後継者を巡って天智天皇の子である大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子が対立。挙兵した大海人皇子は、 朝廷に不満を持つ有力氏族や地方豪族の支持を得て、弘文天皇として即位した大友皇子が住む大津宮を攻め落とした。

甥っこを叔父さんが…、なのですね。
この叔父さん・天武天皇については、次回に続きます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。