« 前   TOP  次 »

2018年07月20日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる②

 そのときに、外敵の来襲に備えて四国の屋島に城を築いたり、 対馬には金田城、大和の本拠地には高安城を構築するなど、軍事工作に力を注ぎました。また、日本海側には、現在の新潟県三島郡寺泊町の辺りや新潟市の沼垂に渟足柵(蝦夷進出のための砦)を作らせ、更に村上市の岩船辺りと推定される場所に磐舟柵も築かせたのです。


 対岸が朝鮮半島だからという意味だったと思いますが、大昔から日本の指導者は朝鮮半島を隣国ゆえに、大きな問題として対応していますね。

前回、天智天皇が百済救援で27,000の兵を出したけれども新羅&唐連合軍に敗れた、とありました。
その後に、外壁を作ったのは、現代の私たちも頷ける場所ですね。“地政学”は肝心です。
なお、沼垂はヌッタリ、渟足柵はヌタリノサク、磐舟柵はイワフネサク、と読むそうです。

ではまた来週、金曜日に更新いたします。