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2018年07月13日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる①

 世界を通じて、勝者、すなわち権力の座に就いた者によって 歴史書が作り出されて来ました。


 薨かられてから二十三年後に、天智天皇が中臣(藤原) 鎌足を味方として蘇我入鹿(馬子の孫)を暗殺。実権の座に就き、「大化の改新」という名で律令制度を厳定。冠位も十三階と 改め、更に一二年後には十九階とされたのです。 そして天智天皇は、百済救援のために二万七千名の大軍を出征させました。しかし、新羅と唐の連合軍に敗北して、それ以来、朝鮮半島には日本の領土や権利はなくなりました。

《本に記載されている欄外解説》
蘇我入鹿
 蘇我馬子の孫。六四三年に聖徳太子の一族を襲撃して滅亡させるなど横暴を極めた結果、中大兄皇子、中臣鎌足らに討たれた。?~六四五年。

天智天皇
 朝廷の権力を握っていた蘇我蝦夷・入鹿親子を殺害し、皇太子となった後即位。日本最初の戸籍を作るなど、大和朝廷の中央集権体制の整備につとめた。六二六~六七一年(在位六六ハ~六七一年)。

中臣(藤原) 鎌足
 中大兄王子に協力して蘇我氏を討伐。後に藤原と姓を改め、天智天皇の側近として朝廷内に確固たる地位を築く。鎌足の死後も藤原氏は朝廷との絆を強め、平安時代には摂関政治の中心として大きな権力を振るった。六一四~六六九年。

これから、権力争いの歴史は続きます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。