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2018年06月22日

隠された古代日本史 先代旧事本紀大成経――とは何か⑥

 さて、江戸時代に大成経が偽書だと排撃されたいきさつを書きます。


 それは三代将軍家光の頃のこと。当時、幕府学問所の大学頭であった林羅山が、儒学を信奉するあまりに『本朝神社考』という本を書き、排仏思想を述べたことに対して、仏教者の立場から『扶桑護仏神論』という著作で大反論を展開した人がいました。その人は潮音道海。黄檗宗の傑僧です。彼は、続いて大成経七十二巻を、江戸の室町三丁目にあった戸嶋屋惣兵衛という版元から出版させ、三代将軍家光に人を通じて献上しました。
 家光公はこの本を林羅山に解読するように命じたところが、羅山はそもそも潮音が気に喰わないわけで、
『聖徳太子が薨られた後で刊行された大成経に、太子の編纂とする道理はない。この文字にしても、当時は使っていなかった。五憲法なんてとんでもない条文だ。これは偽書でございます。』という旨を言上。
 その結果、発禁処分となって出版物は焼かれ、戸嶋屋惣兵衛は“処払い”の刑を受け、潮音禅師も追放となってしまいました。

《本に記載されている欄外解説》
林羅山
 朱子学者。徳川家康に重用され、徳川幕府の文教政策をになった。朝鮮朱子学を基礎とした身分秩序を重んじる彼の思想は、徳川幕府の政治思想として定着。一五ハ三~一六五七年。

潮音道海
 黄檗宗祖・隠元門下で江戸時代初期に活躍した傑僧。上州館林で広済寺の住持をしているときに『先代旧事本紀大成経』と出会い、その内容の素晴らしさに驚嘆。世に広めようと江戸で出版を試みるも発禁処分(本文参照)となり、自らも蟄居を命じられてしまう。その後は上州黒滝山不動寺に隠栖。六十ハ歳のとき岐阜の万亀山臨川寺で亡くなった。大成経や聖徳太子に関する著作を多数残している。 一六ニハ~一六九五年。

徳川家光
 徳川幕府三代将軍。鎖国を実施して国内体制の整備を推進。幕藩体制の基礎を固めた。一六〇四~一六五一年。

その「大成経」がどこにいったか、この続きは次回に~。

また来週金曜日に更新いたします!