« 前   TOP  次 »

2018年06月08日

先代旧事本紀大成経――とは何か④

 江戸時代の学者では「貝原益軒」ゃ「熊沢蕃山」の名がありますが、私が最も興味をひかれたのは赤穂浪士仇討ち事件、即ち忠臣蔵の武士道精神に深く寄与したと言われる軍学者で思想家の「山鹿素行」が、五十七歳であった延宝六年十二月二日に、この大成経を一日にして写本したという驚異的な記録があることです。


 一日にして写したのは、おそらく五憲法八十五ケ条だったと想像されるところもありますが、現在、平戸市の山鹿家に写本があるそうですから、折があらば拝見させて戴きたいと思っています。


《本に記載されている欄外解説》
楠木正成
 南北朝時代の武将。もとは河内国の土豪で、鎌倉幕府打倒を掲げ元弘の変で挙兵。赤坂・千早城にたてこもり北条氏を大いに悩ませた。建武の新政が失敗した後も朝廷に仕え、反旗をひるがえした足利尊氏を一度は九州へと敗走させた。再び攻め上ってきた尊氏を兵庫の湊川で迎え撃った際に戦死。一二九四~一三三六年。

貝原益軒
 江戸時代の本草学者で『大和本草』を著した。本草学とは、動植物や鉱物を研究する学問。江戸時代中期には、特産物や鉱物、薬物に体する関心が高まり、この本草学が盛んになった。

熊沢番山
 江戸時代の儒学者。身分秩序を重視する朱子学を批判し、正しい行為は実戦によって証明されるという陽明学の精神を重んじた。一六一九~一六九一年。

山鹿素行
 江戸時代の儒学者で、当時隆盛を極めた朱子学を批判し、孔子や孟子の思想に戻るぺきだと主張した。その思想は赤穂浪士の討ち入りに大きな影響を与えたといわれている。また、軍学者としても知られている。一六ニニ~一六ハ五年。

山鹿素行について、三波春夫は著書「真髄 三波忠臣蔵」に詳しく書いております。三波論では、“山鹿素行は寛文6月年(1666年)に幕府への批判書を出し、赤穂に送られて閉じ込められること9年間。その間、赤穂藩の学問の師となりましたが、それによって赤穂の武士たちの中に育った人としての気概が、のちの赤穂浪士の仇討ちへとつながった”としています。

ではまた、来週金曜日に更新いたします!