« 前   TOP  次 »

2018年02月16日

聖徳太子憲法を読む 水の時道 釈氏憲法 第十五条

水の時道 釈氏憲法 第十五条

『外道は地獄悌土を議り、之を方便の説と謂う。
復、方便の名目を議って無を謀て有りと作し、目と謂う。
又、僧に同じ見の者あり。汝、何ぞ楚撃に疎ぞ、
其れ方便の名目は小より大にゆき、
大より佛にゆくは其の階の標の名なり。
無きことを作りて是れ有るとなさば、これ偽詐にして
即ち人を欺くに非ず哉。或は偽詐を造りて説かば
天仙神鬼、何ぞ之を尊んで聖主世尊の説を崇めむ。 』


《読み方》
げどうは 地獄ぶつどを はかり、これを ほうべんの 説という。
また、ほうべんの めいもくを はかって 無を たばかりて 有りとなし、これをかなめと いう。
また、僧に おなじかんがえの 者あり。
なんじ、なんぞ ぼんがくに うときことぞ。
それ ほうべんの 名目は しょうじょうより だいじょうに ゆき、
だいより ほとけに ゆくは その 階の しるしの 名なり。
無きことを 作りて これ 有ると なさば、これ いつわりにして すなわち 人を あざむくに あらずや。
或いは、いつわりを つくりて 説かば てんせんしんき、なんぞ これを おがんで せいしゅせそんの おしえを あがめむ。

《訳》
外道は、地獄、極楽の説を方便だと称して方便説を論じ、ないものを仮にあるとする名目だという。僧者にも同意見のものがあるが、何と仏学にうといことであろうか。方便とは、小から大へ行く階段を、仏が指す名目なのだ。無を作って有とすれば、これは偽りで人を欺くものではないか。もし偽りの説であるならば、天仙神鬼がどうして聖主世尊の説を尊崇しようぞ。

《三波春夫の解説》
“外道は地獄や極楽を方便とし、方便は無いものをあるとした名目であるという。僧にも同じ考えの者がいるようだが、なんと仏学に疎いことだろうか。無いものを作ってあるとすれば、これは偽りにして人を欺くことである。偽りを作って説いたとしたら、天仙神鬼がどうして聖主世尊の説を崇めるだろうか”
 真理を説いた仏の教えを理解しない僧に対する太子の嘆きが聞こえてくるようです。

 太子の気迫は凄いですね。
 迫力ある講話のような条文は、あと2条です。
 その後は、三波春夫の歴史観の著述がたくさん続きます。

 また来週、金曜日に更新いたします。