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2018年02月09日

聖徳太子憲法を読む 天の公道 釈氏憲法 第十四条

天の公道 釈氏憲法 第十四条

『辰旦の大徳は楚經を釋くに、甚て理解し正體を失い
還って妄に寓言と成す。
佛は聖中の聖なり、何ぞ一言の虚誕を説かむや、
又、神は中の神なり。事に詰まりて造語を成すことなし。
佛説は眞實の眞なり、事の不如を説くこと無し。
頻て理解するときは妄に落む。』


《読み方》
しんたんの だいとくは ぼんきょうを とくに、あやまりて 理解し しょうだいを うしない 
かえって いたずらに かこつけごとと なす。
ほとけは せいちゅうの せいなり、なんぞ ひとことの そらごとを とかむや、
又、神は そのなかの 神なり。
じに つまりて つくりごとを なすことなし。
ぶっせつは 真実の しんなり、じの しからずを 説くこと無し。
すぎて りかいするときは いつわりに おちむ。

《訳》
 震且(印度から中国)の大徳(高僧)が仏経を説くに当たって、程度を越えた解釈をして正体を失い、かえって寓言としたものがある。しかし、仏は聖中の聖である、どうして一言たりとも偽りを説こうか。また神中の神である、事に詰まって造言することがあろうか。仏説は真実中の真実である、事を説けばそのようなことにはならない。程度を超えて理解すると、かえって偽りに落ちるものだ。

《三波春夫の解説》
 “仏説は真実中の真実であり、ならぬことを説くことは無い。程度を超えて理解すると、かえって偽りに落ちるものだ”
 仏説を理解するときは、余計な解釈をせず、ありのままに理解しなくてはならないということです。

 “調子のっちゃって”ではないですが、勝手に誇張したり、脱線したりはいけない、ということですね。

 誇張や脱線から思うエピソードがあります。
 三波春夫は平成7年に、構想10年・執筆6年の2時間半の組曲アルバム『平家物語』を発表しましたが、すべて自分自身で書いた作品でした。源平時代を勉強しているうちに、遠い昔から、琵琶法師が大道芸として語ってきた「平家物語」は、聴衆にウケるためにだんだんと誇張が増えたり、真実とはだいぶ違うことも多いことがとても気になったのだそうで、三波なりに史実を目指して書きたい、歌いたい、と思って作ったものでした。なにかの折に、三波の『平家物語』、お聴き頂けましたら幸いです。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。