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2017年12月15日

聖徳太子憲法を読む 龍の謙道 釈氏憲法 第九条

龍の謙道 釈氏憲法 第九条

『一佛に歸し一法に依れ、悉く地と成すは是れ佛典の一儀なり。
是を一行三昧と名う、
及ち虚妄にあらず又、大道にあらず。
釋學に於いては道となさず、王道に於いて利あらず。
佛は聖中の聖なり、我の卑道なく、
法は公中の公なり、私の小理なし、
僧は君中の君なり、俗の野行なし。
而して己は諸悪を作すこと莫く、衆に善を行い奉りて、
自ら其の意を浄める這の教えこそ大道なり。
大道は當に總別はーなるも行を好く訓うべし。』


《読み方》
いちぶつに きし いちぼうに よれ、ことごとく もとと なすは これ 仏典の いちぎなり。
これを いちぎょうさんまい と いう、
すなわち うそいつわりに あらず また、だいどうに あらず。しゃくがくに 於いては 道となさず、まつりごとに 於いて 利あらず。
仏は せいちゅうの せいなり、われの ひどうなく、
法は こうちゅうの こうなり、わたくしの りくつなし、
僧は くんちゅうの くんなり、俗の いやしきふるまい なし。
しかして おのれは 諸悪を なすことなく、しゅうに よきことを おこない たてまつりて、
みずから その こころを きよめる この 教えこそ ほとけのみち なり。
ほとけのみち は まさに そうべつは 一つなるも ふるまいを よく おしうべし。

《訳》
 一仏に帰し、一法によってことごとく知るのは仏典の第一のことわりである。これを一行三昧と名づける。そこで、虚妄をそしり、大道を難ずるのは仏学の道ではなく、王道の利でもない。仏は聖の中の聖であり、我執による卑道はない、法は公の中の公であり、私的な理屈はない。僧は君子の中の君子であり、世俗の卑しい行いはない。諸悪を作ることなく、人々に多くの善を行って、自らその心を清くするのが、この教えの大道である。その大道は普遍的に教え、一行は別に教えるがよい。

《三波春夫の解説》
 ここで太子は、僧としての基本的な考え方を示しておられます。”諸悪に手を染めることなく、人々に善行を奉り、自らの心を清める教えこそ仏の道である”と。

太子憲法は、神職にも僧にも、人間として高く尊い生き方をするようにと書かれていますよね。
人を指導するお仕事の方々には、ぜひぜひ、この憲法を読み直して頂きタイ!などと思ってしまう今日この頃です。

ではまた、来週金曜日に更新いたします!