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2017年11月24日

聖徳太子憲法を読む 竹の官道 釈氏憲法 第六条

竹の官道 釈氏憲法 第六条

『僧階は元より戒ありて立つ。
未だ姓により才に依ることなし。
比丘は上座に沙彌は下座に是れ古よりの佛法の節なり。
或は朝の寵に憑み、識記に憑んで、高位の座を曲げて應對するは、
これ那ぞ佛徒ならん即ち俗徒なるのみ。』


《読み方》
そうらは はじめより かいありて たつ。
いまだ かばねにより 才に 依ることなし。
びくは じょうざに しゃみは げざに これ いにしえよりの ぶっぽうの さだめなり。
或いは みかどの いつくしみに たのみ、ものしりに たのんで、こういの 座をまけかて おうたいするは、これ なんぞ 仏徒なるのみ。

《訳》
 僧階は、元来戒によって立つのである。姓によってとか、才によって決まるものではない。比丘が上座し、沙弥(しゃみ=出家して修行未熟の初心者)が下座するのは、古の仏道の法則である。しかるに、朝寵(朝廷のいつくしみ)をたのみ、または物知りをよいことにして、高座で対応するような沙弥は仏徒といえない、俗徒にすぎない。

《三波春夫の解説》
 条文の中に出て来る比丘は位の高い僧、沙弥は駆け出しの位の低い僧のことです。つまり、”僧の階位は戒によって立つもので、比丘が上座に沙弥が下座にあるのは仏法の定めである。帝の寵愛や博識なのをいいことに、沙弥が上座で応対するようでは、仏徒とはいえない。俗人である”ということです。

自分を「出来る子!」なんて思って、分不相応なことをしてはイカンのですね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。