« 前   TOP  次 »

2017年11月03日

聖徳太子憲法を読む 鏡の智道 釈氏憲法第五条

鏡の智道 釈氏憲法第五条

『講者は當に四部を講すべし。
僧俗、儀學の紛れ無く、三諦を講にし在を出に兼ねて
住まること無からしめよ。十界を講って三悪を厭い、
三善を慕い、二賢を好み、二聖を求めしむるに、四恩を講にす。
父母を宗み、王者を敬い、人倫に勤み、三寶に歸せしめ。
五善を講って善品を盡し、科悪を絶しめ、
五心を講って性の理を曉らし、國に住まることを教え成せ。
是れ聖者の化を布す方なり。
或は己執を講え為して、諸佛の化き教えに通わしめず、
恐らくは佛道をして、小径と作すは檀越をして罪人と作らしむ。』


《読み方》
こうしゃは まさに しぶを ときあかすべし。
そうぞく、ぎがくの まぎれなく、さんたいをあきらかにし ざいけを しゅっけに兼ねて とどまること なからしめよ。じっかいを ならって さんあくをいとい、さんぜんを 慕い、にけんを好み、にせいを もとめしむるに、しおんを あきらかにす。
ちちははをとうとみ、みかどをうやまい、ひとのみちにはげみ、さんぽうに きせしめ。
ごぜんを ならって ぜんぽんをつくし、もろあくを たたしめ、ごしんを ならって もちまえの 理をさとらし、国にとどまることを 教えなせ。
これ ぼさつの おしえを ほどこす みちなり。
或いは こしゅうを おしえなして、しょぶつの みちびき 教えに かよわしめず、恐らくは 仏道をして、こみちと なすは だんのつをして
つみびとと ならしむ。

《訳》
 講をなすものは四部(僧、尼、信男、信女)を講じ、僧俗をして戒律の義と、定慧の学とのもめごとをなくし、三諦(空、仮、中)を講じ、在家、出家、兼住との間を坊裡させないようにし、十界を講じ、三悪(地獄、餓鬼、畜生)をいとい、三善(修羅、人問、天上)を慕い、二賢(声聞、縁覚)を好み、二聖(菩薩、仏)を求め、四恩を講じ、父母を尊び、王者を敬い、人倫をつとめて三宝に帰依させ、 五善を講じ、善を尽くして悪を絶たしめ、五心を講じ、性理をさとらせて円成性得の境界に住まわすのである。これは聖者が教化を行う方法である。己が執着する道理にまかせて説くならば、これは仏に通ずる大道の教えではない。恐らくは、仏道をして厄介な小径とし、檀越(だんおち)をして不義の罪人とするだろう。

《訳》を音読すると、そのままお経になりそうですね…。
三波春夫の解説は、次回に掲載します。

ではまた来週金曜日に!