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2017年10月06日

釈氏憲法十七条/聖徳太子憲法を読む 琴の和道 釈氏憲法第一条

釈氏憲法十七条

 次は釈氏憲法ですが、太子は仏教者を釈迦の道を実践する人たちなので、釈氏と呼びました。
 太子ご自身も仏教の勉強をされていただけあって、この釈氏憲法には仏教者はどうあるべきかということが、実に細やかに書かれています。

琴の和道 釈氏憲法第一条

道を求め倫と辭れ和合衆と成り、闘い無き場に住まるべし是、僧の道なり。
無欲なるが故に、自ら和合し、無我なるが故に、自ら闘なし。是を以て三寶に能く入え、國の施を受くるなり。
然るに欲怒を生み己の我を發し、和徳を失い闘諍をなす者は、倫を廢す盗なり。人の中に置いて人に食を與えざれ。
佛道を廢る賊として中に置いて佛の食を施さざれ。


《読み方》
道を求め ともと 別れ わごうしゅうと なり、あらそい無き場に とどまるべし 
これ、僧の道なり。
無欲なるがゆえに、自ら わごうし、無我なるがゆえに、自ら たたかうことなし。
これをもって ぶっぽうそうに よくつかえ、国の ほどこしを 受くるなり。
しかるに 欲と怒りを生み おのれの 我をおこし、わとくを 失い あらそいを なす者は、
みちを はいす ぬすびとなり。
人の中に置いて そのそうに しょくを あたえざれ。
ぶっぽうを すつる賊として そのなかに置いて 仏の しょくを ほどこさざれ。

《訳》
 道を求め、人常を離れて和合衆となり、無闘場に住するのは 僧の道である。無欲なので自ら和合し、無我なので自ら争うことがない。これをもって三宝 (仏、法、僧)となって、国の施しを受けるのである。しかるに、欲心や忿怒を生じ、自我を発して和徳を失い、闘争をするものは廃倫の盗人であるから、人間社会において人の食を与えてはならぬ。廃道の盗人であるから、仏家において仏施の食を与えてはならない。

《三波春夫の解説》
"争いの無い場所に留まるのが僧の道である。僧は無欲であるがゆえに和合し、無我なるがゆえに自ら戦うことはない。和の徳を失って争い事をする者は、僧の道を外れた盗人である"
 俗世の争いに加わったり、僧同士が争ったりしてはならないということですね。

本来はこのような厳しさ、なのです、ね。
また来週、金曜日に更新いたします。

10日(火)20時~は、BS11「あのスターにもう一度逢いたい」三波春夫編の3回目”日本を元気づけた三波春夫”を是非ごらんください!!