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2017年09月15日

聖徳太子憲法を読む 鼎の法道 神職憲法 第十七条 ①

鼎の法道 神職憲法 第十七条 ①

『仏典は西説の神道、儒文は番説の神道なり。
これ、大神の託宣にして、神代の上事を知るべきなり。
共に物を悉し、斷わりを精しくして、
神史の玄幽を述ぶるに兼ねて學ばざればあるべからず。 』


《読み方》
仏典は インドの神道、じゅてんは チュウゴクの神道なり。
これ、おおみかみの たくせんにして、かみよの ことどもを 知るべきなり。
ともに 物を つまびらかにし、ことわりを くわしくして、しんしの げんゆうを のぶるに
兼ねて 学ばざれば あるべからず。

《訳》
 仏典は印度の神道、儒文は中 国の神道だ。これらは太神の託宣であり、神代のことを知ることができる。共に物を安んじ、 道理をくわしくして、神文の幽玄を述べるものである。従って兼学しなければならない。

《三波春夫の解説》
 第十七条で、世界の学問を学べと書かれた太子は、公式に、漢字を日本の文字と決めました。細かく言えば、隋と呉の文字も含んでいました。
 そもそも文字の発祥は、四千年以上昔の、シュメール・エジプト・インダスの古代文明からと言われますが、中国の文字の始まりは紀元前十五世紀、殷王朝の頃だったそうです。甲骨文字が基礎になっているのですが、筆で書くことによって完成しました。
 日本にも、独自の文字として神代文字がありました。 『秀真文字』、「アヒルクサ文字」「イズモ文字」「トヨクニ文字」とも言われるものです。
 この神代文字は、まるでみみずが這ったような形でした。洗練された漢字の美麗さとは比べものになりません。この文字が 漢字の基礎となったとか、言うならば神代文字は漢字の草書体であったという説もありますが、私はそうではないと思います。 この文字は、太子の時代までは使われていたようです。

「秀真文字」は「ホツマモジ」と読むそうです。
歴史のエピソードは、次回も続きます。

また来週、金曜日に更新いたします。