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2017年09月01日

聖徳太子憲法を読む 籠の品道 神職憲法 第十六条①

籠の品道 神職憲法 第十六条

『神明は數ば釋法を、社祠に於いて修せんことを請うなり。
其れ災を除き威を増すに於いては、宜しく神の請うに随うべきか。釋氏の自意を以て、神祇いをして成佛たらしめんと、 故に浄土に送る等の法を修うに於いては、永く制え停め僧をして修すること得しむる莫れ。』


《読み方》
しんめいは しばしば しゃくほうを、やしろに おいて しゅうせんことを こうなり。
それ わざわいを のぞき いきおいを 増すにおいては、よろしく 神の請うに したがうべきか。
そうりょの おもわくを もって、神はらいを して じょうぶつ たらしめんと、ことさらに 浄土を
送るなどの法を おこなうに おいては、永く おさえとどめ 僧をして かみまつり することを えせ しむるなかれ。

《訳》
 神明はしばしば仏教の法を社詞に修することを請われたが、災いを除き、威を増すためには、よろしく神の請うところに従うべきである。しかし、仏家が、自発的意志をもって、神祇を成仏せしめ浄土へ送るなどという修法は、永久に制止して、僧をして修せしめてはならぬ。

《三波春夫の解説》
 よほど仏僧たちの活躍が大きくなって来たのでしょうか。その兆しが見えたのでしょうか。"神社において仏僧徒が修法を行うことがあるだろうが、神社において死者を浄土に送り成仏させるなどという修法は絶対するな"とあります。
 仏教を知って、人間の哲学に目覚めた人々にとって、それはかけがえのない世界最高の教典となりました。やがて神仏一如の理屈をどのように立てたらよいかと知恵を絞った人たちが唱え出したのは、有名な『本地垂迹」説です。

「本地垂迹」は、ホンジスイジャクと読みます。
これについての三波春夫の解説は、このあと、まだ続きます。

また来週金曜日に更新いたします!