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2017年02月10日

聖徳太子憲法を読む 水の時道 儒士憲法 第十五条①

水の時道 儒士憲法 第十五条①

『後儒は神を陰陽の霊と謂う。
故に常の弱に鎮座することなしと云い、又、
魂は氣血の精なりと謂う。故に議りて死魂は散滅すと思う。
是れ人間の理量にして、神悌仙の見知に非ず。
鎮座を無みする則は、三輪 五瀬の立つ所を知らず。
魂、散滅する則は芳野、蒐挟、ここに何ぞ立たむ。
然るときは神に誓い、祇に服うも並び立たず。
政は其の堅きを失わむ。 』


《読み方》
こうじゅは 神を 陰陽の 霊と いう。
ゆえに 常の みに 鎮座することなし といい、又、
魂は きけつの 精なりと いう。
ゆえに はかりて しびとのたましい は さんめつす と 思う。
これ 人間の すいりょうにして、神仏じゅの こころに あらず。
鎮座を なみする ときは、三輪 いせの 立つ所を 知らず。
たましい、さんめつする ときは、よしの、うさ、ここに なんぞ 立たむ。
しかるときは あまつかみに 誓い、
くにつかみに したがうも 並び立たず。
まつりごとは その かたきを 失わむ。

《訳》
 後儒は、神は陰陽の変市一皿であ るといつから、理の射、気の弱 があって、常に鎮座することを なみし、また魂は陰陽の精にす ぎないから、死魂は散滅すると 思うが、これは人間の料簡であ って、神仏の智ではない。 鎮座をなみせば、三輪(大物主 尊を記る)五瀬(いせn伊勢皇 大神宮)立つところを知らず、 死魂散滅すれば、菟狭(うさ打 ハ幡大神を記る)、芳野(金峰山 蔵王権現)はどうして立つであ ろう。そうなれば、天神に警い、 地祇に信服することが並び立た なく、まつりことの堅固を朱っ ものである。

《三波春夫の解説》
 ここを読むと、さながら神職憲法かとも思われますが、これ
は儒学士たちに対する教訓ですね。大事なことを見落とすなと。
 後儒とは、孔子・孟子・老子より後代の儒学者たちの理論を
指しています。
 五行目に、“三輪・五瀬の立つ所を知らず”と書いてあります
が、三輪とは奈良県三輪山の大神神社(大物主命を祀る)を指
します。


このように、神様、御霊の在り方などが太子憲法に明記されているのですね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。