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2017年01月27日

聖徳太子憲法を読む 地の徳道 儒士憲法 第十三条

地の徳道 儒士憲法 第十三条

『古儒は知りたるなり。
天に帝神ありて變あり、地に后衹ありて化あり、
人に霊魂ありて奇あり、物に精霊ありて怪あり。
皆天有なり、聖人は天有を立て人常を治む、
故に泰平を致して宗源に差わず。
頃の儒は神佛の通妙を損て虚す。
又、有に如って有りと為す則は、法も立ち人も伏がわむ、
有を劫めて無しと為す則は、法も揆れ人も逸ならむ。
故に皇制を弱め神力を抜く、
是れ政を知らず、只己を立てるなり。』


《読み方》
こじゅは さとりたる なり。
天に てんのかみ ありて へんあり、地に ちのかみありて けあり。
人に 霊魂ありて きあり、物に 精霊ありて 怪あり。
皆 ありのまま なり、ひじりびとは てんうを 立て ひとびとを 治む、
ゆえに 泰平を致して しゅうげんに たがわず。
このごろの 儒は 神仏の ふしぎを すてて むなしく す。
又、ゆうに したがって 有りと なすときは、法も立ち 人も したがわむ、
ゆうを かすめて 無しと なすときは、法も すたれ 人も きまま ならむ。
ゆえに まつりごとを 弱め かみのちからを 抜く、
これ まつりごとを 知らず、ただおのれ を 立てる なり。

《訳》
 古の儒道も、天に帝神があって神変あり、地に后衹(地の神)があって妙化あり、人に魂魄があって奇異のあることを弁別する。これはみな天有のものである。だから聖人は天有を立てて人常を治めたので、泰平で宗源の道に違わなかった。しかるに近頃の儒者は、神仏の神通霊妙なことを無視してしまう。古聖のように、天有のものがあるとすれば、すなわち法が立って人も帰依するが、天有を奪ってないことにすれば、法はすたれ、人は放逸となる。かくては、皇制を弱め、神力を抜くもので、これは政治を知らないで、ただ己の知るところだけを立てようとするものである。

《三波春夫の解説》
 ”このごろの儒士は神仏を棄てて空虚なものとしているが、あるものを無しとするときは、法が廃れ人も従わなくなる”
 ここでも太子は儒士がいたずらに神仏を棄てようとすることを警告されています。

三波春夫の神仏への心構えは、「敬って恃まず」。
敬うけれどもアテにしない、自分の人生は自分の責任、というものでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。