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2017年01月13日

聖徳太子憲法を読む 日の主道 儒士憲法第十一条

日の主道 儒士憲法第十一条

『孔子は怪力亂神を語らず。
其の欲む所は、常道の治倫にある故に語らず。
是れ異儒なるのみ。
吾國は彼の方と同じからず、怪は神の功用なり。
説かざるときは神徳を無みせむ、神は吾國の徳盤なり。
説かざるときは齋元を無みせん。強いて此の句に依る者は
吾國の罪人なり。』


《読み方》
孔子は かいりきらじんを語らず。
その のぞむ所は、つねみちの おさめるみち にあるゆえに 語らず。
これ いじゅ なるのみ。
わが国はかのくにと 同じからず、かいは わがかみの みいきおい なり。
とかざるときは しんとくを なみせむ、神は わが国の とくたい なり。
とかざるときは さいげんを なみせん。
しいて このことばに よる者は わが国の 罪人なり。

《訳》
孔子は怪力乱神を語らすといったが、孔子の教えは、常道治倫を宗とするためで、これは異国の儒道のこと、わが国は同様ではない。怪しいことは神の功用で、これを説かなければ神徳をなみする。神はわが国の徳体であるから、これを説かなければ、斎元をなみする。従って、強いて孔子の句によるものは、わが国の罪人である。

《三波春夫の解説》
”孔子は怪力乱神を語らずと言うが、わが神国日本においてはこの学問は不要である。日本の神は日本を創った神。その御魂は永遠の偉大な先駆者だ。神の心を学び信じて正々堂々と精進せよ。異国と日本は違うぞ“
この条文を批判することもできましょうが、深く想うとき、日本人として独自の信仰心というものに辿りつきます。

本年第1回目のブログです。
この1年も、よろしくお願い致します。

小学館文庫から1998年に発刊された三波春夫の著書『聖徳太子憲法は生きている』をご紹介していますが、本日は、「通蒙憲法17条」「政家憲法17条」につづく「儒士憲法17条」のうちの第11条です。
本日の条文も、聖徳太子の作られたもので当時のものですが、父の解説にありますように、現代だからこそ、素直に深く読み取りたいものだと思います。

ちょっと非日常で、ムズカシイ条文を、また来週からご紹介して参りますが、お読み頂けますようお願い申し上げます!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。