« 前   TOP  次 »

2016年12月02日

聖徳太子憲法を読む 冠の位道 儒士憲法 第七条

冠の位道 儒士憲法 第七条

『儒を學ぶ者は異國園を貴び、異の先王に歸す。
故に吾國を卑しめ吾が先皇を放す、是れ唯異法を知りて
吾を知らざるに依るなり。
異王、吾に讐せば必ずや彼に黨を計らむ。
故に學を為さば先ず、吾の儒を學びて吾が先皇を知れ。
何ぞ誤りて自らを棄て他に憑らしむるや。』


《読み方》
儒を学ぶ者は 異国をとうとび、あだしくにの せんおうに きす。
ゆえに わが国を いやしめ わがさきつみかどを みはなす、これただ いほうを知りて わがくにを 知らざるによるなり。
異国の王、わがくにに あだせば 必ずや かのくにに くみすることを はからむ。
ゆえに 学をなさば まず、わがくにの儒を学びて わがさきつみかどを 知れ。
なんぞ あやまりて 自らを 棄て 他に よらしむるや。

《訳》
 儒を学ぶものは、異国(今の中国)を貴んで、堯・舜・禹の先王に帰依し、ややもすればわが国を卑しみ、わが先皇を見放す。かくのこときことは、ただ異国のことを知って、わが国を知らないことに起因するのである。もし、異国の王がわが国に敵対するような場合は、必ずや異国に服従して、彼の国に味方するであろう。ゆえに儒を学ぶに当たっては、まずわが国の儒(天の隠山の命、神武天皇など)を学んで、わが先皇を知れ。どうして自国を捨てて、他国によりかかる必要があろうか。

《三波春夫の解説》
 この第七条には戦後の教有界に思い当たる事柄があるように思います。”異国の学問を信奉して、自分の国を卑しめ伝統を見放すとは、本末転倒である”ということ。 そして、今一つ重要なことは、”他国が日本に攻めてきたとき、傀儡政権を建てて国民を売るという輩が出てくるものだ”と言っておられることです。自分の国を知るというのは、なかなか難しいことで、ついついおろそかになりがちです。
 核家族が多く、世代を超えてつながる縦の糸が切れがちの今、父母の話や祖父母の話が、子や孫へとたくさん伝えられていってほしいと願う思いです。

今こそ、胸にズシンと来る内容です。
…聖徳太子がその当時に書かれたものなのに、と、あらためて思います、ね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。