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2016年11月25日

聖徳太子憲法を読む 竹の官道 儒士憲法 第六条

竹の官道 儒士憲法 第六条

『儒の由るところ身を修むるのみ。
上古は、易暦遁甲あって修め、
中古は、本草内經あって修め、
下古は、詩書禮樂あって修む。道徳無為にして三古にわたり、
上は神を煉り眞に致り、中は心を煉り至に致り、
下は理を練り聖に致る。頃の儒は三皇を捨て三子を執る
此の間に偏我ありて、仁者の眉を密る所、
智者の唾を吐く所にして其の練る所を失う。
尚、遠きに下って當に、詩書禮樂を棄て、唯、理を後儒の
佞子に取り、周孔、於りも崇び道の廢れ制えられず。』


《読み方》
儒の よるところ 身を おさむるのみ。
かみつよ は、えきれき とんこうあって おさめ、
なかつよ は、ほんぞうないきょう あって おさめ、
しもつよ は、ししょ れいがく あって おさむ。
道徳 むいにして、さんこに わたり、
かみつよは 神を練り かんつひじりに いたり、
なかつよは 心を練り なかつひじりに いたり、
しもつよは 理を練り しもひじりに いたる。
このごろの 儒は さんこうを 捨て さんしを とる 
このあいだに へんが ありて、
仁じゃの 眉を ひそめるところ、
ちしゃの つばを はくところにして 
その練るところを 失う。
尚、遠きにくだって まさに、
ししょれいがくを 棄て、
ただ、理をこうじゅの ねいしに 取り、
しゅうこう、よりも とうとび 道の すたれ 
おさえられず。

《訳》
 儒がよるところは、身を修めることにあるのみだ。上古の時代には易暦遁甲の学を修め、中古の時代には本草内経の学を修め、下古の時代には詩書礼楽を修めたから、聖人の徳は行き渡り、何事もなさないのに、自然に治まったのである。しかるに、このごろは三皇を捨てて、三子を執る。この間に偏執我執があって、仁者は眉をひそめ、智者は唾を吐くところである。

 なお千歳の遠き未世となっては、詩害礼楽をも捨てて、理を後儒優子に取り、周公、孔子よりも崇敬した。かくては聖人の道のすたれるのを止めようがない。

《三波春夫の解説》
”儒のよりどころは身を修めるところにある。上古の時代には易暦遁甲の学を修め、中古の時代には本草内経の学を修め、下古の時代には詩書礼楽を修めたから、何事もなさないのに自然 に治まったのである。この頃の儒は、詩書礼楽を棄て、後儒ばかりを崇めているが、それでは儒の道が廃れてしまうぞ” と警告しておられます。

何事も、ハショってはいけないのですね。
学ぶ順序を端折ってしまっては、身に付いた気になっていても、偽物なんでしょうね…。

ではまた、来週金曜日に更新いたしますが、思えば来週は師走になりますね。

気忙しい季節、どうそご自愛くださいませ!!