« 前   TOP  次 »

2016年10月21日

聖徳太子憲法を読む 琴の和道 儒士憲法 第一条③

琴の和道 儒士憲法 第一条③

 次の”君臣に義あり”は、現代社会の会社組織に当てはめてみますと、松下幸之助氏の話の中に、


 「社員たるものは、自分のサラリーの三倍を会社のために働かなくては一人前じゃない。社員が自分を優先させて、会社の持つ使命とは何かを考えることも忘れているようでは、社員の資格はない」

 とあります。
 義は理と同義語です。 義理と人情のしがらみに、泣いて股旅三度笠、なんてなことを歌ったりしますが、どんな立場であっても、人間社会に生きる者として立派な行いをしなければならないということでしょう。
 ”夫婦に別あり”は男女の愛情が織りなす人間のドラマですが、共に年老いて助け合い、かばい合う時期に入って、”ああ、あのとき、別れなくて良かった、あのときの激しい感情を乗り越えたから良かった”と思う夫婦もあるでしょう。
 他人同士が夫婦になったのだから、肉親よりも誰よりも愛し尽くさなければいけない。別ありと説いたのは、また味わってみる必要がありますね。
 ”長幼の序"とは、長は幼をいつくしみ導き、幼は長を立てて教わり、共に精進しよう。
 ”朋友に信あり"は、友人、相手に尽くして打算のない行為のことで、これこそ友人関係の理想です。その友人に甘えて金を貸してくれと申し込んで断られ、あまつさえ”お前を見損なった"なんて悪態をつく奴は友人ではないわけです。
 おやおや、随分長い解説になりましたが、儒士とは学間の先生方を言いますから、その意味を考えて条文を読んでください。


“人間社会に生きる者として、立派な行いをしなければならない”…。
シ、シビレますねぇっ。笑。
たしかに、正々堂々、明快な気持ちで日々を過ごしたいものですし、
それが、リッパに、通じることだと思います。

夫婦の話がありましたが、エピソードをひとつ。
ある時、父が、ご結婚カップルへの祝電を打った中に、このような言葉がありました。

『愛の深さとは、時間の長さです』

“だから、長い人生を二人でね。山や谷は二人で一緒に越えるんだぞ、と努力していってね”という思いをこめたのでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。