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2016年09月23日

聖徳太子憲法を読む 儒士憲法十七条③

儒士憲法十七条③

 さて、時代はずっと後のことになりますが、十五代応神天皇は、百済から帰化した王仁博士を、次男で末子の皇太子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の学問の師とされました。しかし、そのために大変な事件が起きてしまいました。


 王仁博士が持って来た論語には、先哲の優れた学問がいっぱい詰まっているわけですが、その中には従来の日本の風習と違う部分もあったのです。博士が論語の講義を進めるうちに、孔子が説く『長幼の序は守らなければならぬ』という項目が出てきました。これが大きな問題の種となりました。この教えに従うならば長子が相続をすることになってしまいます。

 それが現実のものとなったのが、応神天皇が崩御されたときのことです。当然、次の天皇には皇太子が即位するものと誰しもが思っていました。ところが、当の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が『長幼の序こそ人倫の道ですから、兄君を飛び越えて十六代(天皇)になるわけにはまいりません。兄君が即位なさるのが当然です』
と主張されたのですからさあ大変です。

 一方、
 『そんな馬鹿なことがあるものか。我々日本人は、もろこし人や韓国人とは違うのだ。 古代から末子相続で父・応神帝も末子であったではないか。父がそなたを皇太子に指名されたのを忘れたか。王仁博士が何を教えたか知らないが、皇室の伝統に背くことはできない。天子の位とはそんなに軽いものではあるまい』と、こちらも頑として即位を拒否されました。

  皇太子は孔子の儒学の信奉者となっていたので兄君に譲らず、三年間も皇位は空席となり、ある日、遂に悲劇が訪れたのです。弟の皇太子は、この世に自分がいなくなれば兄君が即位を遊ばすだろうと、宇治川に身を投げて自らの命を絶ってしまったのです。

 このあとの展開は、来週金曜日の更新までお待ちください!

 では、よろしくお願い致します!