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2016年06月24日

聖徳太子憲法を読む 日の主道 政家憲法 第十一条

日の主道 政家憲法 第十一条

『叛乱の本は國の乏しさと、民の貧しさあり。
國を乏しくし、民を貧しうするはこれ財を官庫に秘し
米を官蔵に蝕しむるにあり。
夫れ、蓄欲の國に住まんよりは寧ろ驕誇の國に住まわむ。
蓄欲の世には貸上って都宮に隠れ、驕誇の世には貨下って
郷扉に流る。
富める民は、己の躬、子孫の樂さを惜む。
故に、愼みて制命を畏れるも、貧しき民は恨みて
我れ尚、惜しむに足らずとなす。なんぞ制命を畏れむや。』


《読み方》
反乱のもとは 国のとぼしさと、おおみたからの 貧しさあり。
国を とぼしくし、おおみたからを まずしうするは これ財を かんこにかくし 米をかんぞうに むしぼましむるにあり。
それ、ちくよくの 国に住まんよりは むしろ きょうこの国に 住まわむ。
ちくよくの 世には 財貨 のぼって みやこに 隠れ、きょうこの 世には 財貨 下って むらさとに ながる。
富める 民は、己れの身、おのが子孫の ゆたかさを 惜しむ。
ゆえに、つつしみて おきてを おそれるも、貧しき民は おのれを 恨みて 我れなお、惜しむに足らずとなす。
なんぞ おきてを おそれむや。


《訳》
叛乱の原因は、国の財政が乏しく、人民の貧しいためである。国庫が乏しく、民が貧しいのは、財宝を役所の倉庫に集め、米穀を役所の倉に積み重ね、無私に食わせるからだ。財宝、米殻を蓄えるだけで、与えない欲の深い国に済むよりも、驕り誇る国であっても、むしろその方へ住むだろう。蓄欲の世代には、財貨は都会に集まりがくれるが、驕り多き世代には、財貨は地方へ流れるものだ。富裕な人は安楽ができるから、己自身や子孫のためにおきてを恐れて従うけれども、貧民は己自身を恨んで、その一身を惜しまないから、上の法度なぞ恐れることはない。


《三波春夫の解説》
 太子は、十条と十一条で再び警告しておられます。
“国が貧しくて人民が苦しいとなれば叛乱が起きる。よくよく
考えて、苛酷な税や人民に対しての夫役を命令してはいけない。
官の蔵に金がたくさんあっても喜ぶな。政治家はここを間違えるな。
官の金は人民が納めたものだ、人民のためにどしどし使え。そ
うすれば皆が喜ぶ”
 この段りは、ケインズ経済学でいう公共事業推進の効果とい
うものを思い浮かべますが、太子の言われたことは公共事業だ
けでなく、政家たちは誇りに生きてくれと念を押しています。
 これが問題ですね。
 現在の公共事業費や補助金は、年々留まるところを知らず増
え続けていますが、既得権という名の構造的な官僚汚職の怪し
い金の流れは、太子の憲法に照らし合わせてみるとどんなもの
でしょうか。

『人の誇りに生きよ。特に上に立つ政治家は……』

 そんな太子のお言葉が聞こえてきます。

「人の誇りに生きよ。特に上に立つ政治家は……」ですと!
本当に、声を大にして”頼みますよ!”と言いたい私達、ですよね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。