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2016年06月17日

聖徳太子憲法を読む 花の事道 政家憲法 第十条

花の事道 政家憲法 第十条

『米粟を多くする本は、之れ五事の非無きにあり。
これ、君に畜臣無く、民に遊族無く、
國に荒圃無く、政に苛性無く、祭に悋修無きことをいうなり。
畜臣を要るときは廻寶を促り。
遊族を置くときは殻功を費す。
荒圃を捨るときは田畠を徴す。
苛制を下すときは逋れて耕す。
悋修を行うときは風雨に変む。
焉んぞ米粟多からんや。』


《読み方》
よねあわを 多くするもとは、これ ごじのひ 無きにあり。
これ、みかどに ちくしん無く、民に ゆうぞく無く、国に あれはた 無く、祭りに ものおしみ無きことをいうなり。
はらぐろのおみ を もらうるときは おのがくらに わいろを せまり、すねかじりを やしないおくときは あそびのために ただめしを ついやす。
あれはたを みすてるときは むしくさふえて たはたを すくなくす。
からきおきてを くだすときは のうふは よそにのがれて たがやさず。
そまつなまつりごとを 行うときは かみまもらずして 風雨に おかされむ。
いずくんぞ よねあわ おおからんや。

《訳》
米や粟の生産を多くする根本は、五事に間違いがないことだ。五事というのは、主君に蓄臣なく、人民に遊び暮らす者なく、国に荒れ田なく、政治に厳しい法度なく、神を祭るにやぶさかのないことである。腹黒い臣を用いると、国に通用する財宝を自分の倉にばかり集め、遊び暮らす人民があると穀物を徒食し、荒地を放っておけば田畑少なく、厳しい法度を出せば人民は逃げて耕さず、やぶさかな祭りをすれば神は守護してくれないから、風雨の異変が起こる。これでは、米粟の多くなるはずがない。

《三波春夫の解説》
“米粟を多くする基本は、誤りのない政治にある”
米粟は主食であり、当時の税金。それを増やすには政治が大切であるということをおっしゃっています。太子は悪い例として五つをあげておられます。

『腹黒い役人を用いると、国に通用する財宝を、自分の倉にばかり集め…』ですって。
そんな人、多く、思い当たるところ、ありますねぇ。

『荒地を放っておけば 田畑少なく、厳しい法律を出せば、人民は逃げて耕さず…』
放っておかざるを得ない農地、の問題もありますねぇ。

太子憲法の条文は、「そうしないと、人間社会というものは、悪い結果になるよ」の含みがありますが、どの条文を読んでも、その「結果」が、現代のような気がして…。
聖徳太子憲法が発布されて以来、きちんとやって来ていればよかったのに、ですねぇ。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。