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2016年03月18日

政家憲法十七条

 太子が政治家に対して述べられた条文は、さながら現代の政界の動きを見通しておられるように感じます。


 当時の政家と言われる人々はどういう人たちだったのでしょう。勿論、投票で選ばれたわけではありません。古くからその地方や地域において、大勢の人の先頭に立って指導的な立場で活躍した有力者、ということになりますね。
 大和朝廷は、出雲族と日向族の融合一致ででき上がったのですから、初代・饒速日尊大王の血統につながる人々は、磯城の縣主(県知事にあたる)とか地方の首長として勢力を持っていました。
 その最も大きな存在は、大和朝廷の軍事力を支配した大連、物部一族です。
 しかし、仏教をはさんで蘇我と物部の決戦となり、物部守屋が戦死。以後、朝廷内の実力者となったのは蘇我氏です。
 太子が蘇我一族の出身であることは御存じの通りですね。
 この時代に直接政治に携わる「政家」は、天皇を中心として、大臣・大納言・中納言・参議、この人たちを公卿と呼びましたが、更には国司・国造も含まれると考えて間違いないようです。
 総人口がどのくらいであったかは分かりませんが、日本はかなり昔から村組織がしっかりしていました。太子の頃には八十戸が一村で、十ヶ村を一つの国としていたようです。全国では百二十ヶ国という資料も見えます。
 しかし、いつの時代でも、中央政界の実力者たちの政治意識は実に大切です。
 太子の条文は厳しく見えますが、人間の心の美しい部分に問いかけているように感じます。政治とは大勢の人々を倖せにするための仕事なのですから。
 それでは、じっくり読んでみてください。いかに太子が人間の倖せを念頭に書かれたかが読みとれると思います。


出雲族
 出雲地方に王朝を築き、鉄の文化圏を作り上げた一族。詳細は後述、隠された古代日本史の章を参照。

日向族
 九州の日向を拠点とし、米の文化を背景に勢力を伸ばした一族。詳細は後述、隠された古代日本史の章を参照。

饒速日尊大王
 出雲族の出身で大和王朝を築いた人物。詳細は後述、隠された古代日本史の章を参照。

蘇我氏
 大和王朝の有力氏族。皇室との姻戚関係が強く、一族の長は朝廷の財政などを司る大臣の位に就いた。馬子の代に対抗勢力の物部氏を滅ぼし、大きな権力を手に入れた。子の蝦夷、孫の入鹿が討たれたのち衰退。

物部氏・物部守屋
 代々大和王朝に大連として仕えた氏族。特に朝廷の軍事面を支えた。大陸から仏教が伝来した際、日本古来の神を崇める立場から排仏を唱え、崇仏派の蘇我氏と対立。守屋の代に蘇我馬子らによって滅ぼされた。

 「政家憲法」ご紹介に入る前の序文です。
 昔々の国の政治・行政について、と、太子の心。
 注釈も含めて、よく読み返しておこうっと…と思う本日分でした。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。