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2016年01月15日

聖徳太子憲法を読む 龍の謙道 通蒙憲法 第九条

龍の謙道 通蒙憲法 第九条

『忿を絶ち瞋を棄て、人との違うことを怒らざれ。
人には皆心あり、各心に執ることあり、
彼れ是の則は我れ非となし、我れ是の則は彼れ非となす。
我れ必ずしも聖に非ず、彼れ必ずしも愚に非ず。
共に是れ凡夫のみ。是非の理誰か能く定むべき、
相共に賢愚なること環の端めなきが如し。
是を以て彼の人は瞋ると雖も還って我の失を恐れよ。
我れ獨り得たり雖も、衆に從いて同じく擧え。』


《読み方》
こころのいかり を絶ち そとのいかり を棄て、人とのたがうことを いからざれ。
人には皆 心あり、おのおの その心に とらわれることあり、かれ よしの ときは 我れ あしとなし、我れ よしのときは かれ あしとなす。
我れ 必ずしも ひじりにあらず、かれ 必ずしも おろかに あらず。
ともにこれ ただびと のみ。 よしあしの ことわり だれか よく 定むべき、あいともに けんぐなること みみわのはじめ なきがごとし。
これをもって かの人は いかるといえども かえって われのとがを 恐れよ。
我れひとり 得たりといえども、衆に従いて同じくおこなえ。


《訳》
 怒りを捨てて形に現さず、人の過失はとがめるな。人はみな心があり、意見がある。彼と自分とのなすところについて、彼が是とすれば、自分は非となり、自分が是とすれば、彼は非であっても、自分は必ずしも聖人ではなく、彼は必ずしも愚人ではない。共に凡夫に過ぎないのだ。是非の理を誰がよく定められるのか。相共に賢愚であることは、ちょうど環に端がないようである。だから、彼に非道なことがあっても、その非をとがめないで、かえって自分の過失を恐れよ。自分だけが道理にかなったと思っても、それを拘泥しないで、衆人に従って同じく行動するがよい。


《三波春夫の解説》
太子は人間の心の持ち方を明確に示されています。
“人の失敗を責めてはいけない、自分だって失敗することがあるんだ。完璧な人間なんていないのだから、人を許すという大きな心が必要である”
 自己に厳しく他人に優しくしなさいということですね。
 現代では、自己に甘く、人に厳しくするのが当然のようになっていませんか。人間誰でも、自分が可愛いと思うことと、これは別問題ですね。

 「人に優しく、自分に厳しく」、でござります。
 しかし最近は、父が上記のように思った頃よりももっと、他人に対して異常に高圧的な人が多くなりました。
 自分は未熟でーす、という姿を晒していることになりましょうに…。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。