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2015年12月18日

聖徳太子憲法を読む 竹の官道 通蒙憲法 第六条

竹の官道 通蒙憲法 第六条

『人には各任あり。掌るところは、宜しく濫れざるべし。
其れ、賢哲に官を任す則は頌音起こり。姦者官に在る則は
禍い亂れ繁んなり。世に生まれながらに知れる人は少なし。
克く念いて聖と作る。
事の大小にかかわらず、人を得れば必ず治まり、
時の緩急にかかわらず、賢に逢ば自ら寛なり。
此に因って、國家と社禝永久に危きことなし。
故に古の聖王は、官の為に人を求め、人の為に官を求ず。』


《読み方》
 人(つかさたち)には 各(おのおの)任(やくめ)あり。
 つかさどるところは、よろしく みだれざるべし。
 それ、かしこきひとに つかさをまかすは ほむるこえ 起こり。
 姦(やましき)者 官(つかさ)にあるときは 禍(わざわい)みだれ さかんなり。
 世に生まれながらに さとれる人は少なし。
 よくおもいて 聖(ひじり)となる。
 事の大小にかかわらず、人を得(う)れば 必ず治まり、
 時の緩急にかかわらず、かしこきひとに逢(あいまみえ)ば自ら寛(ゆたか)なり。
 これによって、国家とあまつひつぎ とこしえに あやうきことなし。
 ゆえに 古(いにしえ)の聖王(きみたち)は、つかさのために人を求め、人の為につかさを求めず。


《訳》
人には各々にその任務がある。乱れないようにしなければならない。賢く、さとい者が官にあると、その功績を誉め称える声が起こるが、邪な者が官にあると禍いや混乱がさかんに起こるものだ。世の中には、生まれながらにして賢哲の者は少ないが、よく念ずれば聖となるものである。事柄の大小にかかわらず、人を得れば必ず治まる。治まるときは事に緩急なく、ゆったりとして余裕がある。ここにおいて国家、社会は永久に危ないことがない。それゆえに、古の聖王は官職のために人を求め、人のために官職を設けなかった。

《三波春夫の解説》
“邪まな人間が『官』(行政機関)に就いているときは、大きな禍ち、大乱が起こる。それゆえに古代の聖王は官職を精励する人材は求めるが、その人物のための官の機関の新設は無かったのである”。
 この言葉は、官僚国家の現代にこそ余りにも当てはまるもので、天下り役人の天国ともいえるものができ上がっていることを働く人民としては哀しくみるしか方法はないものでしょうか。
 聖徳太子さまに、もう一度この世に現れていただきたい思いです・・・。

 優れた教え、ともいえる条文。本日の分は、父の解説にもありましたが、天下りのところも大いに納得させられます。

 そして、「生まれながらに賢い人など少数。よく学びよくよく考え、己を磨くことを重ねれば、物事を良く知り、良く判断できる人となる」の部分にも注目したいです。

 素晴らしい人が山盛りとなれば、天下りバンザイとは何たることか、という世の中になりましょうに。いまだ、なっていませんね…。

 ではまた来週金曜日に更新いたします。