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2015年12月04日

聖徳太子憲法を読む 臺の政道 通蒙憲法 第四条

臺の政道 通蒙憲法 第四条

『餐を絶ち欲を棄て、訴訟を明らかに辨めよ。
其れ百姓の訟は一日に千事あり、一日にして尚爾り、況んや
歳を累ぬるをや。頃訟を治むる者、利を得を常となし、
賂を見て罪を裁き、これを聴す。便ち、財有の訟は石を
水に投ぐるが如く、乏の訟は水を石に投ぐるに似たり。
是を以て、貧民は則ち由る所を知らず、臣の道も亦ここに
於いて闕けむ。』


《読み方》
 あじわいのむさぼり を絶ち 欲(たからものほしみ)を棄て、訴訟を明らかにさだめよ。
 それ 百姓の訟(訴え)は 一日に千事あり、一日にしてなおしかり 歳(とし)をかさぬるをや。
 このごろ 訟を治むる者、利を得(うる)を常となし、賂(まいない)を見て罪を裁き、これを聴(ゆる)す。
 すなわち、財有(とめるもの)の訟は石を水に投ぐるが如く、乏(まずしきもの)の訟は水を石に投ぐるに似たり。
 これをもって、貧民(まずしきたみ)は すなわち よる所を知らず、臣(つかさたち)の道もまたここにおいて かけむ。


《訳》
餐(食をむさぼる)を絶ち、欲(金銀財宝をむさぼる)を捨てて、訴訟を明らかに識別せよ。人民の訴えは一日に千もある、数年に及べば莫大である。しかるに近来、訴訟を取り扱う者が私利を図ることを常習として、賄賂を見れば、取り調べすべき者も放免し、財産のある者の訴えは直ちに聞き入れ、貧しい者の訴えは聞き入れない。このようでは貧しい者の頼るところがない。臣道の失われるのは当然である。


《三波春夫の解説》
“餐を絶ち欲を捨てて”。この言葉が響いて来ますね。
 第四条では賄賂を取ってはならぬぞ、とぴしゃりと言われているのです。
“『一日千人の訴訟』があるが、これは大変なことだ。正しい裁判をしなければいけない。財産のある者が司直の者に賄賂を贈り、有利な判決を望んだとしても、貧しい者たちの現状をよくよくみて、貧乏人を泣かせるな。
 人民は国の宝、こんなことをやっていては主上の尊厳にも傷をつける。天皇の臣として恥ずかしいと思え。
 このような愚行は国家の破滅を招くものである”
 と書かれております。
 千四百年昔のこの時代に、こんなにも多くの訴訟があることにも驚きますが、行政機関も今と同じように混濁した状況だったと言えましょうか。そんな状況の中でも、日本という国を正しい方向へ導こうと、太子も悲壮なお気持ちで掲げられた条文だったことでしょう。
 だからこそ次の第五条では・・・。

 人間は、野放しではいけないもので、教えなければ、学ばなければ、どうしようもなく愚かなものなのですね。
 今の日本も、教え上手がもっとたくさん居てほしい、学び上手に皆がなったらもっと良い、と思います。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。