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2015年11月06日

聖徳太子憲法を読む 琴の和道 通蒙憲法 第一条

琴の和道 通蒙憲法 第一条

『和を以て貴しと為し、忤うことなきを宗とせよ。
人には皆黨有り。また、達る者は少なし。
是を以て、或は君父にも不順あり。また隣里にも違う。
然れども、上和ぎ下睦み諧て事を論めよ。
則は、事も理も、自ら通わしめ何事か成らざらん。』


《読み方》
“和をもって たっとしとなし、いさかうことなきを むねとせよ。
人には皆ともがら有り。また、さとれる者は少なし。
これをもって、或は きみおみおやこのあいだ にも したがわざること あり。また いえいえむらむらにも なかたがう。
しかれども、つかさたちやわらぎ、おおみたから むつみ うちとけて ものごとを さだめよ。
しかるときは、ことごとも ことわりも 、自ら かよわしめ なにごとか 成らざらん”


《訳》
和を以って貴しとする。いさかわないことを旨とせよ。人にはそれぞれ朋党があり、しかも達者は少ないから、主君や父母に従順でなく、隣里とたがい違いになったりする。そこで、上下が親睦融和して話し合うようにすれば、事柄は自ら通じて、何事も成就するのである。


《三波春夫の解説》
 第一条で太子は、人間性に対して、厳しくも正確な見方をしていますね。
 悟れる者は少なし、自分を磨け。人々が党を作るのは当然のことだが、党の力を非道なことに使ってはいけない。君主にも両親にも従わないということが起きる。家風や村里の風習を大切に、上に立つ者が下の者たちに打ち解けて語り合えば、いかなることもできるはずである、と諭してあります。
 また、「忤う」ということについて、従来"さからう”とふりがなをした文書が多く、私は疑問でした。やはり"いさかう”と読むべきでしょう。公務員が、上級者や同僚にいちいち逆らっていては、目茶苦茶になります。最善の解決策を見出すための討議に入ったときには、人と争ったり、諍うような気持ちではなく、平常心で務めよ、と言われたのだと私は思います。
 この言葉で思い出すのですが、私が子供の頃に父親が、『他所の村へ行ったら、諍いするんじゃないぞ』とよく言っていました。悪童時代は物の限度を知りませんから、とんでもないことになったらいけないと、父は心配していたようです。まして、ふだんからのおつき合いのない場所で、問題が起きては大ごとになります。
 「いさかい」をするなよ。太子の教えは、今日、身につまされる思いがしますね。

 父が、“今日、身につまされる思いがしますね”と書いたのが1998年でしたが、2015年の今日の方が“身につまされる思い”が増しています…。

 次回は「第二条」、また来週金曜日に更新いたします。