« 前   TOP  次 »

2015年11月20日

聖徳太子憲法を読む 斗の順道 通蒙憲法 第二条2

 では、太子憲法の改竄はいつごろされたかと考えますと、仏教者、僧侶に真に勢いがついた、これより約百二十年後の第四十五代・聖武天皇の奈良大仏建立の頃・・・・・・。このあたりではないかと思われます。


 渡部昇一氏は、その当時の大仏殿建立は、木造建築としてその壮大さにおいて世界一であったと言っておられますが、落慶式典にはわざわざインドの名僧(菩提仙那)を呼んで導師とし、音楽家たちも外国の著名な人々を招いたとも伝えられております。まさしく、空前の大典だったようです。
 幾千人の僧侶の大声明の中、大仏開眼のために導師が持つ筆に色美しい紐をつけて大勢が持ち、仏の慈悲にすがろうとしたわけです。
 かくて聖武天皇は式典のあまりの豪華さに酔われたのか、次の有名な言葉を勅語されたと伝わります。

「われ三宝の奴とならむ」

 この勅語を聞いて、当時の仏僧(釈氏)たちの喜びは、天にも昇るものだったでしょう。まさに「我々は天下の権力を持ったぞ」、と。
 そして、その機に乗じて遂に改竄の行動を起こしたのではないでしょうか。その上、太子が法華経を最初に日本に広めたお方であることから、「太子は仏教徒である」と一方的に決めつけてしまいました。しかし、太子は仏教を宗教ではなくインドの釈迦の"学問”として考えておられたのですから、まるで観点が違います。
 世界の国々に今もなお、宗教戦争はありますが、悲しいことですね。宗教者たちも我田引水の気持ちを反省する必要があるのではないでしょうか。
 ともあれ、本当の第二条はここに記した通りで『国家公務員(公僕)は天子の命令を守り各々職分に応じて行政サービスをしっかりとやってくれ。もし仕事に対してひたむきな心を捨てたときは、その人自身の破滅だ』というものです。
 太子は日本の官僚国家体制を造ったと指弾する人がいますが、一国を運営するにはまず『中央集権』が立派にできていなければなりません。要は人々の職務に対する心・・・・・・。
 太子と憲法という名において、国家経営の理想を掲げられたのです。


《本に記載されている欄外解説》

聖武天皇
仏教への帰依が厚く、東大寺の大仏建立という大事業を推進し、天皇として初めて出家。半面、政治的には藤原氏の台頭を招いた。七〇一~七五六年(在位七二四~七四九年)。


奈良大仏建立
七四三年に紫香楽宮(しがらきのみや)で始められ、奈良の東大寺に移された後、七五二年に開眼供養が行われた。

 「われ三宝の奴…」の”奴”は、ヤツではなくヤッコと読みます。
家来、下に付く者、という意味です。

 父が、この宗教戦争について一言書いていますけれど、当然のことながら現在もこの問題は引き続いています。
この先も、終わりが見えない問題です。
宗教というものは人に真っ当な考え方を持たせて、幸せな道を歩むように導くために、始めの始めに生み出されたもののはずですのに。
人として真っ当ではなく、自分の利で勝手に物事を動かす人々は、昔も今もなんと多いことございましょうね。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。