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2015年10月23日

生きている聖徳太子憲法 天皇慟哭す

 このように素晴らしいお方でしたから、太子が薨られたときの衝撃ははかりしれないほど大きいものでした。


 太子薨去の上奏を受けた推古主上は、気も動転せんばかりに驚き、車駕を急がせて太子がお住まいになっていた斑鳩の宮殿に御幸されました。そして、お二人の遺体を確認されると、声を上げて嘆き哀しまれたのです。群臣・諸人も『日月を失った想い』と、悲しみが国中に広がりました。

 時に聖徳皇太子四十九歳。御葬儀の日はすべての人々が白い服を着て沿道に立ってお見送りして泣いたそうです。

 中でも可哀想だったのは愛馬でした。

 甲斐国(山梨県)から買われて、太子が自家用車のごとくお使いになったのでしたが、体は漆黒、四脚のみが見事に白い毛で覆われた馬で、名を黒駒といいます。もともと馬は人の心がよく分かる動物ですが、黒駒はとても賢かったようで、太子が手綱を左右に引く必要もなく、声をかければ思うところに太子を運んだそうです。

 その黒駒は、太子が薨去された日からは水も飲まず草も食べず、毎日泣いていたと言うのです。そして御葬送の行列の一員として、太子が愛用された鞍を背にして御陵までお供をしたのですが、儀式が終わり御墓所の扉が閉まるとき、大きな声で哭き叫び逆立ちしたかと思うと、どっと大地に頭を打ちつけて絶命しました。

 これを見た人々は『こんな畜生(動物)にも太子の偉大な御存在が分かっていたのか』と共に泣いたと言いますが、思いやりに満ちた太子の心情の温かさを伝える話ですね。その後、黒駒は手厚く葬られたということです。


 さて、そんな聖徳太子が作られた憲法とはどんなものなのか。それでは前置きはこれぐらいにしておいて、貴方にこの本を手にして頂いたことを感謝して本題に入ることにいたしましょう。

 父が、’97年~’98年にかけてこの本を書いていたときに、出来上がった分の草稿を受け取って読ませて貰っては、「こんなことがあったんですね」とか「ここの書き方が判りづらいです、練り直してください」とか(笑)、いろいろと話をしました。

 その中でも、この”黒駒”が自ら頭を打ち付けて命を絶ったという逸話には、『なんという馬だろうねぇ…』『悲しくて悲しくて、どうしようもなかったんだわねぇ』と、しばし感動を語り合う父娘でありました。

 本の後半に、太子ゆかりの奈良の”橘寺”を訪ねて、黒駒の像も拝見したことなどを書いておりますので、後日ご紹介いたします。

 ではまた、来週金曜日に。