えっ!
あの、雪を蹴立ててサク、サク、サク、
先生!おう、そば屋か!
と『俵星玄蕃』を歌っている三波が、どうして聖徳太子の憲法の本を書いたのか?ーと、思ってらっしゃいませんか。
憲法学者でもないのに。たしかにそうですね。
私は、浪曲家としてステージに立ってから五十九年を数えましたが、青春時代に、一兵士として満州でソ連と戦い、やがてシベリアの捕虜となって、四年間を過ごしました。
そのシベリアでは、今、私がこうして元気で歌っていることが不思議に思えるほど、多くの戦友が倒れていきました。収容所の夜、私が語る浪曲に、涙をこぼして喜んでくれた戦友たちです。
帰国してからは、そうしたこれまでの体験や思いを生かした浪曲や歌を作ろうと、真剣に取り組みました。幸いにして昭和三十二年に『チャンチキおけさ』『船方さんよ』のデビュー曲がヒットをして歌手となり、活動の範囲が広がりました。歌と芝居の大劇場特別公演の先鞭を付けたのもその一つでしたが、私は、歌や演劇の中で特に歴史的な人物を表現したいと勉強しました。本を読むことは仕事でもあり、勿論楽しみでもありますが、そうした勉強の中から自分なりに真偽の判断を待つようにもなりました。
そもそも聖徳太子の研究は、友人が送ってくれた本がきっかけでしたが、調べ始めてみると、例えば太子の生年月日にしても諸説紛々で、歴史研究の複雑さを思い知らされたものでした。それはさておき、聖徳太子の憲法を読んだとき、その内容に驚きました。勿論、昔の言葉ですから難しい言い回しですが、書かれていることは実に分かりやすい。今の社会に当てはまることが多く、現在の日本に大切なことばかりだったのです。
この本は、「太子憲法の章」と、太子を始めとした古代の英雄や日本人と米にまつわることなどの「歴史エピソードの章」に分けました。
私が長年、日本国中を巡ってきた経験を通じて、私なりに納得した歴史の話を書きました。
何か一つでも参考にして頂けたら、幸せでございます。
本日から、「聖徳太子憲法は生きている」をご紹介して参ります。
この本は、1998年に小学館文庫のために書き下ろしたものです。
三波春夫75歳の折。
歌手としての仕事の傍ら、この本を執筆しました。
本文中にあるように、父は1944年に応召して陸軍歩兵として満州の戦場を駆け巡ったのち、シベリアで4年間の抑留生活を経験しました。
その間、仲間にむけて語る浪曲の台本を、ひとりコツコツと睡眠時間を削って書き、30本近い新作をつくりました。
歌手になってからも、いつも「研究のために本を読む」「原稿を書く」ことが並行している日々でした。
それにしても、"聖徳太子憲法"という題材は意外な感じがございますね。
日本と日本人の心を求めて…、という歌手・三波春夫の生き方は、最晩年にこの本の執筆の境地を迎えたというわけです。
お読みくださる方々の、ご年齢やお考えによって、文章から色々なことを汲み取って頂けると存じます。
読み辛いところもございますが、どうぞお付き合いくださいませ。
なお、来週の金曜日の更新はお休みさせて頂きまして、次回は21日に更新します。
酷暑が続いておりますので、くれぐれもご自愛くださいませ。
三波美夕紀
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