
この歌については、ほかにも小さな思い出があります。私の家内が、この歌のなかの「梅の花咲く小田原後に桜町へと旅立ちなさる」というあたりになるときまったように涙を流すのです。
歌詞のその部分は、藩主大久保公に、「栃木の桜町へ行って、分家の経済を立て直してくれ」と命を受け、住みなれた故郷離れて一家で桜町に旅立つというくだりなのですが、尊徳先生は、その地の復興を終えるや、茨城の谷田部という所に派遣される。その谷田部が家内の生地なのです。そこから、まだ九歳のころに遠く離れた縁戚に預けられることになった哀しい記憶が、この歌のそのあたりを聞くたびに、重なりあってしまうというのです。
自叙伝「すべてを我が師として」に三波が詳しく記述したところがありますが、母は自分の両親と縁が薄い人だったので『専門職について自分で食べていけるように』という周りの大人達の計らいで、9歳で芸界に入りました。旅公演を続けながらの芸の修業は厳しくて、人の居ないところで涙をこぼす日々。でも、運命や環境に負けちゃいられないと、一人前の舞台人になるためにまっすぐに努力をしたのだそうです。何十年経ってからも、ふとした事でその頃の自分を思い出し、ジワーンと涙をためながら私にも思い出を語ってくれたことがありました。父は自らの経験と重ねながら、私以上にとても深く、母に共感していたのだと思います。
ではまた、来週金曜日に。
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