
借りた金は事業資金として、五年間は無利子。そして、返済をする時に、一割または二割の利子を、おかげさまでと、感謝の心をこめて返納という、情と理に叶ったものでした。ですから、みんな頑張って借金を早く返して仲間の期待に応えようと頑張ります。尊徳先生は、こんな素晴らしい制度を江戸時代に作ったのですから、まさに民主主義の祖であり、心温かな哲学者でもありました。
しかし、この日本の偉人とまさか直接に歌のご縁が生まれようとは思ってもみないことでした。
尊徳先生のご子孫を中心に、江戸以来の「報徳会」の組織は日本の各地に連綿と続いています。その会から、ゆかりの小田原市の報徳二宮神社でご生誕百二十年祭が行われることになった、ついては、記念歌を創ってもらえないか、というご依頼があったのです。それが、標題の『噫々二宮金次郎』という歌だったのです。私の作詞、作曲。祭典儀式の中では神前奉唱を行いました。感激の一刻。昭和五十一年のことでした。
「研究してみたところ、物凄い人物だった。これを世の中に伝えたい。皆さんの勇気の源にして貰えたら幸い」と、歌詞として書きまとめて、曲をつけて唄う。どう書いたらいいのだろうと苦心しつつも、恐らくいつもその仕事を心底から楽しんで実行していたのが三波でした。やがて出来上がった作品を新曲としてレコーディングする日を迎えるわけですが、このレコーディングという作業が本人の「一番好きな仕事」だったのでした。
ではまた、来週金曜日に。