
この金勘定のできぬ男が、お金を借りたことで、素晴らしい思いをさせていただいたことならあります。昭和三十一年の秋の事、大学卒の初任給一万八千円の時代です。
私が、浪花節から歌謡曲に転身するために休業しなければならぬ半年間の、「生活費は私に任せなさい」と言って下さった加藤清二郎さんに、ある日、借金の相談にあがりました。加藤さんは『聚楽チェーン』の創始者で立志伝的な方でした。
「社長、お言葉に甘えて十万円だけ、お願いしたいのですが・・・・・・」
すると、社長は、
「そんなものでは足りないだろう。ハハン、君がここへ来たことは、奥さん、知らないな」
「ハイ」
「よしよし。男の立場としては、君の心はよくわかるよ。十万円はお貸しする。この金は、事業のための借入金と考えてくれたまえ」
このお言葉は、お金に対する人間の基本を教えていただいたものでした。
加藤清二郎さんは、浪曲時代からご後援下さり、歌手・三波春夫になってからは後援会の会長に成って頂いておりました。1924年(大正13年)に“簡易洋食”と銘打った『須田町食堂』を開かれ、その後の上野の『聚楽』ほか数々のレストランでお客様にリーズナブルに洋食を提供なさいました。人々の思い出にしっかりと残るお店ばかりでした。現在、聚楽チェーンはお孫さんが社長でいらっしゃいます。
ではまた、来週金曜日に。