
その時、座員のひとりが歌謡教室の先生を知っているから紹介するというのです。そこで家内とその先生のところに出掛けました。
家内はハッキリと答えて下さい、と念を押して「先生、この人、ものになるでしょうか」。すると、先生は「だいじょうぶ。三ヵ月でものにしてみせる」と真っ赤な顔をしてキッパリ太鼓判を押してくださいました。
佐々木章先生は大村能章先生の門下の本格的な声楽家であり、誠実なお方で、テイチクレコードでのテストの件もすべて運んで下さいました。良き師にめぐり逢ったのです。
それからというもの、私は毎日先生のピアノに合わせ、「マンマンマンマン、ミンミンミンミン……」の発声の基礎の繰り返し。浪花節とは少し勝手が違いますが、私はこうした西洋のベルカント唱法に近い発声をしていましたから、とまどうようなことはありませんでした。
なにしろ、まがりなりにも一枚看板の座長です。半年間は、仕事をすべて断ってやり出した冒険ですから、是が非でも成功しなくてはいけません。申しわけないが、他の生徒さんたちとは立場が違います。先生がタバコを吸う暇もないほど、レッスンを受け、自分の練習時間が終わっても、教室に残って他の生徒さんの練習を聞いていました。
三波春夫という人は「自分はこれだ!!」と決めて藝の道にまっしぐらに突き進みました。B型でしたので…、(笑)というのは冗談ですが、これ!と決めたことへの集中力は絶大でした。自分の藝のために為すべきことを、休むことなく常に実行しつづけた人でした。
唄う以外の姿といえば、本を読み新聞を読み原稿を書き…。『勉強』の二文字を怠らない人でした。政治経済の分野にも一家言をもっていて歴史には特に詳しく、たとえば地方公演の移動での車中の会話では、いつもそういうテーマで話が尽きませんでした。
晩年にお付き合いが深かった永六輔先生が、ある時、三波に向かって「三波さんは『唄う学者』です」と、おっしゃった時にはその場の皆でウケて笑ってしまいましたが、確かに…。今思い返しますと最適のキャッチコピーだった気がします。
ではまた、来週金曜日に。
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