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2009年10月30日

痔になった先生 1

 昭和三十年ごろのことでした。私はキングレコードから出た三橋美智也さんの大ヒットに大変刺激を受けました。民謡調の歌謡曲がヒットするのなら、浪曲調歌謡曲の世界があってもいいのではないか。やっぱり歌謡曲の時代が来ているぞ、と。


 それで、家内にも(家内は一座を組んで全国をまわっていた芸の上でも大切な伴侶でしたから)「歌謡曲をやってみたいんだ」と相談しました。
 すると家内は、「歌の時代ですね、本格的にやってみましょうよ」と意外なほどあっさりと承知してくれたのです。もともと家内は私と結婚したばかりに浪花節の世界に入ったという人ですから、浪花節以外の芸の良さを知っていました。
 ちょうどそのころ、高田浩吉さんが、歌う映画スター第一号再デビューと騒がれるほどヒットした『伊豆の佐太郎』という曲をプロデュースした、コロムビアレコードのプロデューサーの方が「この『伊豆の佐太郎』のレコードで勉強してみませんか」といってくださいました。歌に合わせてテープに入れてみると、自分でも驚くほど高田さんの声と似ていました。これはおもしろいな、と思い、ますます歌謡曲がやってみたくなりました。家内にも聴いてもらい、「どうだい」と言うと家内は、「やっぱり、きちんとしたお師匠さんにつかないといけません」といいました。

 三波の伴侶は、私の母ですが(笑)その芸歴については、ひとつ前のブログで全編をご紹介した三波の自叙伝『すべてを我が師として』に詳しく書かれています。母は9歳から藝の世界に入り、三味線、鳴り物、舞踊、話藝などを身につけ、歌舞伎舞踊から色ものまでを上演する一座で活躍していました。そして27歳で「南篠文若」と結婚し、自らがライトを浴びていた舞台を降りて、曲師を務めるようになったのでした。身内の私が言うのもナンですが、母の藝の勘は大変に鋭かったです。『三波春夫』の創造は、三波夫婦ふたり揃ったからこそ出来たことでした。
 ではまた、来週金曜日に。