
依頼を受けた長津先生は歌詞を懐にその夜新宿の屋台へ
行ったそうです。
歌詞の中の舞台そのままにそして注文した酒を待っている間に、長津先生は曲がひらめいたといいます。
「親父さん、箸袋をもう一枚くれないか」
その箸袋を裏返しにして、五線譜を書き、十五分くらいでおたまじゃくしをすらすらと書きこんでいったとか。家に帰って、ピアノの前にすわって清書されて翌日杵淵ディレクターに届けられたそうです。
私が譜面と詩をいただいて二週間、昭和三十二年四月二十四日に吹き込みを致しました。
ところで、作詞の門井さんには、長津先生ともども後々までお世話になることになるのですが、当時は長谷川伸先生の門下生ながら、そうとう貧乏をされていたようです。のちにお会いしますとしみじみ述懐されておられました。
「ああいう歌は二度と書けないでしょうね。貧乏していたからこそ書けたんですよ」
”歌はこころの憂さの捨てどころ”
<八島>
文中の“吹き込み”という言葉は、もちろんレコーディングのことです。ムカシは吹き込みと言ったのです。それこそ三波春夫よりもっと前のムカシの録音マイクは、ラッパの反対向きというか拡声器を逆向きにしたような形の物に向かって歌うという、まさに歌声を吹き入れるような恰好だったようですから、言い得て妙の言葉です。
私も、物心がついた頃から周りで「明日は吹き込み…」「吹き込みが済んでから…」などと言っており、父のマネージャーになってからも三波夫婦(母は事務所の社長でした)に対しては『吹き込みの日を決めましたが…』などと言っていたので癖になり、今だに『吹き込み!!』と大きな声でふつうに言ってから、(わー、吹き込みって今ドキ言っちゃってー)と、ひとりで真っ赤になっていたりします。
でも、ムカシの日本語はあったかくて好きです(笑)
ではまた、次回に。
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