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2008年04月09日

妻のこと 9

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 しかし、ここで泣いてすがっても、祖父は決して喜ぶまい、ますます別れをつらくするだけだけど、子供ながらも、われとわが身にいいきかせ、後(あと)から後からあふれでる熱(あつ)い涙を、布団のはしでしっかり押(おさ)えて、声をしのんで泣きました。


 祖父の足音が消えるころ、彼女のしのび泣きは、大きな慟哭(どうこくに)変わりました。
 母に死なれ、父に捨てられ、いままた祖父母と別れなければならない残酷(ざんこく)な運命、そして西も東もわからぬ幼な子に、明日からおそいかかる、まっくらな社会への不安(ふあん)。泣くなといっても、それは無理(むり)なことでした。

<八島>
 このときから母は子どもではなく、社会人として生きざるを得なくなりました。他人の釜の飯を食う生活の始まりでした。